第四回 黄昏のエクソシスト

第一回
前回

 夕べのミサの為に、佐伯のじいさんも私も黒い服を着て、祭壇のロウソクに火をつけたり、入り口に復活祭の案内状を積み重ねて、テーブルの上に置いたり、教会の玄関先の提灯に灯をともしたり、雑用をした。

 雑用の間、柊家で見た光景を思い出していた。娘のちとせの凶変というのか、確かに何かに取り憑かれているという表現がピタリと収まるような出来事が与えた印象について、考えていた。様々なイマージュが私の中に渦巻いていた。少女の首を中心に回転する長い髪の描きだす奇跡や、少女にしては低い声の音声空間、肉親への無造作とも、無慈悲とも、おそらくは感情や道徳から抜け出た暴力行為。ある意味、さっぱり、きっぱりとも言えるような、少女の暴虐と、肉親の声を無視し、哄笑の響き渡った空間。

 そうした空間を収めたのが、柊家の主、宗一郎だった。
 
 宗一郎は蔵元の主人という呼称には、ふさわしからぬ、眼鏡をかけ、知的な職業についているような、医者や大学教授といった外見のやさ男だった。その主人が、自分の娘である、その少女にとても優しい声、妻や母のような叱責とは正反対の行為で、むしろ慈しむような声で、娘の名を呼んだ。(あるいはあの時に、狐とやらも疲れてしまったのだとも言えるのだが)娘自身、急に力尽きたように床に座り込み、祖母と並んだ格好になったかと思う間もなく、気を失って、祖母の膝の上に倒れ込んだ。

 緊張していた空気が一気に緩み、佐伯のじいさんは家族達が娘を二階の部屋へ連れて行った間に、私を促し、家の人々が戻る前に、軽トラックに乗り、ここ教会まで無言で帰って来た。帰ってくる間、佐伯のじいさんは煙草を三本も吸っていた。

 私はといえば、何度か車の座席から後方を振り返り、何かが追って来てはいないかと、そのときは無意識に、ちょっとした恐怖に捕われていたのだった。
 
 夕べのミサで、詩編が唱えられ、オルガン演奏で聖歌が歌われる光景を眺めていた。信者の数は、平日なので少ないのだろう。
 ベールで顔を覆った年配の婦人と、褐色の肌をした若い女性達の他は、男性はふたりほどしかいなかった。

 褐色の肌の女性達は、佐伯のじいさんによれば、国鉄駅の近くにあるフィリピンパブで働く娘達だという。 いわゆる、ジャパゆきさん達だ。彼女らは、ジーンズに薄手のセーターを着ていた。教会の外へ出てゆくときも、早口で自国の言語で話していた。佐伯のじいさんによれば、タガログ語というのだそうだ。英語でもなく、機関銃のような早さで話しながら、出て行った。シャンプーなのかローションなのか、石けんのような、それでいて少し強めの香りがあたりに漂っていた。
 
 佐伯のじいさんは鼻をひくつかせながら、「よお、夕食の後で、冬見ちゃんの歓迎会やろうよ、いい店が近くにあんのよ」と言った。

 
 
 演歌の曲が店内に流れていた。照明がやや弱い中で、カラオケ装置のテレビ画面に映像が流れ、佐伯のじいさんのやや嗄れた太い声がマイクから増幅されていた。
 スナック「さくら」のママは、柊家の宗一郎の妹で、兄とは対照的に、声も大きく、活発な印象の女性だった。顔立ちも兄とはあまり似ていないような、どちらかというと、母親似なのだろう。気丈夫そうな感じがある。

 アルバイトで働いている今日子という二十代の女の子が、水割りのおかわりを出してくれた。佐伯のじいさんは私の肩を叩きながら、頬の赤くなった顔をほころばせて、「今日子ちゃん、こちらニューフェースの冬見ちゃんだよ」と言って紹介した。
 職業を聞かれるといつも困るのだが、放浪しているので定職はないと答えることにしている。風来坊ってやつかい、と佐伯のじいさんが言うと、今日子はフウテンの寅さんみたいと言った。さくらのママは、煙草の煙を吐き出しながら、ふーんと言った。
 
 「さくら」にひとりの常連がやって来て、佐伯のじいさんと話を始めた。
 さっき、廃校になっている小学校、つまり私の現在の居住地の前を通りがかったら、教室に灯りがともっていたと言う。私は佐伯のじいさんと顔を見合わせた。

「浮浪者でも、住みついちまったかな」と佐伯のじいさんは言って、常連客のほうを見た。私のことを、佐伯のじいさんがそのお客へ紹介すると、そのお客は、「気いつけたほうがいいよ」と言った。「でもまあ、悪さしなければいいけどね」とコメントしてから、カウンターの奥の席へ着き、今日子やママと談笑を始めた。

 私はさっきの客の話が気になり、佐伯のじいさんを店に残し、廃校になっている小学校へと歩いていった。「さくら」からは歩いて十五分ほどの距離だった。

 校庭を歩いて、教室の建物を見回ったが、どの教室も灯りがなく、もうすぐ満月の近くなった大きな月の明かりの下で、窓から中へ光りが差し、誰もいない教室だった屋内の様子を見る事ができた。

 元用務員室の家屋も、鍵が掛かっていて開けられた形跡はなかった。縁側の硝子戸も問題はなく、雨戸を閉めて、少し酔いが廻り、一日の疲れがでて、寝床について、寝てしまったのだった。

(次回へ)