第二回

前回

 廃校になった小学校とはいえ、校庭にはソメイヨシノの樹木が並び、鉄棒や砂場、トラックが残っている。校舎は木造で、硝子戸の窓があり、いたずらで割られたりしていなかった。一階建ての校舎には、6個の教室があり、六学年分の教室があったのだという。佐伯のじいさんの運転した軽トラックが、校庭の前に駐めてあり、私は布団を担いで、用務員の使っていたという校舎裏の中庭にある平屋の家屋まで運んだ。
 家屋の中は清掃されていて、家具は食器棚、木製の箪笥が、カーペットの敷かれた床の上に、壁に沿って並んでいた。ちゃぶ台が折りたたみ式になっていて、食器棚の下の段の開き扉の前に立てかけてあった。窓にはカーテンはなく、縁側があり、雨戸が据え付けてあった。間取りは、台所とお茶の間、あとは風呂場だけの簡素で質素なものだった。
 テレビも冷蔵庫も洗濯機もなかった。電気製品はまったくなく、食事は教会まで食べにゆけばよいらしい。洗濯は、佐伯のじいさんの住む家にゆけばあるので、一週間分をまとめて使いにくればいいよ、と言ってくれた。
 この家屋の用途は、寝るだけの役割なのだ。用心の為に、ドアの鍵がかかるし、雨戸を閉めて、突っ支いを掛けられるようにはなっている。簡単な生活を送るにはもってこいの住まいというわけで、私はいたく満足だった。トイレは、職員用のトイレを使えばいいらしいが、汲取りに来てもらう必要があるとのことだった。月に一度、汲取券を教会で支給してくれるらしい。トイレと風呂場など、掃除は欠かせない。
 職員用のトイレという言葉の実物を確かめに、佐伯のじいさんの後に付いて、校舎とはこの字になっている元職員室の方へ歩くと、男子用と女子用のトイレがあり、職員用という木の札に、男、女という文字が書かれていた。男のトイレに入ってみると、男子の小用の便器が2個に、大用の便器のある個室が2つこしらえてあった。人の使用した気配もなく、乾燥した便器が白く鈍った色を放っているだけだった。
 かくして、宿はきまったのだった。
 しかし、不用心なので、財布と預金通帳は持ち歩く必要があり、腹巻きに財布と預金通帳を入れて、リュックは家屋、寝床と呼ぶ事にした部屋へ置いて、佐伯のじいさんの軽トラックへ乗った。一軒、信者の家へ寄ってから、教会へ夕方のミサと食事へゆくのだという。
 道々、佐伯のじいさんが話してくれたのが狐憑きと噂になっている信者の娘のことだった。
 信者の家は蔵元で、そこのおかみさんだという。娘さんが、狐憑きになり、おかみさん、史子さんという名前のおかみさんは、カトリック信者なので、きっと悪魔に取り憑かれたのではと、何日も前から、神父へ相談に来ているのだという。
 史子さんの娘、ちとせちゃんはまだ十五歳で、もう学校を二週間くらい休んでいるらしい。ちとせちゃんの祖母と父親は、神道の信者なので、狐憑きだと信じ込んでいるらしい。
「お稲荷さんだよ、もちろんね」佐伯のじいさんは煙草の灰を、走行中の車の窓から腕を伸ばして、流れる風へ落としながら、蔵元、柊家の信仰神について、野菜の名前でも教えてくれるように、語ってくれた。
 お稲荷信仰へ嫁いだカトリックの信者である、史子という女性は、いったいどういう訳で、そのような錯綜した、受難の人生を送ることになったのだろう。
 しかし、私は車窓の外に見える海を眺めながら、狐憑きという猛烈なイメージ、まだ未知の事実というのか、今までの人生経験でも遭遇したことのない、その呼び名にまつわる現象というのか症状というのか、その時空について想像を巡らせていたのだった。
(次回へ)