最終回

第一回
前回

 ハンナはタイプを打つ手を休めて、煙草に火をつけた。机の上に、ひと瘤駱駝の絵柄のキャメルの箱がある。

 あのとき、ヨハネスの乗って来た駱駝は、ふた瘤駱駝だっただろうか。熱さで、朦朧としていた十歳の少女の記憶では、はっきりしていなかったかもしれない。とにかく、駱駝が一声吠え、間隙にノワールの咆哮があったのだろうか。
 いずれにしても、嵐が遠ざかった跡には、
ヨハネスの姿はなく、<ねずみ>と呼ばれた男が一人倒れ、ノワールは袋に入ったまま、気を失っていた。
 そして紙が、それはフリードリヒ・ニーチェの遺稿といわれる紙が、二、三枚だけ散乱していた。あとは、水筒が散乱し、口から水がこぼれていた。砂地に水がこぼれて、黒い色の模様ができていた。
 
 ヨハネスの姿はどこにもなかった。少なくとも、砂塵の舞ったところや砂塵の去っていった方向を眼で追っても、人間の姿はなく、砂だけしかなかった。
 私(=ハンナ)は、叫んでいた。おそらく、エリーザベトは、私が声を喪失していたことも、あの時の衝撃で、声を取り戻したことすら知らなかったのだろう。
 エリーザベトは、地面に座り込んでいた。アラブ人の男達は、アラビア語で何かさかんに、言い合いをするかのような勢いで、何事かをお互いに言い合い、最後には膝を折って、神、彼らの神に祈りはじめていたのだろう。

 突然の崩壊なのか。エリーザベトは、十歳の少女へ弁解と謝罪を述べて、ヨハネスを探さなければ、わたくしの罪は消えないと言った。しかし、私は呆然としていたのか、一年間の喪失感への塗り重ねのような、その日の出来事の為、声がでるという状態にもかかわらず、ひと言も発することができなかった。

 あれから、エリーザベトは、ヨハネスを探す事、それは兄であるフリードリヒ・ニーチェの遺稿を探す事の傍ら、後のナチス党、亡夫の属していたサークルへの接近と、政治という世界へ、はまり込んでいったのだ。モノクロームのプロパガンダ用のフィルムの中で、<ねずみ>、エリーザベトの亡夫の弟が、軍服姿で、総統閣下の近くに、前歯と眼の大きな容姿で、しゃちほこばって立っている姿がたくさん、映っている。
 エリーザベトは、あの日から数週間ほど経ってから、長い手紙を、モロッコの祖母、アンナのところにいる私へ送って来た。まだ、十歳の少女には、哲学の概念やツァラトゥストラの原稿について、語られても、理解はできなかった。後に、十六歳になってから、六年の歳月が経ち、チューリッヒへ祖母と共に引っ越してきたときに、はじめて、「ツァラトゥストラ」を読み、エリーザベトから送られた手紙の意味について、わずかだが、理解できるようになった。
 「ツァラトゥストラはこんなふうに言った」。エリーザベトから四部の初版が送られ、何度か通読した。その中に、砂漠の娘達の歌を歌う、放浪者、ツァラトゥトラの影という人物がでてくる。その人物こそ、ヨハネスではないかと、エリーザベトは手紙の中に書いていた。しかし、それは奇妙なことだ。ニーチェは、ヨハネスに会ったことも無いのに、遺稿の中に書き残したことになるのだから。
 
 ノワール。あの事件の日以来、ノワールと私の心の交信は、途絶えてしまった。ノワールは、私とともに、エリーザベトの支援で、モロッコにいる祖母、アンナのもとへ到着することができた。モロッコを移動中の汽車の中でも、私の心にはノワールの声は届かなかった、何度もノワールの顔を見たが、声は、心の声は聞こえなかった。ノワール自身も私の顔を何度か見上げながら、寂しそうに、普通の猫の声で、話かけてくれることしかできなかった。
 祖母アンナは、私の養育に尽くしてくれた。身内がもう、ひとりしかいないという事実が、気丈な壮年の女性にも、心和らげるようになったのだろう。アンナも、私同様、はにかみ屋であり、それが為、厳格な外面で、繊細さを見破られないよう、また、祖父の事業を引き継ぎ、事業を継続し、運営する為に、自分の外面、性格を、本来でない虚構の性格を作りあげてきたのだろうか。
 そんなアンナだからこそ、ノワールとの心の交信を可能にしたのかもしれない。あるとき、それはチューリッヒに、居を写したときに、自宅での晩餐会を終えて客を送り出した後、身内だけで、二人と一匹で、お茶を飲んでいる夜更けに、秘密をもらした。実は、お前の連れて来た猫と話ができるのだと。赤面し、小さな少女のように、手で自分の口を隠すようにして、聞きもらしそうなほど小さな声で話してくれた。「お前とも話ができたそうだね」「ええ、でももう、六年前のあのとき以来、お話ができなくなったの」「そうかい、不思議なこともあるんだね」そのときに、ひときわ大きな声でノワールは鳴いたのだ。

 あれから、もう四十年近くの歳月が過ぎ去っていった。アンナはこの世を去り、ノワールは姿を消した。そのことの意味は、猫の習性を知る人間にとって、何を意味するか分かるだろう。
 エリーザベトの属したナチスは、果たして、彼女の兄、フリードリヒ・ニーチェの思想を利用できたといえたのだろうか。アンチ・クリストであるニーチェの思想を。ルサンチマンから自由になるための、スピノザの喜びを肯定する、永遠の喜びの肯定者、フリードリヒ・ニーチェの思想を。
 
 私は時々、戦乱の始まる前や、戦乱が終わった今、時々、マルセイユまでゆき、あの、ヨハネスとノワールと供に訪れた、初めて観た映画を上映し、その後の私の人生に影響を与えた、ラ・シエタの映画館を訪れた。
 映画を見た後、マルセイユの港からアルジェリア行きの船を見送るときに、ヨハネスの姿を、甲板で見かけたような気がした。しかし、それは夕暮れどきの、牧師服の影であり、ヨハネスの残像に過ぎないのだろう。
 エリーザベトからは、ヨハネスの捜索をしているが、消息不明であるとの音信が思い出したようにときどき、届いた。
 そのエリーザベトも、戦乱の終わりのときを俟たずに、世を去っていった。
 また、一年の間とはいえ、母のように私を励まし、やさしさで接してくれた、あのフリーダも、今はもういない。祖母にあえた日から、フリーダとは手紙をやりとりしていた。ヨハネスの消息が不明だという話題が、私の声が戻ったという朗報をも、背景におしやるほど、フリーダには悲しい出来事だったのだ。歳月を重ねるごとに、手紙もだんだんと、内容も希薄になり、字数も減ってきた。やがて、フリーダが病院に入院したという知らせが、施設から届いた。
 私はすぐに、バーゼルへ、フリーダの入院している病院まで、見舞に駆けつけた。やつれた顔の、ひどく痩せたフリーダが、ベッドの中にいた。弱々しい微笑みで、二十年振りの再会にもかかわらず、フリーダは私のことが分かったようだ。私の声を初めて聞いたといって、涙した。窓の外に眼をやりながら、空を横切った鳥の影をみながら、ヨハネスは何処にいったのかと、つぶやくように言っていた。それがフリーダとは最後だった。

 時々、聖職者がある島で活躍しているという話を聞く度に、年齢を確認してから、つまり、老齢の聖職者であることを確認してから、島まで出かけていったことが、数回ある。

 いつも期待をしていた。
 皺だらけのその顔の向こうに、
 白髪になった長い髪の向こうに、
 ヨハネスの優しい心がまっているのでは、と。
  
 はじめに言があった。言は神と共にあった。
 
 ヨハネスは、私にとって、最初から最後まで、イマージュだったのではないか。
 何かを証するために現れた、不幸に見舞われて、声を失い、すべてを喪失した十歳の少女に、生き続けることを、証するためのイマージュだったのでは。
 
 フリーダの墓石に花を捧げて、私は立ち去さろうとする。
 墓地の樹木の、枝の上で猫の声がしたような気がする。「不思議の国のアリス」。フリーダから貰った仏語訳の、古色騒然としたページになった、ぼろぼろの本。ノワールと初めて会った、バーゼルの私の小さな部屋の窓の外にあった、樹木。
 私は振り返る。枝の上には、バーゼルの部屋の窓の近くにあった樹木と同じ種類の、枝の上には、チェシャ猫がいつまでも笑いながら、私のこれからの行く末と来し方の交点のように、見守ってくれているのだろうか。

 私は、これからも、幸せの島で、年老いた聖職者が小さな教会で、噂を生み出す度に、探しにゆくだろう。それが、何か分かるまでは。それが、イマージュだったと、確信できるまでは。

(了)