第一部 山人って何? 37回

登場人物紹介
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 厳島神社の建立と弘法大師との関係はとても深いものがあった。そもそも、大日如来を祀ったお堂への入り口として、厳島神社はレプリカとしての玄関なのだった。弥山(みせん)を真言宗の本拠地のひとつとした理由は、紀伊半島沖合に沈む蓬莱から、後代の権力者達の眼を逸らすためであった。
 高野山こを、坂丘一族のパワーを封じ込める結界の中心点であったが、坂丘一族の子孫から眼を逸らすために、弥山に大日如来を祀り、本当の拠点は実は、宮島だと、つまりは瀬戸内海に、蓬莱が沈んでいると思わせていたわけだ。
 
 すっかり夕暮れになり、あんぱんもなくなったので、熊楠は龍仁を外に連れ出し、今日は命の恩人に、生臭になってもろおて、スタミナをつける為、サムゲタンをやろうと、韓国人のやっている小さい料理屋へ誘った。「サムゲタンって何です」と龍仁は、頭にニット帽をかぶりながら、聞いてきた。「鶏肉に、餅米を詰めて水炊きしたやつや、精がつくでぇ」と熊楠は笑った。
 参鶏湯(サムゲタン)の煮えるのを待ちながら、熊楠は泡般若をやりながら、龍仁の話を聞いた。龍仁は、豆乳を飲みながら、話しの続きをした。 

 坂丘は空海により、野望を封じられてはいたが、何度か三種の神器をものにして、蓬莱を浮上させるという計画を、闇で画策していた。保元の乱では、後白河上皇についたザガードマン達、すなわち平清盛、源義朝らの活躍により、崇徳天皇は敗れ去り、讃岐に流罪となり、怨念、つまりはニーチェのいうところ、ルサンチマンによって、天狗になったとさえ言われている。もちろん、坂丘は崇徳天皇を操っていたことは言うまでもない。
 この頃から幕末まで、坂丘一族にとっては、野望が抑えられた時期が続くことになる。つまり、武家社会の優位な構造社会、つまり、天皇の権勢が弱くなり、ますます三種の神器へ近づくことができなくなったのだ。明治維新まで、坂丘一族は地下活動のようなことしかできなかった。それも、修験道達と真言密教僧達による結界の力が弱まることがなかったからでもあるのだが。
 
 平治の乱の本質は、武家社会の到来ということになる。源義朝が清盛を妬み、後白河法皇を人質にして、銀行強盗のごとく、荘園の領土、つまりは月々の手当の値上げを図ろうとしたわけだ。結局は、熊野神社から帰郷した清盛により、源氏一族は滅亡の危機にさらされる。
 平清盛は、弘法大師と坂丘の両者の間をいったり、きたりを繰り返した、蝙蝠的な人物、移り気な、浮気症だった。美貌の常盤御前を一目みて勃起した清盛は、時子の眼を盗んでは、なかば野獣のごとく、レイプまがいの行為に及んでいた訳だが、一方で、高野山の塔の修復を行うなど、訳のわからん輩であった。多分に己の行為に対するカモフラージュなのかもしれないが。
 その頃、大陸は唐から宋へと交代し、貿易の覇者、坂丘は、清盛をスポイルして、皇室を支配させて、三種の神器を手中に納めることを目論んでいた。あれ程、スパイを養成していたのだから、盗みだせばよいと思われるかもしれないが、当時の坂丘も、崇徳上皇の噂や、陰陽師と空海の呪法合戦などなど、中世の時代の知識の制限からは抜け出てはいなかった。まだ、祟りは、坂丘といえど、怖かったのだろう。三種の神器を扱わせるのは、平家にまかせ、結果のみ、つまり蓬莱の浮上ということを達成すればよいのだと思っていたのかもしれない。その為に、最終兵器についても、清盛にレクチャーし、宋との貿易による旨味を教えたりもしていた。
 平家は、坂丘によるスポイルで、財力も桁外れの上昇を描き、皇室との血縁関係も築き、栄華をほこるまでに至ったのだ。しかし、清盛は夜な夜な、ナイトメアにうなされていた。それは、弘法大師ないしは修験者達が、夢に現れ、厳島神社を建立せいや、という呪法だった。
 空海は後々のことも考え、時の権力者が現れたら、厳島神社を建立させ、最澄でさえも知らない、中国直輸入の教典に、蓬莱を浮上させる呪法が載っているということを、ガセで流すよう計画していた。修験者達は、その計画の準備を怠らなかった。
 平家が実権を握る事で、また、財力もあることから、しかも、坂丘とのパイプもあることから、修験者達は、京の丑寅に位置する鞍馬山から、清盛へ念を送っていたのだ。厳島神社の裏手にある弥山に、大日如来を奉納し、そのパワーにより、四国の南方沖に蓬莱を浮上させ、最強の兵器を持つ事で、未来永劫、平家は安泰だというガセネタを信じさせたのだった。
 ところが、清盛は平家の全盛期を迎えるとともに、後白河法皇のおかかえ陰陽師達の呪法により、奇妙な熱病で突然死を迎えたとされている。実際は、淫乱清盛は、宋から送られていたフィリピーナやタイの美女美女達と、乱交ばかり繰り返していたので(実はこれも坂丘のスポイル作戦No3なのだったが)、おそらくはマラリアないし梅毒ないしヘルペスなどという性病ではなかったか、というのが土宣座主のご見解でした。
 
 参鶏湯の濃厚な鳥の出汁を啜りながら、龍仁は「これは美味ですね」と言いながら、「そして、ご存知の頼朝、義経による平家滅亡への物語につながるわけですが、ここにも錯綜とした、坂丘、後白河法皇、そして我らが真言僧と修験者達の画策のぶつかり合いでもあったのです」
 熊楠は、泡般若をもう二本追加して、キムチの辛さの余韻に浸っていた。
(次回へつづく)