第一部 山人って何? 34回

 五月も終わりに近づき、ソメイヨシノはすっかり葉桜になっていた。午後の陽射しはやや強く、つばめが飛翔しては、玄関の軒下の巣へ入ったり、出たりをくりかえしている。紋黄蝶が花壇の花々の間をとび回り、ミツバチやハナアブも飛んでいる。春の賑やかさの中で、河本は麦茶の入った湯のみ茶碗を片手に、葉桜を眺めながら、葉と葉の間にできている実を眺めている。実には種があるのだが、めじろが食べたりもする。
「いい天気ですね」背後から間延びした男の声がした。振り向くと、レインコート姿で髪の毛がもじゃもじゃの中年男が、額に手を翳して、葉桜を見上げながら、河本に近づいてきた。河本の知らない顔だ。問いかけるような感じで黙っていると、その男は警察のコロンボ警部だと名乗った。警察が何かと思ったら、花田の大根売却、台場売却、那智山の山林売却の一連の詐欺事件について追っているという。更に、探偵社の調査員の殺人未遂事件もあり、関連として捜査しているというのだ。花田の関係者を型通りに事情聴取しているらしい。
「たしか美元財団さんは、花田さんと取引をしていましたね」
「あれはしかし、私どもは花田さんと正式な手続きで取引させていただいてました。もし問題があるようでしたら、私どもの顧問弁護士にお聞きいただければ」
「いえいえ、特に取引についての問題はないことはすでに分かっています」
「でしたら...」
「あたしの知りたいのはですね、花田さんとの取引きにいたった経緯を教えていただきたいのですよ。つまり、ぶっちゃけた話、どうやって、花田さんと知り合ったのかということなんですがね」
「花田さんと知り合ったきっかけですか?そうですね、実は花田さんはうち(美元財団)の会長である坂丘と関係があるらしいんです。花田さんの先祖が、坂丘の先祖とずっと以前から付き合いがあったと聞いています。どういう関係なのかは、詳しいことはわかりませんが、おそらく、日本の長い歴史の中で、いわば代々続いている関係なんじゃないでしょうか」
「なるほど、日本の歴史にまで遡るほどの長ーい関係ということなんですね。たとえば、昔の武家社会の主従関係のようなものなんでしょうね」
「そうだと思います。わたしも詳しいことは、坂丘からは聞いていないものですので、申しあげらないのですが」
「いえいえ、これで充分報告書に書けますよ。あたしはアメリカ人なので、かな入力が苦手で、報告書作るのが、このところ遅くなっちまって、残業ばっかりですよ。ところで、
民俗博覧会は、来週から建設がはじまるんでしたっけ」
「いえ、それがいま、花田さんから買った土地に対して、地元住民が建設反対運動に入り、しかも田辺町役場も、花田さんから手付金しかもらっていないらしいのです。私どもとしては花田さんへ土地代金は預託していたんですが」
「そうでしたね。花田さん自身、今は行方がわからないということですね。和歌山県警も民事事件として花田さんに逮捕状を出しているところです。たしか、美元財団の顧問弁護士会からも、告訴状が裁判所に提出されましたね」
「はいそうなんです」
「花田さんと最後にあったのはいつ頃でした」コロンボは火のついてない葉巻を咥えながら、レインコートのポケットから小さい手帳を取り出し、しばらく上着やズボンのポケットをあちこちまさぐっていた。
「あのぉすみません、書くものあります。またどっかいっちゃたな」
河本は、部屋のほうにあるので、案内した。コロンボは、玄関の軒下にできたツバメの巣を見上げながら、いやー、もうすぐ夏になりますね。つばめの季節か、などとのんびりした感じで、河本の後ろからプロジェクト室へついてきた。途中、学校時代に張り出し、そのままになっている廊下の壁の絵や書を眺めながら、河本がむかし歴史を教えていたことや、剣道の師範をした話を、コロンボは熱心に聞いてくれた。河本も話をしているうちに、あの頃のほうがよかったとつくづく思うのだった。
 企画室と銘打った板が、部屋の戸口の上に貼ってある。コロンボは板の文字を見上げた後、廊下側の部屋の窓を通して、中の様子をもの珍しそうにみていた。河本はふと、警察関係にも秘密だったろうかと、坂元から部外者へは秘密にするよう、言われていたことを思い出したが、警察に秘密にしても、いずれ捜査されてしまうから、仕方はないだろう、事後報告をしておけばとよいと思った。
 しかも、今日のコロンボの訪問もアポなしだったし、河本も今日は何か予定があったわけでもなかった。だが、よく考えてみると、なぜ、コロンボはここに来たのだろう。また、なぜ、河本がここにいることを知ったのだろうか。そもそも河本に用があったのだろうか。そのように考えてみると、だんだん、疑問が膨らむのと同時に、コロンボという刑事が、表面の柔らかさや愚鈍さに見える外見とは裏腹に、得体のしれない感じに思えてくるのだった。この人はほんとうは人間ではないのではないか、などと...。(その後、数十年経ち、河本は太平洋戦争も終わってからずっと後に、孫と一緒に外国の映画「ベルリン 天使の詩」を見て納得がいったものだ。コロンボが出演し、やはり河本の思っていた通りだったのだから)
 コロンボは、民俗博覧会のミニチュア模型を見たり、壁に貼ってある地形図などを眺めながら、いやープロジェクトも大変ですね、などとニコニコしながら眺めていた。河本は何度も、この部屋の内容については極秘なので、くれぐれも内密にということを何度も言っている自分が、次第に滑稽にさえ思えてくるのだった。
 鉛筆を渡すと、花田とは「はなふじ」という料亭で先週の金曜日に会ったのが最後だと伝えた。コロンボはメモをとりながら、誰と一緒でしたかと聞かれたので、坂丘の他、テトラ学園の校長、教頭の四人と会ったと答えた。「ははあ、あの三人は仲がよいようですね。テトラ学園の近くのスナッックでもよく会っているそうです」とコロンボは火のついていない葉巻をまだ、咥えたまま、鉛筆と手帳を上着のポケットにしまい込んで、正二十面体のレプリカを眺めていた。
「あれいけねぇ、今何時でしたっけ」と急にコロンボは部屋にある時計を見てから、「あー、もうこんな時間か。いやーわかりました、どうもおじゃましました。サヨナラ」といって腕を伸ばして手を振りながら、部屋の外に出て行ってしまった。取り残された形になった河本は、肩すかしをくったような、なにか得体の知れない(さっきからそればかりしか思い浮かばない)感じに包まれていた。何かが起こっているとでもいうのだろうか。それにしても、コロンボはついに、殺人未遂事件については何も説明も質問もしなかったのだがと思った。いや、もしかすると、今日の一連の質問の中にあったのだろうか。
 窓の外の葉桜を眺めながら、河本はぼんやりと考えこんでいた。