第一部 山人って何?

おもな登場人物:
南方熊楠 南方曼荼羅リゾームの創造者、在野の博物学者 
     和歌山県でツイートしている。

柳田國男 民俗学の創始者(ブロガ) 東京に在住

お梅(よね) 南方家のお手伝い
田山花袋 小説家 自然主義派の主導者

 この小説の登場人物は実在した人物の名前と同じ名前を持っています。ただし、この小説の中の出来事やブログ、ツイッタをはじめとするすべてのことはフィクションです。



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 お梅は自分の名前がほんとうは、「お梅」ではなく、「よね」だということを思い出すのは、実家に帰郷するときだけだ。いつも「お梅」と呼ばれているとき、つまり、住み込みで働いている間は、そんなことも忘れてしまう。でも、たしか、最初にあいさつしたときは、「よね」と名乗ったはずなのだが?
 夜が明けて、雨戸を引き込み、朝の冷たい空気を吸うと、お梅は鶏小屋まで卵をとりにいった。離れの縁側をみると、この家の主人である、南方先生が仰向けになり、口を大きくあけたまま、眼を閉じている、つまりは寝ていた。縁側の下には、いつものように、大きな嘔吐した塊がひろがっている。お梅はため息をつくと、とにかく、まずは卵、そして奥様へ知らせなきゃと、足早になった。

 上の男の子から、茶碗を受け取り、ご飯をよそってやりながら、お梅は奥様の顔をそっと見た。奥様はいつもと変わらず、下の女の子の口の端についたごはん粒をとってやっている。お梅の視線に気づくと、奥様は微笑んでくれた。お梅は奥様へ、小さくお辞儀を返し、すこし笑いかえした。
「だんな様はしばらくはいいんですか」
「ええ、いいのよ、いつもなんだから」
 一年前にここへ来たときに、南方先生が、今日と同じ状態で、鶏小屋の中で寝ていたのを発見したとき、お梅は一瞬、泥棒か浮浪者と勘違いしたことがあった。奥様を起こしてから、ふたり掛かりで風呂場へつれてゆき、吐寫物を洗い流し、だんな様の書斎の部屋へ寝かしつけた後、しばらくは放心状態で、何も手につかなかった。
 あれから、今日と同じ場面を、月に数回繰り返すうち、日常の仕事の一部としてパターンになっていることに、みずから驚くのだった。

 「お梅」と最初に呼ばれたのも、はじめてこの家に来たその日だった。
 庭に落ちた枯葉を掃除しようと、箒で枯葉を掃き集めていると、「お梅ー!耳掻きどこやった」とこの家の主人が障子の向こうから、大きな声で、だれかを呼ぶのだ。奥様の名前は「お梅」ではないので、他にいるここの家族の名前なのかと思いながら、庭を掃いていた。すると、障子が開き、髭づら短髪で、浴衣姿のご主人が、「お梅、そこで何してる」と(そのときはまだ)よねのほうに声をかけてきた。
「私のことでしょうか」
「お梅はおまえしかおらんだろ」
「あの、私、よねといいます」
「そんなことはどうでもええ、それより、庭を掃いたらいかんぞ。粘菌を培養しとるんだから。はよ、掃除より、耳掻き探してきてよ」
 夕方になると、「お梅ー、風呂わいてるか」とまた主人の声が書斎からしたので、ついにお梅になったよねは、「はーい、もうすぐ沸きます」と答えざるをえなかった。
 その夜、寝るまでに、よねは、十回くらい「お梅」と呼ばれたのだった。
「いまどうしてる?
 @yone
私の名前は「よね」、「よね」、「よね」だよ~www」

6

 今日はひとつ田山先輩のところへでも行こうと決めて、柳田は家人へ出かけてくるといって、家を後にした。
 どうにも、山人の様子を聞こうにも結局は収穫がなかった。出入りの富山の薬売りのじいさんは、風邪で寝込んだらしく、隣の隣のN県の村の様子を聞きたかったのに、代わりの若い衆が申し訳なさそうに、千葉から廻ってきたもんで、と照れ笑いされて、柳田はガッカリしてしまった。
 これじゃ、ブログを更新できやしない。
 くさくさしたときは、田山先輩を冷やかしにゆくにかぎる。
 先頃は、「田舎教師」を出したばかりだ。
 自然主義文学なんぞのどこが面白いのだろう。身辺のことを、ニコンのデジカメをもって、やれ川の流れがどうの、やれ八重桜がどうのと、埼玉のど田舎の風景写真みたいな話を書いて、どうしようというのだろう。
 しかも、尼さんと青年教師が酒を酌み交わす話だ。なんだ、それは。
 面白くもなんともありゃしない。墓の幽霊話がでてくると思ったが、何もでてこない。
 霊魂に対して失礼ではないか。
 やっぱり、遠野みたいな、霊妙な場所でなくっちゃ。
 つぎは、青森の恐山とか山形の湯殿山麓に取材して、デジカメで怖い場所をいっぱい撮ってきて、ブログにアップしようか。もっと、日本中のお化けの話をいっぱい書かなくてはならない。南方先生にもっとメールをだして情報をもらったり、官費を使って、出張中の者をもっとコキ使ったり、「遠野物語」のファンを使って、情報を集めなくてはいかんと柳田は考えるのだった。
 まるで、吸血鬼ドラキュラなみに、日本列島に吸血蝙蝠たちを放ち、あつまった血ならぬお化けの話をあつめて、嬉々とするかのようだった。

 田山は縁側に柳田を迎いいれ、あいかわらず、稲穂が干されている田んぼの風景とか、今書き始めている小説の話をしはじめた。柳田は、「へえーそうですか」と相槌と欠伸をかみ殺しながら、聞いているふりをしていた。
「ところで先輩、お化けの話で何か面白いのはないですか」と柳田は欠伸がばれるのを誤魔化すように訊いてみるのだが、田山は「いやーをんなのほうが怖いし、エロティックだぜ、ヒヒヒヒヒ」と下卑た笑いを浮かべるだけだ。
「へえーそうですか」と柳田は羊羹を頬張りながら、お茶をすするのだった。

(つづく)