「ヘンリー・ミラーにはすべてが書かれている!」
(ドゥルーズ/ガタリ)

人にはそれぞれに繰り返し読む本があるのだろう。

無論、コミックでもしかり。
(「ゲゲゲの鬼太郎」は繰り返し読むコミックのひとつだ。)

私にとっては、「南回帰線」がその一冊だ。
(他は別の機会に紹介しよう)

1939年といえば、第二次世界大戦が勃発した年だ。

このとき、ヘンリー・ミラーの「南回帰線」が出版された。

「卵巣の市電にのって」というサブタイトルがつけられている。
(「ヘンリー・ミラー・コレクション2 南回帰線」
              松田憲次郎訳 水声社
 ※以下、引用はこの翻訳から。)

ヘンリー・ミラーが四十七歳のとき。

円熟期の作品で、「北回帰線」はパリでの体験をもとに書いた本で、
こちらのほうが有名ではないか。
また、影響された人間も大勢いるらしい。
(あの司馬遼太郎のエッセイにも引用されていたっけ。)

冒頭の引用文で、まずやられた。

「<わが不幸の物語>への序言

 人の心は、言葉よりも実例によってゆり動かされ、
 悲しみもそれによって和らぐものです。
 ...
 わたしの悲しみとくらべていただければ、実のところ、
 あなたの悲しみはなきにひとしいか、
 あっても微々たるものであることが
 おわかりになるのではないか、
 そうすれば、
 もっと安らかな気持ちで悲しみに耐えて
 もらえるのではないか、
 とそう願うからにほかなりません。」
 ピエール・アベラール

 アベラールは中世の神学者で、
 有名な著書は、「アベラールとエロイーズ」

しかし、ミラーのこの著作こそ、私の長年の人生の指針、羅針盤の
ようなものとして、続いている。

ひとは、人生を送る上で、様々な危機に陥ることがある。

私とて、例外でなく、危機的状況に、今もって続いている。

そんなときに、「南回帰線」を開いて読む。

「あらゆるもののなかに、
ぼくはすぐさま対立と矛盾を見出し、
ぼく自身が最大の敵だった。

やりたいと思うことは何もなかったが、
また何もしないでいることもできなかった。

何不自由ない子どものころですら、
死にたいと思っていた。

あくせくすることに何の意味も見出せず、
何もかも投げだしてしまいたかった。

みずから望んで生まれたわけでもなく、
このまま生きつづけたからといって、

なにか本質が明らかになったり、
付加されたり、差し引かれたりする
わけでもないという気がした。」

「この初恋体験は、忌まわしいものだった。

この初恋のおかげで、ぼくは偽りの生き方を
身につけてしまったからだ。

笑いたくもないのに笑い、
労働などくだらないと思っているのに働き、

生きる理由もないのに生きてゆくことを
教えられたのだ。

この初恋のひとをすっかり忘れてしまってからも、
自分に納得できないことをする要領だけは
身についたままだった。」

ヘンリー・ミラーはパリにいた頃、
アナイス・ニンと、人妻と、
疑わしき関係にあったらしい。

ニンの日記をよむと、ミラーがよくでてくる。
(ちくま文庫)

とまぁ、冒頭のくだりを引用してみたが、
「南回帰線」は小説なのか、エッセイなのか、
判然とせず、混沌として、でも何かを表現しようと
している、何かなのだ。

さて、今回は冒頭のところで、ひとまず、幕引きとして、
次回は、「南回帰線」のディープなところへ
入ってみようか......