パートナー曰く、
「パートナーがいる男性がパートナーとの間で何か行動するとき、そのほとんどが愛情表現」
なんだそうです。
このこと、以前は私も知らなくて、そう意識できていませんでした。
「愛されている」とはいつも感じられていたけれど、
(これまでお付き合いをしたことのあるどのパートナーからも)
一つ一つの行動が、私への愛からだったんだ、って
そういう視点で振り返ってみると、
確かに。と思えることがたくさん。
今は以前よりずっと、
あのことも、そのことも、
彼からの愛なんだ、と受け取ることができています。
パートナーが、
・何よりも大事な仕事を減らすリスクを取って、私のいる場所へ引っ越してきてくれたことも。
・「関わる」ことは基本的に面倒で、傷にも触れる時は苦痛ですらあるのに、それをやり続けてくれていることも。
・私の予定や都合や希望を考慮して、毎晩「おやすみ」を言うための時間を作ろうとしてくれていることも。
・一緒に居られるようになるかどうかも分からない中、私のプロセスを最大限尊重して、ただ「待ち続ける」時期を長く過ごしてくれたことも。
・私のニーズに最大限応えられるように、と、どの瞬間も意識してくれていることも。
・「喉が渇いた」と言ったらお水をさっと持ってきてくれることも。
・リンゴを切ってくれることも。
全部、私を愛してくれているから。
彼はこれまでのパートナーシップで、
「自分の注ぐ愛を受け取ってもらったと感じられなかった」
傷があるので、
私は彼の行動や在り方に愛を感じた時は、
意識してそのことを伝えるようにしています。
「愛を感じる」って。
そう伝えることで、彼はすごく喜んでくれるんですよね。
私が彼の愛を受け取ると、彼は喜ぶ。
私が彼の愛を受け取って、幸せでいるだけで、
彼は幸せでいてくれる。
幸せな循環。
私は、元夫にもとても愛されていました。
元夫の愛情表現は、直接的じゃなかったけれど、
とても大きな愛を与えてくれていました。
・ストレスを膨大に抱える仕事を誠実にし続けてくれていたことも。
・私のしたいことを、全部させてくれたことも。
・彼のお給料を私に全部預けて、私のしたいことのために使わせてくれていたことも。
・わがままをいつも聞いてくれたことも。
全部が愛だった。大きすぎる愛だった。
そして離婚した今なお、
彼が心を閉ざしているのも、怒りがあるのも、
私を愛してくれていたからこそなんだって、わかります。
怒りの奥に、閉ざした心の奥に、今なお彼の愛を感じる。
元夫からも、今のパートナーからも、
こんなに深く深く愛されて、
なんて幸せ者なんだろう私は、
と思う。
元夫とは、今はもう「循環」はない。
今、そしてこれから、
「愛の循環」を大きくしていくのは、
今のパートナーと。
私たちの間で生まれ、私たちの間で循環している愛を、
「ここから外に循環させてゆく形」を。
「ここから創造できること」を、
2人で探っています。
ここで生まれる愛のエネルギーを、
私たちの願いに沿って
世界に貢献するものにしていきたいから。