「地もなく、遣水もなき所に、石をたつる事あり。これを枯れ水となづく」龍安寺石庭、枯山水。
学生時代、京都に住んでおりました。
京都にはたくさんの有名な寺社仏閣がありますが、管理人はこの龍安寺の石庭をぼぉ~っと眺めるのが
すごく好きでしたね~。何だかとても落ち着くんです。
禅宗の美を極めた75坪ほどのこの空間に15個の石が設置されてます。
この15個の石はどこから数えても、ひとつの石が他の石に隠れてしまって14個しか数えられないんです。
15個数えるためには、天からしかできない。
「天から」・・・それは神=完璧を意味する。
14個しか数えられないのは、それは人間はそもそも「不完全」なものだから。
日本には「物事は完成した時点から崩壊が始まる」という思想があり、
建造物などはわざと不完全なままにしておくことがある。
当時、そう教えられた記憶があります。
石庭をのぞむ「方丈」と呼ばれる建物の裏に、「つくばい」という手水鉢があります。
書かれているのは「我ただ足ることを知る」という文字。
ここで手を洗い、心のチリアカを落としてまっさらな心で庭を眺めると、意味するものが見えてくる。
15という数字は月の満ち欠けからきたもので、東洋では完璧という意味を持つ。
満月は十五夜だが、石庭で数えられる石はひとつ足りない14。
石庭とつくばいが教えているのは、自分の欠点を知り、試練と立ち向かう力を身につけ、
常に満足する心を忘れてはならないという、禅にも通じる心構えである。
とも、教えられましたなぁ~。。。
当時(いや多分今でもですが)、完璧を求めて行動したつもりなのに、完璧にならないことに
苛立ちを覚え、本当は誰も責めていないのに、足りていないことを自分で自分を責めてみたり。
管理人がこの庭でぼぉ~っとするのが好きだったのは、「完璧である必要はないんだよ。」という
メッセージを受け取っていたからかも知れません。
そうすることにより、自分で自分が許せて、心が休まって軽くなっていたんでしょう。
そう言えば・・・ダイエーの旧ロゴ(円の左下がカットされたようなロゴ)も完璧でないということを
意味したものだと聞いたこともありました。
そして、GREEN*GRACEのGREENも「未熟な」=「成長する」という意味合いから付けたのだと
今更思い出している情けない管理人です。
こんな未熟な犬舎主ですが、長ぁぁぁ~い目で見ていただけると有難いですm(_ _ )m
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さてさて、京都の観光についてひとつ。
『京の観光は、人の少ないときに行きなはれ』でございます。
桜や紅葉のときも確かに美しいですが、如何せん人が多すぎる(x_x;)
人が多すぎると風情がなくていけません。
こういった寺社仏閣は、少ない人のなかでゆっくりと時間をかけて風情も堪能してください。
時期としては、葵祭りが終わった今くらいの時期から、祇園祭が始まる7月の前半まで。
それと、冬の京都。 寒いですが、それがいーんです。
背筋も伸びますしね(*≧m≦*)
