引き続き、「覚醒の炎 - プンジャジの教え」から。 

(太字、アンダーラインは私によります。)

 

p113

 

 

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物事と一つになって、ただ静かにしていなさい

そうすれば間違った見解はひとりでに消え去る

 

もしこのように生きるなら、すべてはそれ自体で治まるだろう。

 

ほとんどの人が受容性に達しようとして活動を止めようとする。

 

だが、いまだに働いていることになるのだ。

 

なぜなら、活動を止めようとする努力そのものが活動性に満ちているからだ。

 

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以下は、奇跡講座 ワークブック編 赦しとは何か

 

p477

 

 

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一方、赦しは、じっと静かにしていて、何もしない。

 

実相のどの側面をも害することはせず、自らが好む外観へとねじ曲げようともしない。

 

ただ見て、待つのみであり、判断はしない。

 

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JACIM さん出版の小冊子には、「見る」とは「自我をみる」という説明がされています。 (「思考の逆転 - 奇跡講座の赦しのプロセス」 p114)

 

 

つい最近まで、自我の声がうるさくて、どうにかしたいとき、「ねじ曲げよう」とせず、「ただ静かに見て」いるつもりでした。。。

 

 

が、その行為?想念自体が、ある種「活動」だったんだなと思います。

 

結局、なにをやろうとしても、「私」がやっていることになってしまう・・・のだなと。

 

なので、自分の思考、感情に「気づく」、「そうなんだなー」と確認する・・・ぐらいしかできないのかな思います。 (これをするときに、「在る」だけの自分とつながるとやりやすいことにも気が付きました。。。。)

 

取り留めないですが・・・・。