以下、中野真作さんのブログから。

 

 

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そもそも、「私」という感覚、自己感覚とは、エネルギーの収縮、こわばりそのもののことですから、収縮が緩んでくると「私」という感覚が緩み始めます。「私はこれこれこんな人間である」という感覚、自分を何かに特定する感覚が小さくなってくるのです。

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http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-177.html

 

 

以前、「自分」という感覚をドーナツに例えて、お話ししたのですが、イラスト書いてみました。

 

 

通常、だいたい人生前半(大人になるまでに)、「自分」という感覚がつくられてきます

(ドナーツの穴の周りの部分。)

 

 

 

 

 

そのまま、人生が順調であれば、ドーナツにはなにも変化はないと思います。 ドーナツのままで、日常を問題な送れるからだと思います。

 

 

 

 しかし、なにかのきっかけで、だんだん、生きづらくなったり、気持ちが沈んだり、このままでいいのか疑問がわいたり、かといってどうしていいかわからない(中年の危機など)、という状態になると、いわゆる「自分探し」や「自分と向き合う」タイミングが訪れることが多いようです。

 

 

 

 

また、いろいろな条件や、人生での経験、重圧、苦しみなどが重なって、「気付き」のプロセスが早まったり、突然、なにかが起こる(一瞥体験など)ということもあるようです。

 

 

 

どういった人に探究心が起こるのか、まったくもって謎ですww,

 

 

 

でも、いろいろな「苦しみ」「生きづらさ」から抜け出すために、本を読んだり、知識を得たり、自分を見つめ直したり、自分を癒したり、といった心理的な作業が進むと、根本的には、「自分」という「こわばり」が緩んできます。

 

 

 

そういった、気づきが深まると、ドーナツの周りの部分(=「自分」という感覚) が、どんどん細ーくなっていくような感じがします。

 

 

 

 

 

 

 

「自分」が「自分」だと思っていたもの(=「自分」という感覚)は、今までの人生を生き残るため、つまり、サバイバルで養ってきた観念や、思い込みでできています。 

 

 

 

 

 

いろいろなプロセスを通して、「こわばり」が緩んでくると、自然と気持ちも楽になってきます。

 

 

 

「自分」が「自分」だと思っていたもの(=「自分」という感覚)、それらが薄くなればなるほど、「自分」と思っていたものは実は存在しないのではないかという感じが高まってきます。

 

 

 

まんなかの「空洞」、「空」の空間がだんだん意識しやすくなるんだと思います。

 

 

 

 

 

 

究極まで行くと、そもそも、ドーナツ自体がなかったという気づきもあるのではないでしょうか。

 

 

いわゆる?「私はいない」といった感覚。

 

 

 

 

 

癒しが進んでくると、「自分」という感覚が自然と弱くなり、「自分」という感覚がだんだん薄くなってきます。

 

 

 

完全なワンネスまでとはいかなくても、日常で「自分」と「世界」は実はもともと同じ(一体)だったんだ・・・という感覚がよく訪れるようになってきます。
 

 

 

 

「非二元」とか「悟り」とか、「アセンション」とか、いろいろひな「表記」はありますが、「あそこでああいってたのは、これなのねー」という感じ、体感としてわかる感じがあります。

 

 

 

今、なんらかの「苦しい感じ」がある人は、それは癒しのチャンスなので、じっくり見てみるといいかも知れません。。。。