質問者:
「気付きの意識」自体が「気付きの意識」に気が付くことができるのでしょうか。
以下全部ムージ(補足情報・解釈も入っています):
この質問は、いわるゆ「最終地点」に近い質問です。とても良い質問です。
最終的な要素がある質問はとても重要です。
通常、質問の多くが、ほかの疑問点を次々に浮かび上がらせ、質問が積み上げられ、質問だらけになります。
良い質問とは(この質問のように)、他の質問もすべて網羅し、それらを消滅させ、最後にはその質問自体も消えていく・・・といったものです。
ですから、こういった質問は、「最終地点の質問」なのです。
この質問の前に、明確になっていなければならないことが あります。
あなたの経験、観念、あなたに関わる全てのことは、「あなた」がここにいることが前提に成り立っています。
こういうと、多くに人は「あれもこれもあるのに、なぜそんなことが言えるのか。。」などと言います。
「あれもこれも」あるのは、「あなた」が(当たり前ですが)居なければ存在しません。
つまり、「あなた」がここに存在しなければ、なにも存在しないのです。
「あなた」の存在が全ての根本にあるのです。
「あなた」がいなければ、「神」もいません。
「神」や、あなたの周りのすべてのもの、を経験するためには「あなた」がまず、存在する必要があるのです。
ですから、この「あなた」の視点に気が付いている必要があります。
あなたの見ている世界が、すべてあなたの観念・思考の産物であるとわかっていますか。
それがわかってるのなら、この「世界」がすべての人の「(それぞれの)世界」ではなく、「あなたバージョン」の世界であるとわかっているはずです。
ここで重要なのは、あなたの見ている世界にあるものではなく、それらをみているものは何なのか、ということです。
多くの人が、「記憶」のなかで生きています。
その「記憶」ですら、「誰」が知覚しているのでしょうか。
「気付きの意識」自体が「気付きの意識」に気が付くことができるのか。
「あなた」がそれを知覚しています。「あなた」が「気付きの意識」です。
「あなた」がすべてに気づいています。
「あなた」が気付いているあらゆるものの中で、一番繊細なもの、「とらえ難い」ものは、例えば、あなたの周りの「空間」でしょうか。
「空間」をとらえるためにあなたは、さらに繊細さが必要になりますね。
(ここでさらにこの「繊細さ」深めてみてください。)
「気付きの意識」自体が「気付きの意識」に気が付くことができるのか。
という質問ですが、仮に、私が答えを言えば、あなたの「思考」・「理解」が「わたしは理解した」と思うでしょう。
そうなるとあなたは(質問の答えを)「体感」で知ることができません。
あなたが、「体感」するためには、
あなたの「注意」「意識」が(通常向かっているところの)「外側」ではなく、
「源」・「内側」に向かう必要があります。
そこなにがあるでしょうか。
(それがあなたの内側にあるものですら、) 「知覚」できるものはすべて、なんらかの「質感」があります。
色や、形、高さ、深さといったものです。
思考はそういったものがないと、困るのです。
「比較」や、「解釈」が「思考」の「仕事」ですから。
「気付きの意識」自体が「気付きの意識」に気が付くことができるのか。
考えてみてください。
ほんとうに「内側」に入った時に、「気付いている人」(= 気付きの意識)ですら、そこに存在するでしょうか。
どんなに頑張っても、あなたの「思考」「観念」が理解できる回答を見つけることはできません。
(その回答が「理論的」「知性・知識・頭の理解」に基づく回答である必要があるからです。)
「気付きの意識」自体が「気付きの意識」に気が付くことができるのか。
という質問は、「直接体験」にのみ回答が得られます。
「直接体験」のみです。
頭で「理解」できるものは、ここでは価値のないものだからです。