安心して仕事をしたり、

よりよい学校生活を送ったりできるかどうかは

仕事をしている人にとっては重要ではない

 

ということに気づき始めた

 

五十の春(Oざき風)

盗んだバイクで走ったりはしませんが

自転車自転車

 

これまでの私の視点がだいぶ世間一般の社会人と

かけはなれているのかなと思う今日この頃です

たぶん、組織のトップの意向も反映しているのだと思う

 

 

「自分が組織のために役の立てるかどうか」

だれにも見えない人間関係や雰囲気づくりが

組織に最も大切な要素であり、働きやすさであると

容易に理解はできるものの、

それをどう実現するかを身をもって行動したり

提案することはタブーのように思われる

 

しかし、それに賛同して(裏切りのない)

人間に囲まれているのならばそうとも思えないが

実際の職場の一部の人たちには

働きやすい=仕事をしないことは悪である

というとらえられ方もされてしまう

 

挙句の果てには「暇人には仕事を与えろ」などと

突き上げられる

 

若いころにはそんなこともわからないから

断り方やできない自分を演じることなど

引き出しにはなかった

最後には、倒れるまで働き

身も心も擦り切れるまでぼろ雑巾になっている

 

頑張ることを強いながらも

出る杭は打たれるような社会は公平性に欠け

生きにくい

 

ほどよい中で気持ちよく快適にできるには

自分のいい加減を身に着けながらも

取捨選択ののちに精選推敲し

ほどよく心地よい人間関係のもとで

よい循環を得られる努力をしていくことが

一番大切であり、

円満にものごとを解決することができる

 

10年近く同じ組織の中で生き残ることで

得られた知恵や経験は貴重なものである