踊り念仏って日本史で習った気がする。
お経を唱えるとき、じっとしていられなかったんだろうな。
身体全部を使って、仏様に自分の念を伝えたかったのかと思うと、
僧侶がアーティストのように見えてくる。
今年の自分を振り返るときに、一貫した何かを挙げるとしたら「身体と心」なのかしらね
身体がぼろぼろだと、心がおいてけぼりになる。
心が脆いと、身体も一緒に弱ってしまう。
でも、身体の新しい使い方を知るだけで、新しい空気を吸えて、心が満ち足りる。
そして身体の幹を意識すると、心に芯ができます。心が迷った時、そんな自分を許してあげることができるようになる。人にも優しくなれる。
心のきれいな人の傍に身を置くと、心が洗われる。
心が洗われると、身体を思い切り動かしたくなる。
大好きな人に心をこめて届けたいとき、
身体の奥に眠っていた喜怒哀楽の機微を、丸ごと表現できるようになる。
縮こまった身体をうーんと伸ばすと、心と身体がお揃いで解きほぐされる。
不思議なことに、これらすべてを実感できた幸せな1年だったように思う。
身体はいつかなくなるけど、心は残る、って言いますね
じゃあ身体って、心って、なんなんだろうなとか考えると立ち行かなくなってしまうけど
自分の身体を最大限に使って心をアウトプットしてゆく日々が、続いているだけだと思う
そうすれば強くなって、優しくもなって、面白くも美しくもなっていくものなんだと思う
心と身体が寄り添っていけることが、まっすぐ生きるためのコンパスになっているのかな
A sound mind in a sound body.って英語で習った気もする。
来年は何しよう。
ヨガとランニング以外のスポーツ始めたい。
英語もピアノも本格復帰したい。
FP2級とCDAの資格を本気で取りたい。
僧侶ばりに体当たりで自己表現したい。届けたい。動きたい。唱えたい。受け止めたい。
そして自分のことを大切にしてくれる僧侶のことを大切にしたい。
身体と心の赴くところへ。
よく聴いて、よく見てよく対話して。
心躍って、身体踊って。
お経を唱えるとき、じっとしていられなかったんだろうな。
身体全部を使って、仏様に自分の念を伝えたかったのかと思うと、
僧侶がアーティストのように見えてくる。
今年の自分を振り返るときに、一貫した何かを挙げるとしたら「身体と心」なのかしらね
身体がぼろぼろだと、心がおいてけぼりになる。
心が脆いと、身体も一緒に弱ってしまう。
でも、身体の新しい使い方を知るだけで、新しい空気を吸えて、心が満ち足りる。
そして身体の幹を意識すると、心に芯ができます。心が迷った時、そんな自分を許してあげることができるようになる。人にも優しくなれる。
心のきれいな人の傍に身を置くと、心が洗われる。
心が洗われると、身体を思い切り動かしたくなる。
大好きな人に心をこめて届けたいとき、
身体の奥に眠っていた喜怒哀楽の機微を、丸ごと表現できるようになる。
縮こまった身体をうーんと伸ばすと、心と身体がお揃いで解きほぐされる。
不思議なことに、これらすべてを実感できた幸せな1年だったように思う。
身体はいつかなくなるけど、心は残る、って言いますね
じゃあ身体って、心って、なんなんだろうなとか考えると立ち行かなくなってしまうけど
自分の身体を最大限に使って心をアウトプットしてゆく日々が、続いているだけだと思う
そうすれば強くなって、優しくもなって、面白くも美しくもなっていくものなんだと思う
心と身体が寄り添っていけることが、まっすぐ生きるためのコンパスになっているのかな
A sound mind in a sound body.って英語で習った気もする。
来年は何しよう。
ヨガとランニング以外のスポーツ始めたい。
英語もピアノも本格復帰したい。
FP2級とCDAの資格を本気で取りたい。
僧侶ばりに体当たりで自己表現したい。届けたい。動きたい。唱えたい。受け止めたい。
そして自分のことを大切にしてくれる僧侶のことを大切にしたい。
身体と心の赴くところへ。
よく聴いて、よく見てよく対話して。
心躍って、身体踊って。
