私にはときどき、なぜか不思議な声が聞こえたりしますが、
その声の主はわかりませんし、
声の真意を、私自身が理解しきれないことがよくあります。
「声」は詳細に、その意味や意図を教えてはくれません。
ましてや私が聞きたいことや、「答え」などは教えてくれません。
のちにその「声」が現実になったとき、そういうことだったのか~と、後で理解することもあります。
アメリカの高速道路を機嫌よく運転していたときも、その「声」は突然やってきました。
「近々、忙しくなる」
私は、「はいはい、週末にあの予定があるからね~。」と頭の中で答えると、
「ちがう」と、ビシッと遮られます
「あー、はいはい。あっちの予定のことね」と私が言うと、
「そういう忙しさではない」と言ってくるのです
まだまだ「声」というものの存在を受け入れられなかった若い頃は、
「そっちからふっかけておいて・・・」
とモヤモヤすることがよくありました
それでも納得がいかないので、家に帰って夫にその話をすると、
「ちょっと待って。誰が君にそう言って、君は誰に答えたの?」と、
予想通り、他人を混乱の渦に放りこんでしまいます
私はいたって現実を生きる人間でもあるので、
理屈の通らないことで振り回されるのはイヤでしたし、
もしかして声が聞こえる症状は、精神的な病気なのではと疑ってもいました。
そして、その「声」とのやりとりの一週間後、
仲良くしていた日本人の知り合いから、ご主人が行方不明になったという連絡がはいりました。
外出先で脳の血管が破裂したため、意識不明の状態でその後発見されたとのことだったのですが、
身寄りがアメリカに全くいない知り合いの、身の回りのお手伝い一切を私がすることとなったのです。
これが「忙しい」と言わずして、何を忙しいというのか。。。というほど、
わが身を削って、その人のために駆け回ることになりました。
その後も不思議な出来事が続き、
「あ~これのことか。。。忙しくなるってのは」と、
パズルが一気にはまるように合点がいったのです。
知り合いのお手伝いをしている間、
知り合いの家に行くと、
ベランダから幽霊が出迎えてくれたというおまけもあったのですが、
「声」はそのことについては、前もって教えてくれていませんでした
またそれから1か月ほどしたある日。
私は夫と呑気にテレビを観ていたのですが、突然体の調子が悪くなり床に倒れてしまいました
経験したことのない苦しさにじたばたしながら、私はこのまま死ぬんだと覚悟を決めたほどでした。
しかし1分くらいすると、嘘のように体がもとに戻ったのです。
「あれ?今のなんだったの?」というくらい、けろっとしています
あまりの落差に、夫も「えっ、大丈夫?もう救急車呼ばなくていいの?」と驚いています。
それから1時間くらい経ったでしょうか。
例の知り合いが、ご主人が入院する病院から電話をかけてきました。
「さっき、亡くなったの」と、
沈んだ声で悲しい通知をうけました。
「19時38分。亡くなる直前には、苦しそうにじたばたしたけど、今は安らかな顔だよ。」とのこと。
私が苦しんだ数分間は、まさにその時間ピッタリでした。
私は個人的に知り合いのご主人と交友がなく、その方に対しては特別な感情も繋がりもあったわけでもありません。
あの出来事を、前もって知らせてくれた「声」の真意は今もわかりません。
しかし、あれから17年、
私の人生が「声」にどれだけ守られ、
導かれているかを知ることになります。
今はその「声」を、心の中心に添えて生きていますが、
やはりその真意を受け取るのは難しいと、今だに感じることがあります。
「声」は、
「今の私」が持つ、ものに対する見え方、感じ方、考え方を通して聞くので、
その意味の捉え方には「私」というフィルターがかかります。
「声」が聞こえるということが、どんなに奇跡のように感じられても、
その本当の意味を知るには、
自分の足で人生の経験を積み重ね、
「声」を理解できる同じ心を育てないといけないんだとも気づきました。
同時に、
「声」の意味を理解できるようになれば、
必ず大きな気づきになることも知りました。
つづきます。。。