最近僕の身の回りの状況が変わってきた。
雰囲気が変わったというか、今までとは違う種類の大きな流れみたいなものを感じる。
それは何者かによるものなのか己の意思の力によるものなのかは定かではないが、
一つ自分の中で大きな変化があった。
今までは、何かが起こるたびに、そのことについて何か意味はあるのか、それが存在している理由は何だ、と言う風にすべてのことに対して自分の「考え」を持ち出し、それを持って気運をコントロールしようとしていた。
しかし最近この「考える」と言うのをいっさい止めて、自分の感情や思念を徹底して「観察する」ことにした。
非常に伝わりづらいが、これは何も考えない、何も感じないと言うことではない。
日常の生活は今までの人間通り、嬉しかったり、悲しかったり、イライラしたりしている。
そして善悪や美醜、優劣などはつけないという薄っぺらい善人然とした価値観の転換でもない。
すべてのものに存在するだけで価値があるのは認めるが、決して価値が同じわけではない。
好きとか嫌いとか、綺麗だとか汚いとか、素晴らしいとか糞だとかいう感情に一喜一憂している。
しかしそのことについて考えないと言うことである。
そのことについて自分の中の自分が完全なる観察者となって、なるべく漏らさぬように目撃しようとしている。
ただ川のように滔々と流れていく様を見つめている。
するとどうだろう。心の安定感が格段に増し、現世のことを現世で考え悩むという感覚から、
現世のことを一個上の次元から見ているような感覚になる。
そしてにわかに気運が上がりだし、物事が非常にスムースに流れていく。
あくまで自分の予想だが、自分の中の自分が「考える」ということを行うと、まるで川をさかのぼって泳ぐように、川の推進力をもろに受け止めて、苦しい思いをするのではないかという気がする。
ただ観察するという行為も考えるのと同じくらいの集中力を必要とする。
しかし至極自然な状態であることを認識できる。
これは川の流れに身を任せ自分の進むべき道に集中するということなのではなかろうか。
もちろん、あらゆる物事に偶然はないと思っている。例外なく。
しかし起こった、もしくは起こっている現象自体は、ただの事象である。
それ自体には何の意味も意思もない。
このニュアンスが伝わるだろうか。
いずれにせよ、この自分の中の自分が「考える」と言うことを止め、
ただ集中して「観察」すると言うことを騙されたと思って試してほしい。
うまくいくと自分でも信じられないスピードで物事が解決するかもしれない。
