私のお友達は私がファッション好きなことは
よぉーーくご存知だと思いますが
どうして
エコ?
と思ってらっしゃる方がいると思いますし、
興味の発端を、
自己紹介をかねて書きます
私は日本の大学を卒業後に
イギリスの大学院に進学しました
日本の大学の卒論テーマは「ファッションと裸」です
要は、ファッションとセクシュアリティとかエロティシズムの関係性に
興味があって研究しておりました
で、研究していくうちに、
女性のセクシュアリティや快楽というものに
もっと着眼して勉強してみたいなと思ったわけです
それで女性学が盛んなイギリスへ
しかしながら女性学の中では、
ファッションはあまり好かれるトピックではなかった
おおまかに二つ理由がありました
一つは、コルセットの歴史にはじまり
現在多くみられるエロティックなファッション広告などを挙げて、
ファッションは、女性を男性的・支配的な視野の中に封じ込め、
女性を性的なオブジェになりさげる、という批判
そしてもう一つが、
ファッションは西洋的な、特権者階級に限られたものである、という批判です
大量消費の時代が到来すると、
もの作りは賃金が安い国へと移っていき、
その中で、第三国の女性が虐げられながら働いているという
暗い事実が生まれてしまいました
それ故、ファッションに興じることは
先進国の女性が、同じ仲間である女性を苦しめていることと同義だ!
と批判されるのです
(かなーり細かい部分をはしょって端的に書いています)
女性の社会的・文化的地位の向上や、
女性同士の結束(これは矛盾をはらんでいますが)を目指している女性学において、
これは非常に反女性学的と言えるでしょう
私は主に一つ目の批判に反論すべく、
ファッションにおける視覚的要素ではなく、
布地が皮膚に触れる、その触覚的な交感に着目して、
女性の主体的な快楽やセクシュアリティを主張していました
二つ目の批判については
もちろんそうした批判があることについては
認識していましたが
私は触覚やセクシュアリティについて焦点を当てていたので
修士論文では注釈に書くにとどまり、
きちんと追求はしてきませんでした
その注は以下のような感じです
「もちろん、ファッションを楽しめる女性がいる傍らで、
どこかの国で、女性が虐げられているかもしれない
しかし、
衣服がどこからやってきたか、どのような過程でつくられたか、
そのような点は私の議論とずれてしまうため、
この論文では取り上げない
そのような問題はあるにしても、
どんな女性にでも、どこに住んでいても、
触覚的な快楽を感じ、主体的にファッションを楽しめる可能性がある」
テーマがあちらこちらに飛んでいては良い論文は書けないので
私がファッションにおける倫理的な問題について触れなかったのは
正しい判断だったと思います
それだけで一個論文が書けるくらいだと思いますから
けれども、そんな注を書いてから
やっぱりどこかでひっかかる思いがありました
衣服がどこからきたか、
それって本当はとてもとても重要なトピックなのではないか、と
注で、一文ですまされることじゃないんじゃないか、と
イギリスに住んでいた時、
よく一般消費者のデモに遭遇しました
標的は激安ライフスタイルブランド<PRIMARK>
Tシャツなどのトップスはだいたい5~6ポンドくらい(2000円以下)で買えて
コートとかも、きっと30~40ポンドとかだと思います
(私自身、洋服をPRIMARKで買った事はないのでうるおぼえです・・・)
そんなPRIMARKは<Sweatshop>だ!と抗議されていました
<Sweatshop>とは、安い賃金で悪条件の中で働かされる職場のことで、
特にアパレルの工場などに対して使われる単語です
世界の小売第一であるウォルマートも度々そうした批判をされていますが、
要するに、あれだけ安いのは、
裏で働いている人たちが安い賃金しか払われていないからだ!
倫理的に正しくない!
そんな企業はこの街から出て行け!
というのがデモ隊の主張でした
こんなデモの様子も見ていたこともあって
ファッションを楽しむ心が
どこかでちくりちくりと痛みました
もちろんファッションの楽しさや豊かさを信じて疑わなかったけれども、
もしかしたらそのファッションが
どこかの誰かの生活を
苦しめているかもしれない・・・・
そんなやりきれない複雑な思いが
私の心に渦巻き始めたのです
このようにして私は
いつからか
ファッションを楽しむことと
ファッションの倫理的な正しさのバランス
について
知らず知らずに模索するようになりました
そして
あるファッションブランドとの出会いが
私に明快な答えを示してくれたのです!
そしてエコについても考えるようになったのです!
・・・・が
それはまた次回に書きます笑
よぉーーくご存知だと思いますが
どうして
エコ?
と思ってらっしゃる方がいると思いますし、
興味の発端を、
自己紹介をかねて書きます
私は日本の大学を卒業後に
イギリスの大学院に進学しました
日本の大学の卒論テーマは「ファッションと裸」です
要は、ファッションとセクシュアリティとかエロティシズムの関係性に
興味があって研究しておりました
で、研究していくうちに、
女性のセクシュアリティや快楽というものに
もっと着眼して勉強してみたいなと思ったわけです
それで女性学が盛んなイギリスへ
しかしながら女性学の中では、
ファッションはあまり好かれるトピックではなかった
おおまかに二つ理由がありました
一つは、コルセットの歴史にはじまり
現在多くみられるエロティックなファッション広告などを挙げて、
ファッションは、女性を男性的・支配的な視野の中に封じ込め、
女性を性的なオブジェになりさげる、という批判
そしてもう一つが、
ファッションは西洋的な、特権者階級に限られたものである、という批判です
大量消費の時代が到来すると、
もの作りは賃金が安い国へと移っていき、
その中で、第三国の女性が虐げられながら働いているという
暗い事実が生まれてしまいました
それ故、ファッションに興じることは
先進国の女性が、同じ仲間である女性を苦しめていることと同義だ!
と批判されるのです
(かなーり細かい部分をはしょって端的に書いています)
女性の社会的・文化的地位の向上や、
女性同士の結束(これは矛盾をはらんでいますが)を目指している女性学において、
これは非常に反女性学的と言えるでしょう
私は主に一つ目の批判に反論すべく、
ファッションにおける視覚的要素ではなく、
布地が皮膚に触れる、その触覚的な交感に着目して、
女性の主体的な快楽やセクシュアリティを主張していました
二つ目の批判については
もちろんそうした批判があることについては
認識していましたが
私は触覚やセクシュアリティについて焦点を当てていたので
修士論文では注釈に書くにとどまり、
きちんと追求はしてきませんでした
その注は以下のような感じです
「もちろん、ファッションを楽しめる女性がいる傍らで、
どこかの国で、女性が虐げられているかもしれない
しかし、
衣服がどこからやってきたか、どのような過程でつくられたか、
そのような点は私の議論とずれてしまうため、
この論文では取り上げない
そのような問題はあるにしても、
どんな女性にでも、どこに住んでいても、
触覚的な快楽を感じ、主体的にファッションを楽しめる可能性がある」
テーマがあちらこちらに飛んでいては良い論文は書けないので
私がファッションにおける倫理的な問題について触れなかったのは
正しい判断だったと思います
それだけで一個論文が書けるくらいだと思いますから
けれども、そんな注を書いてから
やっぱりどこかでひっかかる思いがありました
衣服がどこからきたか、
それって本当はとてもとても重要なトピックなのではないか、と
注で、一文ですまされることじゃないんじゃないか、と
イギリスに住んでいた時、
よく一般消費者のデモに遭遇しました
標的は激安ライフスタイルブランド<PRIMARK>
Tシャツなどのトップスはだいたい5~6ポンドくらい(2000円以下)で買えて
コートとかも、きっと30~40ポンドとかだと思います
(私自身、洋服をPRIMARKで買った事はないのでうるおぼえです・・・)
そんなPRIMARKは<Sweatshop>だ!と抗議されていました
<Sweatshop>とは、安い賃金で悪条件の中で働かされる職場のことで、
特にアパレルの工場などに対して使われる単語です
世界の小売第一であるウォルマートも度々そうした批判をされていますが、
要するに、あれだけ安いのは、
裏で働いている人たちが安い賃金しか払われていないからだ!
倫理的に正しくない!
そんな企業はこの街から出て行け!
というのがデモ隊の主張でした
こんなデモの様子も見ていたこともあって
ファッションを楽しむ心が
どこかでちくりちくりと痛みました
もちろんファッションの楽しさや豊かさを信じて疑わなかったけれども、
もしかしたらそのファッションが
どこかの誰かの生活を
苦しめているかもしれない・・・・
そんなやりきれない複雑な思いが
私の心に渦巻き始めたのです
このようにして私は
いつからか
ファッションを楽しむことと
ファッションの倫理的な正しさのバランス
について
知らず知らずに模索するようになりました
そして
あるファッションブランドとの出会いが
私に明快な答えを示してくれたのです!
そしてエコについても考えるようになったのです!
・・・・が
それはまた次回に書きます笑