思い出すのはどんな顔?

人が亡くなった後、思い出すのは

その人のどんな顔だろう。。。


最近、そんなことを痛烈に思うできごとがあった。


中学生の時、初めて買ったCDが、

KANの『野球選手が夢だった』。

『愛は勝つ』が大ヒットして、

日本中で歌われてた時、

それが入ったアルバムをお小遣いでルンルン


アルバムを聴くと、 

それ以外の曲もめちゃくちゃよくておねがい

きれいなピアノのメロディにのせた切ないラブソングから、

ふざけたポップチューンではダジャレの応酬笑い


何度も何度も聴いてた。


大学生の時に、同じくファンの友達と出会い、

ライブに行くようになり、

ふざけたコントみたいな、

それでいてめちゃくちゃ考えられた舞台は

抱腹絶倒、音楽と笑い同じくらいたのしくて

とりこになるラブラブ


とにかくKANといえば、からみつくユーモア。

人を楽しませようと、全力でふざけるピアノマン。


歌詞を考えるのが1番大変と言ってた通り、

つむがれた言葉たちはやさしくて、

私の人生のいろんな節目を彩ってくれた…。






 

いつも全力でふざけてた

そんなKANちゃんが、亡くなった。

子育てが落ち着いたら、ライブに行こう。

ふざけてるのか、ほんとうにボケちゃったのか

わならなくなるくらい歳をとって

かわいいおじいちゃんになるんだろうなと

勝手に思ってた。


でも、そんな日は来なかった。


あまりに哀しくて、受け止められなくて、

追悼のラジオ番組ばかり聴いていた。


KANちゃんと仲良しだった、

スターダストレビューの根本要さん。

要さんがこんなことを言っていた。


「お葬式やお通夜にも参列したけど、

なんだか不思議と悲しい感情は出てこなかったんだ。

思い出すのは、いつもふざけて笑わせてくれた

そんなことばかりなんだよね。」



臨終の床で、同じく親交の深かった

秦基博さんに交わした言葉は、

どんな言葉をかけようか迷ってる秦さんの

はるか斜め上の、ユーモアだったそうで。


「一重(まぶた)アーティストは、

もう君しかいないんだから。たのんだぞ。」


病の宣告を受けた後のSNSの投稿も

ファンを笑わせようとする言葉たちばかりで。

まさかこんなに早く別れが来るとは

周りの関係者もまったくわからなかったそう。




 

humor ユーモアの存在価値。。。

私が学生時代にホームステイしてた家族に、

子育てで1番大切にしていたことを聞いた時、

帰ってきた答えが

「何を食べさせるか」

とか、

「早く寝かせるか」

とか

「自然に触れさせる」じゃなくて

しばらく考えた後に


ユーモア…かな。」と。


ちょうど私も子育てで悩んでた時だったので、

目からウロコの瞬間あんぐり


そういえば、学生時代大好きだった映画は、

『Life is Beautiful 』。

ナチスの過酷な戦時下、ユーモアの愛で包んで、

息子を生き抜かせた

ユダヤ人のお父さんの話に心動かされた。


KANちゃんが亡くなってから、

ずっとユーモアが、頭の中をぐるぐるうずまき


私は死の宣告を受けた後でも、

ユーモアを持ち続けられるだろうか。


私が亡くなった後、残された家族は

私のどんな顔を思い出すんだろう。


KANちゃんがコスプレ姿で

大まじめにピアノを弾いているのを思い出すと

いまでもクスッと笑ってしまう。


こんなお別れ、悪くないな。


私の姿を思い出してくれる時、

家族や友達が、たのしい気持ちになるといいな。

いつも心にユーモアを持てる強さとしなやかさ。

忘れずにいようと思った、2023の師走でした。


今年は大切な人たちが

空へ旅立ってしまったけど、

それぞれから

とても大きな気づきをもらった気がします。


私のかなり個人的な、

今でいえば『推し』ロスについて、

長々と失礼してしまいました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました飛び出すハート