「恋に落ちた時の気持は、なにごとにも変えられないようなすばらしい感覚だ。どきどきと胸が高鳴り、仕事も食事も手につかなくなってしまう。
だから恋の魔力にとらわれて、恋愛中毒になってしまう人もいる。恋愛しているときしか、生きている実感が得られないような状態だ。
もちろん、ふたりのあいだでそんなどきどきする状態は長く続かない。最初のころの不安や心配はなくなり、気持は落ち着いていく。しだいにパートナーがいることに慣れ、相手からの電話にもドキドキしなくなる。
恋愛中毒の人は、その「どきどきする気持」を求めている。だから、パートナーとの関係が安定してくると、次の恋の相手を探す--------そんなことを繰り返すことになる。
恋愛初期の「夜も眠れないし、ほかになにも考えられない」という段階が終わったあとに待っているのはなんなのだろう。.....(著者の言う)ルールを理解し、適切に考え行動できる人ならば、.....そこには静かな充実感が残るのだ。
充実感というのはとても繊細な感覚だ。だから、ほとばしるように高まる激情よりも、ずっと価値があることに気づくのはむずかしい。
しかし、(著者の言う)ルールを取り入れれば、恋のはじめの興奮がゆっくり冷めていくにつれ、そこに「もっと温かくて愛すべきなにか」が生まれるのを感じられるはずだ。
それこそが目指すべき充実感を得られる関係だ。それは、どきどきする恋愛の上をいくものだ。
だれかといっしょにいることで充実感を得られるーーーそれこそがほんとうに深く、最良の恋愛をしているということなのだ。」
(「The rules of love 上手な愛し方」リチャード・テンプラー著、ディスカヴァー 21社刊、より)
どきどきする関係を求めてやまないのは恋愛中毒と著者は言っていますね。
確かに、どきどきすることの魅力は大きいですね。
でも、どきどきする関係はそんなには続かないとのこと。
日本でもよく言われていることですが、著者テンプラー氏の英国でも同じとのこと、恋のトキメキが長続きしないのは洋の東西を問わず同じようですね。
どきどきする関係の後には、著者が大切だと思うやり方で愛を育てる努力をしていれば、「恋の興奮よりももっと愛すべきなにか」がもたらされ、共に居ることで充実感を得られるようになる、それこそが最良の恋愛であると言う訳ですね。
もちろん、彼は別の箇所で、「愛されていないなら自分から別れなさい」「残酷だとしても愛していないなら別れなさい」と言っていますので、互いが愛しあっているカップルについてのことであるわけです。
彼は、「ときめき」の無くなった夫婦生活は一般的でありうるが、どちらかが相手を愛してない夫婦生活は解消すべきとしているので、相手にもはや愛を感じていないけれど、子どもがいるから、あるいは経済的事情で関係を継続することが多そうな日本の夫婦事情に比べ、「愛」に対して真摯であると感じます。
彼はまた、「愛は一生の大問題なのだ。どうしたら愛する人と出会い、愛を確かめ、それをいつまでも新鮮に持続させることができるのだろう。愛することは人間の本能だが、それだけではうまく愛することはむずかしい。愛には取扱説明書が必要なのだ。」と言っています(同上書より)。
どうしたら愛をいつまでも新鮮に持続させることができるのか? 誰にとっても大事なテーマですね。
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