今日の飲みもの
アップルミントティー
ドリンクバーで自分で淹れるタイプ
最近の学び。
「最後自分のお葬式にたくさん
参列してくれたら幸せ」
という、よく聞くセリフの意味について。
夏に、お世話になっている社長さんが亡くなり、
とても顔が広く、
繋いだ縁がたくさんある方だったので、
関係者たちで「偲ぶ会」をやろう
ということになりました。
で、私はその人の古い写真とかを集めた
簡単なムービー制作の担当になり。
(※あくまで素人クオリティのムービー)
ここ数日、制作に勤しんでおり、
仕事以上に打ち込んでしまっています…笑
いや、業務時間に「偲ぶ会」をやるわけだから
仕事の一つには違いないのだけれど、
ついつい
普通の業務そっちのけで没頭してしまうという。
こういうのって、「もっといいもの」
と思うとキリがないですよね…
ムービーをつくっていると、
知らなかったその人の歴史があらためてよくわかるし、
ずっーとその人のこと考え続けていて。
ムービーを見る人にも、功績だけでなく
面倒見が良かった面とか、
ちょっとお茶目なところとか、
伝わってほしいという気持ちがふつふつ湧いてきます。
その中でふと気づいたのは、
「お葬式にたくさん参列してくれたら幸せ」
という話は、たぶん
それまでの過程を言ってるんだなぁ
ということ。
要するに
それまでの人生を善く生きろ
(その象徴がお葬式)、ということ。
考えてみれば
至極あたりまえのことだけれど、
私は気が付かなかったんですよね。
なんなら
「自分のお葬式は自分で見られないのに意味ある」
「多かろうが少なかろうが。
遺族の気持ちには関わるかもしれないけれど…」
くらいに思っていました。
自分のお葬式にたくさん参列してもらえるほど、
「それまでの人生が幸せだった」ってことが
きっと言いたいのですね。
まぁ、いまはお葬式も形骸化してるところもあって、
お葬式の人数=その人の人柄のよさ
とも一概には言えないように感じるけれど
現にその社長のお葬式も、
「仕事の絡みがあるから来てます」
って感じのお偉いさんや政治家とかも多かったし…
だからこそ今度の「偲ぶ会」にこめられた
いろんな人の想いこそが
故人の生きた証のような気もして、
ついつい熱が入ってしまいます。
(とはいえあくまで素人クオリティ。)
あと少し
頑張って仕上げる