此処では乗客7人、全員が降車する。
と、いうのは、此の駅近くの展望台から望む「橋脚を渡る只見線」と云う光景が鉄道写真のビュースポットとして大変有名で。
ガイドブックなどに掲載される只見線の写真といえば、必ず此処からのモノが使用されると言えるほど。
そして現在、紅葉をバックにしたその眺めをひと目見ようと、此の道の駅に観光客が大量に押し寄せて来ていると云う状態なのだ。
あたし達が利用しているバスもまた、近時の列車が橋梁を通過し終わる時まで、此の道の駅で待機する様に出発時間が設定されている。
あたしも早速降り立ち、道の駅をひと回り… そこで販売していた「おにぎり」と「きのこ汁」を購入して軽く昼食を済ませ、歩いて数分の展望台へと向かった。
展望台と言っても、山の斜面、多少平地になっている所に柵を設けてある位の、簡単な造りで。
それも結構急な階段を登らなくては辿り着けず。
高さをずらして3箇所ほど、そんな展望台が作られているのだけど、ほとんどの人が一番低い位置にある展望台に集まっていた。
もちろんあたしも例に漏れず… と云うより、上の展望台迄行ってしまっては、バスの発車時刻迄に下りて来られないと判断し。
残念だけど低所に留まる事にしたのだった。
あたしが展望台に着いたのは、列車通過予定時刻10分前くらい。
マックスでも20人程入るのがやっとと思われる其の展望台も此の時間は、置いてあるベンチに女性がふたり、奥手の方に三脚を立てながらカメラを構える男性が3人、あとは少しでも良い眺めからとベンチ裏の少し斜面になっている所にひとり… と、未だ人混みはなかった。
女性が座るベンチの端にカメラを構えている人の荷物がドンと置かれていて。
その荷物が無ければあとふたりはベンチに座れるし、三脚とか立てなければ、その一番見晴らしが良いであろう場所にもっと沢山の人が立てるのにな… などとは思ったけれど、あまり気にもせず、あたしもベンチ裏の斜面に場所をとった。
ところが… 予定時刻まであと5分と云う頃から一気に観光客がやって来て。
狭い展望台はあっという間に人で埋まり、押すな引くなの大混乱に。
ベンチに座っていた方の前には三重の人だかり、景色どころか何も見えない状況。
更に邪魔だ! どけ! などと云う怒号や暴言まで飛び交い始めて。
え? えーって思っているところに、今度は三脚でカメラを構えていた人が。
「誰だよ! ドローン飛ばしている奴!
邪魔だよ!
あと其処に立たないで! カメラに入るんだよ!
どけよ!」
… と、怒鳴り始め。
此れにはちょっと「カチン」ときたあたし。
「此のカメラの人たちがこんなに場所をとっていなければ、もっとたくさんの人が此の展望台から見られるのに。
何様のつもりでそんなに威張ってるの!?」 … と。
でも此処でトラブルを起こしてもいけないと思い、我慢することにした… 瞬間。
「あ!」
いつの間にか、バスでご一緒しているご夫婦の奥様だけが、あたしの前・ベンチのところに人混みに押し込まれる形で立っていて。
「大丈夫ですか?」
「ええ、でもちょっと足元が…」
足元… 見てみると、ベンチと人とに挟まれてしまって抜け出せなくなっている。
ベンチに一度座らせてしまいたいが、そこには例のカメラの人の大きい荷物が。
「すいません、これだけの人が来ているんです。
此の荷物どかしてもらえませんか」
あたしは思い切って、荷物の持ち主に声をかけた。
すると。
「え? 何?
こっちは朝早くから此処に来て、ずっと場所取ってるんだよ。
後から来てそれは無いでしょう。
譲り合ってさ、気持ちよく眺めなさいよ」
はあ? 譲り合いどころか、早いモノ勝ち!なんてガキみたいなコト言ってるのはそっちじゃん!
それは三脚や荷物を片して、他の人も見られるようにした人が言う言葉でしょう!
「あのねぇ!」
あたしはそのカメラの人に更に言い返そうとした。
ところが。
「いいのよ、大丈夫。 足は抜けたから。
それに私が見られなくても、あっちでお父さんが写真撮ってくれているしね」
人混みに埋もれ景色を見る所では無くなっている奥様が、そう言ってあたしを諌めてくる。
しかし、写真を撮っていると云う旦那様の方を見ても、展望台の入口にすら立てていない状況で。
あの状態で橋梁写真を撮るのは、とてもじゃ無いけど難しそうだった。
「それなら奥様は、あたしのところに来てください。
此処なら見えますし… 場所代りますから」
その時。
「プァー!!」
只見線の列車が汽笛を鳴らしながら橋梁を渡って行く。
こうして観覧しているコトがわかっているからかスピードを落とし、ゆっくりゆっくりと。
だけど、それと反比例するようにあたし達の周りでは、カメラのシャッター音や周りを押し退けながら必至に伸ばされる腕の数が、一気に増えて。
楽しみながら観覧… そんな状況には程遠い状態になった。
それでもあたしは奥様をあたしの場所に引き寄せ、自分は更に後方の斜面に木立を掴みながら立って。
あたしと奥様… ふたりとも、列車の通過を見送る事だけはどうにか出来た。
列車通過後、人だかりはたちまち散開する。
あたしと奥様も旦那様のところに戻ろうと歩みを始めた。
すると後方、例のカメラの人から声がかかる。
「きちんと観たいならもっと早く来なさいよ。
ギリギリに来て、とか… なんて図々しい。
もう少し常識を知りなさいよ」
バスに戻ったあたしは、先程のカメラ野郎の言葉に憤慨! その怒気を隠せずにいた。
すると旦那様が。
「折角の一人旅、そんなことで怒ってしまっては勿体ないよ。
楽しく行こう」
そして奥様も。
「そうよ。 それに私、とても嬉しかったわ。
庇ってくれて本当にありがとう」
…と、言ってくださり。
その言葉に、あたしの心も少しは落ち着きを取り戻せた。
しかし、未だ残る少々のイライラ… このままでは折角の奥会津の旅が、台無しになってしまう。
なのであたしは残りの怒りも此処で一掃してしまおうと、次の停留所で降車し温泉へ立ち寄る事にした。
ご夫婦はその次の停留所・道の駅まで行って、其処でゆっくりするとのことだったので、此処で一旦お別れ。
ちなみに其の停留所・早戸温泉つるの湯で降り立ったのはあたしひとり。
え? 何で? みんな入らないの? って思ったけど。
温泉はゆっくり浸かるもの、慌ただしいスケジュールの中で立ち寄ろうなんて奇特な人間は、あたしだけだと云うことだろう。
だけど… つるの湯のお湯をみて、あたしは超・ビックリ!
だって! なんと! 湯色が凄く茶色い!
どれくらい茶色いかというと湯船の底が全くわからない… 浸した足が瞬く間に見えなくなるくらい。
その昔、鶴が傷を癒したという温泉… 確かにこれは効能がありそうで。
「勿体ないな、みんな来れば良かったのに」
… って、あたしは誘いきれなかったことをちょっと悔やんだ。
少し熱めのお湯と素晴らしい只見川の景色に癒されながら、あたしはイライラと疲労感を瞬く間解消させる。
途中、隣でお湯に浸かっていた地元の方が色々と話しかけてきてくれて。
「此処のお湯に浸かればケガもすぐに治るし、カラダも元気になるよ。
ほら、私なんてコップ持ってきて毎回飲んでるんだから」
…と、マイコップに湯口から温泉を取りコクコクと飲み始めて。
しかし。
「へー、そうしたらお母さんは、胃腸とか丈夫なんですね」
そう、あたしが尋ねると。
「ううん! すぐお腹こわすんだわ、私!
この前も数日寝込んで、お嫁さんに迷惑かけてね、あはは!
お腹には効かないのかね、あははは!」
… と、ひとり漫才。
あたしもつられて大爆笑させてもらった。
お湯から上がり畳敷きの休憩所で休みながら、受付時に頂いた炭酸水を飲む。
水面に紅葉を映す只見川の景勝を眺めつつ、先程のおばさんの話を思い出しひとりクスクスと笑った。
そしてふと… 寂寥の思いを懐く。
此処に類が居たなら、隣り合って景色を楽しみ、温泉で日頃の疲れを癒して。
一緒におばさんの話を笑い… ツボにハマって笑い続ける類、炭酸にムセるあたし。
2人で共に「今」を過ごして、この幸福の思いも倍… ううん、何倍にも出来たろうに。
『… なんで、あたし。
こんな素敵な場所に、ひとりで来ちゃったんだろう。
類が帰って来るのを待って、一緒に来れば良かったな。
そうしたら旅で得られた色んな感動、湧き起こった感情を類と共有しあえたのに』
あたしひとり、こんなに気持ちを持て余す事もなく、2人で分け合い増幅しあって。
『あたし、こんなにひとりで動けない子だったっけ?
類と過ごすようになって、寂しがり屋になったのかな。
それとも欲張りになったのか?
類、どう思う?』
あたしの思いは何時でも類に知っていて欲しい… って。
類と気持ちを、何時も共有していたいって。
そんな我儘な想い… こんなに自分の中に育てていたなんて。
『気づかなかった… あたし。
自分がこんなに類の存在… 何時も求めているコト』
温泉を後にしたあたしは再びバス停へと戻る。
一度先の停車場に行き折り返して来たバスが、あたしのような温泉に立ち寄った乗客を迎えに戻って来てくれていて。
再度バスに乗り込み、あたしもご夫婦を追いかけるように次の停車場、道の駅・奥会津かねやまへと向かった。
到着したかねやまの道の駅もまた、みしま宿の道の駅同様、只見線のビュースポットとして有名な箇所が近くにあるからか、沢山の車、人々でごった返していた。
あたしは道の駅内の売店などを一通り見た後、人混みを避けるように敷地内にある東北電力の水力発電PR施設・みお里を訪ねる。
そして只見川水系の電源開発の歴史や奥会津の景勝紹介の展示などを観覧した後、館内の一角にあるラウンジでコーヒーを一杯頂いた。
ひとり只見川の流れを眺めながら飲むコーヒーは何時も以上にほろ苦く感じて。
『沢山砂糖とミルクを入れる「類・特製カフェ・オ・レ」が飲みたいなぁ』
って、切に思った。
その時。
「間もなく近くの橋梁を只見線が通過しますよ。
ご一緒にいかがですか?」
施設のコンパニオンの女性が突然、あたしの隣に立ち声をかけてくる。
そしてその誘いに、先程のご夫婦が言っていた… 「旅は楽しまなくては」… そんな言葉を、あたしは思い出し。
「うん、ぐじぐじしてるのはあたしらしく無い!
ひとりはひとりで楽しもう!」
… と。
「はい! ご一緒させてください!」
あたしはコンパニオンの彼女に続き施設の外へ出て、只見線の列車通過を見ることにした。
紅葉に染まる山々… その間にある小さな橋を二両編成の列車が通過して行くとのことだった。
だが、予定時間を過ぎても列車は来ない。
1分… 2分… 4分… 間もなく5分になろうと云う時刻になっても来る気配は無い。
「もう行ってしまったのかしら、気付かないうちに。
いつもなら汽笛を鳴らしてくれるから直ぐわかるんですけど…」
他の仕事もあるのだろう、コンパニオンさんはそう残念そうに呟きながら、施設内へと戻って行った。
しかしあたしは、なんとなく此の時の列車を見ておきたくて。
ひとりそのまま、ぼーっと列車が来るのを待ち続けた。
眼下には只見川の滔々とした流れ… そしてそこから吹き上げてくる風には、秋と冬の境界を感じさせる冷風が混じっている。
周囲の山々は錦に染まり、水面に其の姿を映して。
『あー、綺麗… 心が洗われるようだな。
いつまでも見ていたいって思わせる、此の景色を。
郷愁? 自分の田舎でも無いのにな。
また来たい… また戻ってきたい。
そう思わせるんだ… 奥会津、この只見線の絶景は』
そして、あたしがそんな感傷にしみじみ浸っていると。
「お客様、間もなく来ますよ!
前の中川駅を今発車したそうです。
もうすぐですよ!」
先程のコンパニオンさんが戻って来て… どうやら仕事に戻ったのではなく、わざわざ前の駅などに問い合わせをしてくれていたらしい… あたしの隣に再び立ち「一緒に見送りましょうね!」と。
『温かい… ホント温かいんだよね、この町の人達って。
景色だけじゃ無くて、此の温かさにもまた、触れたくなるの。
だから来ちゃう… また来ようって、思うの』
列車は汽笛を周囲の山々に反響させながらやって来る。
先程と同じ、橋梁を渡るときは減速し、まるで列車も此の景観を楽しんでいるかの様に通過して行く。
あたしは子供のようにはしゃぎながらその様子を動画に収め、今の気持ちをこの映像と共に類に伝えようと思った。
「また是非来てくださいね、お待ちしてます」
ずっと一緒に居てくれたコンパニオンさんがさわやかな笑顔を魅せながら、バスに乗り込むあたしを見送ってくれる。
あたしもバスの窓から大きく手を振り、それに応えた。
次の停車場は往路の終点、会津川口駅。
ここまでずっと一緒に乗車してきた人達に訊いてみると、やはり皆、此処でバスを降り、復路は只見線に乗車して会津若松駅に戻ると云う。
楽しい案内をしてくれたバスの運転手さんとも此処でお別れ。
あたしはめいいっぱいの謝意を込めてお礼を言い、バスを降りた。
会津川口の駅は只見川のほとり… これまで以上の紅葉を魅せる山々に囲まれた集落の中にあった。
単線の只見線の中で待ち合わせに使われる駅なのか、これまで車窓から見てきた他の駅と違い、ホーム1面に対し2線の線路、夜間滞泊用の線路もある。
更に駅舎には郵便局とJAが併設されており、この駅が町の中心になっていることが想像出来た。
バス到着時、既にホームにはあたし達が乗車予定の列車も停まっており、更にその車内は昨今の鉄道ブーム、また只見線の全線開通を祝しての観光客到来のおかげか、大変な混雑で。
都内の通勤ラッシュ並みに人々が押し合っていた。
「こんなに沢山の人… 私達は乗れるのかしら」
奥様が不安を漏らす。
「まあ、乗れるだろう。
どちらにしても此の列車に乗らなかったら、次は1、2時間待たなきゃならなくなるんだ、無理にでも乗らないとな。
でもギリギリまでホームで待とうか。
ずっと中に居たら熱気で具合が悪くなりそうだ」
旦那様の言葉にあたし達も同意を示し、発車時刻まで皆でホームで待つことにした。
『川口駅からの眺めは本当に素晴らしかった。
錦繍って、こういう色彩のモノを言うんだろうなって。
此の景色をそのまま着物にして纏ってみたくなるような… そんな美しさ。
… 見せてあげたかったな、類にも。
ひとりで見るなんて、もったいなかったよ…』
あたしは駅からの風景を、時間の許す限り沢山写真に収め類に送信した。
この感動を少しでも類と共有出来たらいいなと思って。
… そういえば此の旅の間、あたしはどれくらいの数のメールを類に送っているだろう?
なんだか相当数の画像やコメントを送信しているような??
『ふふ、ホントこんな四六時中送ってるくらいなら、やっぱり一緒に来るべきだったな。
一人旅って言いつつ全然「ひとり」じゃない、全部類に話しててさ。
でも… 隣にいれば類が何を思ってるのかとか、何を見てるかとか直ぐにわかるのに。
それを感じられないのが… 凄く、寂しい』
その時。
「邪魔だよ!
そこに立たれたら列車が撮れないだろう!
どいてくれよ!」
乗車前、最後に紅葉をバックに列車を撮ろうとしたあたしに、後ろから突然、怒声がかかる。
「え?」
何事かと振り返ると、カメラを構えた男性があたしを凄い剣幕で睨んでいた。
「なんだ、またあんたか!
時間が無いんだ、早く退いてくれ!
発車時刻になっちまうだろうが!」
「は?」
それは先程、みしまの宿近くの展望台でもあたし達を罵った男性達で。
あたしは今度こそ感情のまま、言葉を返す。
「何言ってんですか?
あんた達こそまたそんなに場所をとって!
あんた達の為に此の只見線の列車も、此の素晴らしい景色もあるわけじゃ無いでしょう!
それこそ譲り合いとか常識とか、あんた達こそもう一度勉強してきたら!?」
「何!?」
あたしの言葉に男性達は更に声を強めた。
が、それと同時、発車1分前のコールが駅員さんと思われる人からかかり。
仕方ないので、あたしは撮影を諦めご夫婦と一緒に列車に乗り込もうとした。
しかし、またその時。
「どけ!
それに荷物もあるんだから、もっと奥につめろ!」
… と、カメラの男性達があたし達を押しのけながら無理矢理列車に乗り込んできて。
「あ」
ちょうど乗り込もうとしていた奥様が、それに押され体勢を崩す。
「危ない!」
あたしは慌てて車外に出て奥様のカラダを支えた… が、今度は自分の体勢を保てなくなって。
うわ… やば!
ダメだ、転ぶ…!