桜の記憶  truth 12





『……』
 
 
卓上… 唐突に置かれたボールペンを、類は訝しげに見詰める。
 
そして、そんな類の姿を見留めながら、西田は再びボールペンを拾い持ち。
慣れた手つきで、自身のスマートフォンと其れとを接続した。
 
すると…。
 
 
「西田さん… 先にあたしの方から、伺っても?」
 
 
… スマートフォンから突然、つくしの声が再生され始め。
 
 
『!? … つくし?』
 
 
驚く類に対し、西田は至極冷静な声色でコトの経緯を語り始める。
 
 
『… 此のペンはボイスレコーダーになっているのです。
 先程申し上げました通り、あのミラノでお会いしました後、私は貴方様… 花沢様ともう少し話す時間が欲しいと思い、直ぐにお二人の後を追いかけました。
 ですが花沢様は既にお帰りになられたと、途中でお会いしましたつくし様に告げられ…。
    … 此方の録音は、其の後つくし様と参りましたバーでの会話です』
 
『バー?』
 
『はい。
 つくし様よりお話がある… と、お誘いを受けまして。
 あの時間帯… 他にお連れ出来る様な店も、私にはございませんでしたので』
 
 
其の間にもスマートフォンからは、ふたりの声が流れ続け。
類は耳を澄まし、其の会話の内容に集中した。
 
 
「大丈夫ですか?
 そんなに急にお飲みになられては…」
 
「大丈夫。 
 ちょっとほわほわするけど… 此れくらいの方が、今は…」
 
 
バーでの会話と云うのは、どうやら本当の事らしい。
二人のやりとりから上気した表情で慌てて答えを呟くつくしの姿が、類の脳裏… 容易に想像出来た。
 
そして、其の後の会話からは…。
 
 
「先日の件… 其の話は、あたしも最近お母様より伺いました。
 道明寺が… 大変なコトを…。
 … 西田さんにも、ご迷惑をかけて…」
 
 
『……』
 
 
… やはり、そうだったか。
 
此の時点でつくしは、イギリスで司が起こした 「失態」を、既に知っていたのだ。
 
そして其れでも… 司がそんな状態である事を知っても、尚、彼女は司の元へ戻るコトを選んだ。
 
 
… 俺との 「会話」を。
… 俺からの 「促し」を、胸に留めながら。
 
司を導こうと… 自身の責任を果たそうと。
 
そう… 心に決めて。
 
 
其の結果が、此の今の 「状況」… 決してハッピーとは言えない 「結末」。
 
… いや。
 
未だ 「継続」している 「混沌」…。
 
 
膝上で組まれる類の両拳が、其の掌肌に深い爪痕を残すほどに、キツく、固く、握られ…。
 
 
くそ… っ!
何度、間違えたら理解するんだ、 俺は…?
 
… あの時、拐うコトだって出来た。
無理矢理、抱き締めて… 繋ぎ止めて。
 
いや… 其の前だって。
話をするべき… 責任… なんてコト、言わなければ良かった。
 
そうすれば… つくしは。
 
……。
 
… 留めなかった。
却ってつくしを、窮地に陥れ。
 
今の此の状況… あの時つくしを離した、俺の責任でしかない。
 
… っ! 後悔ばかりだ、何時も!    
 
… 俺はっ…!
 
 
更に硬直を増す身体… 伴い派生する、小さな震え。
 
類の感情は外見からも見て取れる程に、昂っていた。
 
だが次の瞬間に聴こえてきたつくしの言葉に、そんな類の 「怒気」が、驚愕の其れに変わる。
 
 
「あたし…  道明寺と… 道明寺司と別れます」
 
「離婚…? つくし様と司様が…?」
 
 
『!? … 知っていらしたんですか?』
 
『……』
 
 
茫然と呟く類の問いかけに、西田は、其の頬に浮かべた寂しげな微笑で、答えを返した。
 
… 更に類の驚きは続く。
 
つくしが受けていた、楓からの指示。
会話から見え隠れする、司の万弱… 西田の危惧。
 
そして、改めて本人の声で聴く… つくしの意思。
 
 
… 此れは道明寺の 「家」の問題…
 
…「第三者」の貴方には…
 
 
類の脳裏に、ミラノの病室で放たれた楓からの言葉が蘇ってくる。
 
其のまま漠然と二人の会話に耳を傾けているうち、音源は… 西田の動作音であろう… ガサガサという雑音を発した後、プツリと終了した。
 
 
『こうして、つくし様、楓様のご意思を突然知りました私は、混乱と動揺とで此の時… つくし様の問いには何もお応えが出来ず。
 多分につくし様は、司様の状態や私の思いなどをお聴きになりたかったのでしょうが… 其のまま失礼させて頂いたのです』
 
『……』
 
『ですが… こうしてつくし様より、はっきりとお気持ちを伺う以前から、私は司様とつくし様… お二人がこうなる事に、気付いていたように思います』
 
『…「気付いて」?』
 
『ええ… 司様、つくし様の動向からでは無く。
 貴方様… 花沢様の 「存在」から…「憂い」として』
 
『……』
 
『そして其の漠然とした 「憂い」の思いは、あの病室での貴方様の発言、司様のご様子… そして此のつくし様からの告白で、私の中… 明確化し』
 
『… 其の 「確認」の為、話がしたかった… と』
 
『ええ… そうです。
 あの時貴方様は、御自分の事を 「第三者」と仰っていましたが…。
 私にはあのとき病室におりました誰よりも、あの場の 「状況」と云うものを理解されている方だと感じておりました。
 ただ…』
 
『……』
 
『… 私は無骨者ですので…。
 男女の色恋については、其れまで全く… 気付けず』
 
 
其処で類は、西田の発言にクスリと笑う。
 
そして…。
 
 
『ならば、何故?
 つくしとの事で無いのなら、どうして俺を 「憂い」の存在だと?』
 
 
すると西田は、改めて表情を固くさせて。
一度卓上のカップを手に取り、口元を軽く濡らした後、静かに言葉を語り始めた。
 
 
『其れは、司様が… 司様が余りにも、貴方様の存在を気になされておられたからです。
 今思えば、つくし様の件も含めてのコトだったのでしょうが。
 其れ以外にも… 多大に』
 
『俺を?』
 
『始めは私の懸念かとも思いました。
 しかし、違う… やはり司様は貴方様に対し、特別な感情を持っておられる。
 いえ、司様と云うよりは… 楓様も含め。
 親と子… 共に』
 
『……』
 
『… 先程私は、私が此方にお邪魔してます事を、楓様はご存知ないと申し上げましたが。
 其れは… 誤りなのかもしれません』
 
『? 其れは、どういう…?』
 
『楓様から私に対し、貴方様について語られるコト… そして勿論、貴方様の所にこうして伺うよう指示がされるコトも、此れまで一度としてございませんでしたが。
 しかし楓様は、常に貴方様の動向を気にしておられ… また更に、私がこうして貴方様と接触するであろうコトを、察知しておられたのではないかと思うのです』
 
『… 理由は?』
 
『司様が療養されている間、私は楓様付きとしてNYに赴任しておりました。
 其の間… お気を悪くなさらないで頂きたいのですが… 私は幾度と無く、楓様の卓上に置かれました貴方様の個人調査書を目にしておりまして。
 楓様もまた、貴方様の存在を気にしておられるのだ… と。
 そして今回、私が貴方様を追っておりましたのとは別に、楓様もまた、貴方様の動向を把握されておいでで』
 
『俺の?』
 
『昨夜、つくし様の件を報告に上がりました席で… 突然、私に申されました。
 「花沢様が日本に戻られたようだ」… と』
 
『!』
 
『そして、其の時察したのです。
 楓様も私と同じお気持ちでいらして。
 お時間の取り辛いご自身に代わり、私に 「動く」様、暗に申されていらっしゃるのだ… と』
 
『……』
 
『申し上げております通り此の件に関しまして、楓様と私が直接お話したことはございません。
 ですから、あくまでも今申しあげました楓様の「意思」は、私の憶測でしかありません。
 しかし…』
 
『……。 いえ…』
 
 
其処で類は一度、西田の発言を遮った。
 
そして卓上に置かれたカップとソーサーに、手持ち無沙汰という様に指先を添えながら…。
 
 
『西田さんの「憶測」… 当たっていると思います。
 楓社長は俺の存在、確かに気にかけてくださっていると思う。
 恐縮する話ではありますが… 息子の幼馴染、多分に其れ以上の存在として』
 
『花沢様…』
 
『何度か意見させて頂いておりますので…小生意気な若僧とでも思われているのでしょう』
 
『……』
 
『先日もNYで… 西田さんは既にいらっしゃいませんでしたが』
 
『!! NYへ、いらしたのですか?』
 
『ええ、楓 「社長」と云うより… 司の 「母親」である彼女と、話をさせて頂きに』
 
『母親である、楓様…』
 
『……』
 
 
其れから類は西田に、NYでの楓との対話について語り。
そして最後、絞り出すように…。
 
 
『そして、託した… 「母親」である、あの人に。
 司と…』
 
『……』
 
『つくし、を…』
 
 
… そう、控えめな声色で話を結んだ。
 
其の 「名前」が類から呟かれた瞬間、西田の膝上に置かれていた両拳がきつく握られる。
そして西田もまた、類同様、小さくか細い声で…。
 
 
『「つくし様」の… ご容態は?』
 
 
… 本来ならば来訪と同時、一番に口にすべき人物の 「名前」を、此の時初めて言葉にした。
 
 
『… 大丈夫、落ち着いています。
 発見時は衰弱が見られたようですが、今は回復していて… 話も出来る』
 
 
そんな西田に対し、類は務めて穏やかに、つくしの現状を知らせる。
 
だが…。
 
 
『… しかし』
 
『… 「しかし」?』
 
『西田さん… 彼女を貴方に会わせることは出来ません。
 其れは、ご承知おきください』
 
 
つくしとの面会に関しては、西田の来訪の本意が未だ掴めずに居ること… また、つくしの今の精神状態を考え、拒否の意思を示した。
 
 
『……』
 
 
西田は卓上に置かれたカップを、無言で掌に取る。
 
そして残っていたお茶を一気に溜飲すると、改めて姿勢を正し、類に向かい語りかけた。
 
 
『ならば… 類様を通しお教えください。
 つくし様のお気持ちと… そして差し支えない様であれば、貴方様のお気持ちについて。
 また、貴方様が懐く司様への思いなどもお聞かせ願えればと思います。
 私は其の対価として、司様の現状についてお話しさせて頂きましょう』