桜の記憶  truth 6





… 類の髪が、つくしの頬に触れる。

其の柔らかな髪から香り立つ爽やかな芳香は、つくしがずっと欲していた、あの… 類の 「香り」だ。

瞬間つくしは、道明寺邸を出ると決めた、あのパウダールームでの一コマを鮮明に思い出す…。


… そうだ。    
あの時も、あたしは。

此の 「香り」だけを求めて、あの場所から飛び出してきたんだ。

此の香りに、もう一度、触れたい… 包まれたい… 香りを感じたい… と。


『… 類…』

『……』


つくしの声に誘われるように、類はゆっくりと体を起こす。

… 再び見つめ合う、二人。
互いの瞳に、はっきりと相手を映し込んで…。

間も無く滑らかに伸びてきた類の指先が、つくしの瞳に溜まった滴を淡く拭った。

そんな類の行為を、つくしもまた小さく肩をすくませながら、素直に享受する。
 
そして其のまま、頬に触れる類の指先に、顔を傾げながら、そっと唇を寄せて…。

… そんなつくしの姿を見つめながら、類は言葉を続けた。


『… ごめん、取り乱して。
 責めてるわけじゃないんだ。
 あんたが無事って解ったら… 気、緩んで。
 ただ… 言ったことは本音。
 マジもう、あんたのコト… 手放すつもり無いから』

『……』

『解って欲しいって、あんたが別れる 「理由」かざすように。
 俺にだって、あんた必要な 「理由」… ある。
 其れはずっと、言ってきたでしょ?』

『類、でも…!』

『… 待って。 俺の話、聞いて?
 だけど… 其れでもって、あんたが言うなら。
 俺にも決めてるコト… あるよ?』

『… なに…?』

『俺が、ただの…「オトコ」になるって』

『? 其れって、どういう…?』

『花沢を捨てる… ただのオトコになって、あんたと生きる道、選ぶってコト』

『!! 類っ!?』


咄嗟、つくしは類に向かい、詰め寄っていた。


『な… っ!!    
 そんなの、ダメ!! 絶対ダメだよ!
 だって、類、言ったじゃない!
 花沢を守り、高めていくって!
 其れが自分の願いなんだって!
 其れを、こんな… あたしの勝手で… あたしの都合で放棄するなんて。
 それは、お父さんやお母さん… 田村さんを裏切ることになるんでしょう!?
 そんなコト、絶対しないで!
 そんな類、あたし… イヤだよ!!』


しかし言い切った後、ハッと我にかえる。


… 何を? あたし…。

そんなコト、類に言えた義理じゃ無いのに…。


そして、小さな声で…。


『ごめん… 類。 
    だけど… でも、あたし…』


… と、視線を逸らしつつ、うつむき加減で呟いた。


… 相変わらずの 「忙しなさ」。

思ったコト、感じたコト、考えたコト… 其れらを目まぐるしく、表情で、言葉で、態度で… 素直に表し。


だが、そんなつくしの喜怒哀楽… 激しい感情の起伏を、久方ぶり目にした類こそが、今度は溢れ出る 「感情」を抑えきれなくなる。


『ぷ… っ!! くく… ははは!』


そう突然笑い出したかと思うと、徐に靴を脱ぎ、ベッドの上へと上ってきて。


『!? 類!?』

『ホント、あんた… 最高』


そう呟いたかと思うと、つくしの両頬を掌で包み、唐突に唇を重ねてきた。


… 其処で交わされるのは、深く、熱い 「キス」。

幾度も重なりを変え、吐息も… 想いをも絡め取る。

… 情熱的な口づけ。


『……』

『……』


唇が離れても、尚… 其の余韻を残す静寂が、ふたりを包みこむ。


… 見詰め合うふたり。

互いの姿を、其の瞳に確りと映し込み…。


… 此の世界に、ふたりきり。

全てのコトから解放されたかのような…。


そんな、錯覚を覚え…。


…「ふわっ」…


… が、次の瞬間、風をはらんだレースカーテンが、淡い光線と共に二人の視界に入り込んできて。


『……!!
 る… 類…! な、何を、急に!
 こんな時に… き、キスなんて!』


刹那、現実世界に戻される、つくし。

動揺と昂奮とで顔を真っ赤にさせながら、慌てて身体を後ずさりさせる。

しかし類は、そんなつくしの腰をしっかりと掻き抱き、自身の身体に密着させるよう引き寄せ。


『くく、何で逃げるの?
 ホント変わらない、そういうトコ。 
 感情のまま動いて… 表情コロコロ変えて。
 他人のコトばかり考えてるとこも、自分のコト、直ぐ後回しにしちゃうとこも。
 ホントあんた… 何も変わってないよ?』


笑顔で、答えにならない返事を返し。

更に…。


『あんただって、さっき… 俺の指、キスした。
 其れって俺と同じ想い。
 相手に触れたい、感じたいって… そういうことでしょ?』

『う…』

『いい加減、認めなよ?
 其れにさ?
 俺の感情、こんな揺さぶるの、ホント此の世であんただけなんだよ?
 昔の俺なら、疲れたって寝ちゃうトコロ。
 こんな風にした責任… きちんととって?
 ちゃんと、癒してよね?    … くく』

『… せ、責任って…』


上目遣いでつくしを見詰め、からかいの言葉を投げかけてくる。

しかし其の後… 徐に窓の外へ視線を移したかと思うと、今度はつくしの掌を確りと握りながら。


『確かに、花沢を継ぐ… そして、高めるって。
 そう… あんたに約束した』

『……』

『でもあんたは、その時交わした約束… もうひとつ忘れてる』

『え?』

『もう、俺達… 絶対、離れない。
    一生、共に生きていく… って』

『!!』


先程とは違う… 真剣な眼差しを向けつつ、囁き。


『… 俺の幸せは、あんたが幸せでいるコト。
 なら、あんたの幸せは?
 俺といるコトじゃないの?』

『… 類』

『居るコトだよね?
    なら、俺はもうひとつ、あの時言ったはず』

『……』

『自分に素直に、生きて… って。
 あんたは想いひとつ持って、俺のトコ… くればいい。
 其の後は喜びも悲しみも… 不幸も幸せも、ふたりで越える。
 俺があんたの笑顔… 守るからって。
 だから、あんた… 此処に来たんでしょ?』

『……』


類の囁きに、つくしの表情が俄かに崩れていく。

溢れ出る涙… 喉は熱く。

想いを口にしたいのに… 類に伝えたいと思うのに、声が出ない… 言葉に出来ない。

其れ以上の 「モノ」が、胸に渾々と溢れてきて… 喉元を、圧迫し続けて。


『… ね?』

『… う…』