桜の記憶  truth 3





『… すいません。
 自分でもなんとなく、気付いてはいたんですけど… 確信では無かったので。
 ちょっと… 驚いてしまって。
 でも、もう大丈夫です… ありがとうございます』

『……』


一頻り涙を流した後、落ち着きを取り戻したつくしは、一言一言、噛み締めるようにして言葉を発した。

そして、続けて…。


『それで… 類… 類さんは、何処に居るのでしょうか?
 彼は此のコト… もう知っていますか?』


… と、縋るように、茉莉に問いをかけた。

其の問いかけに、茉莉は小さく首を振り答えを返す。
そして改めて今の状況について、つくしに説明を始めた。


『類はね、イギリスに出張に出て居たの。
 貴女が居なくなったと総二郎君から連絡を受けて… 今、此方に向かっている所よ。
 もう間も無く、日本に到着すると思うわ』

『西門さんに… ですか?』

『ええ… 貴女に何かがあった場合(とき)直ぐに連絡をくれるようにと、以前から彼に頼んでいたみたい。
 今回、貴女が居なくなってしまったコトは、道明寺… 司君からは、貴女の「お友達」にだけ内々に発信されたのだけど。
 お友達が直ぐに、総二郎君に連絡を入れてくれてね。
 また其れを聴いた総二郎君も、即座、類に… そして日本に居ない類に代わって、自分たちが貴女を探すとも申し出てくれた… って』

『友達… 西門さんが…』

『実際、貴女は、総二郎君たちに保護されて此処に連れて来られたのよ。
 類に貴女が行くであろう場所を、あらかじめ聴いて… 行ってみたら、本当に貴女が倒れていたって』

『……』

『私には、総二郎くんが貴女を探しに行っている間に、類から連絡が来たの。
 「母さん、今度は此方から頼む番です。
  俺の願い… 聞いてください」… ってね』

『類から?    お願い… ですか?』

『ふふ… イギリスでの仕事の中には、私の 「お使い」 で行ってもらったモノもあったの。
 だから其の 「返礼の仕事」として、今度は私に依頼してきたのでしょうね』

『仕事…』

『ええ… 仕事。    
 私にとって、何よりも大切な… 何よりもやりがいのある仕事…』

『……』


徐々に張りを増していく、茉莉の言の葉(こえ)。

つくしは無言のまま、其の声に耳を傾け続けた。


『… あの子が日本に戻る迄の間、貴女を匿う… 此れから私の「娘」となる、貴女を守る… と云う、とても重要な 「仕事」を、ね?』

『!!』


瞬間、茉莉から呟かれる 「娘」と云う言葉に反応し、つくしの瞳が大きく見開かれる。


驚愕と喜びと… そして…。
… 感極まり、再び溢れ出す涙。

堪えきれず、流れ落ちていく雫… 幾重もの筋となって、頬を伝い…。


つくしは布団に隠れるようにして、小さな嗚咽を漏らした。

そんなつくしを愛おしむように見詰めながら、茉莉は言葉を続けていく。


『此処はね… 私も昔、入らせて頂いていたコトのある病院なの。
 花沢の家と懇意にしているので、其の守秘の徹底は信用に値するわ。
 貴女が此処に居る事が、外部に漏れる事は決して無い。
 勿論、道明寺様にも… ね』

『… あ…』

『だから貴女は此処で体調を戻すコト、精神の安定を図るコト… そして…』

『……』

『… お腹に宿った 「赤ちゃんのコト」を、何よりも一番に考えて、此の後を過ごしなさい?
 命を守るコト… 其れが一番、大事だから』

『……』


ケットの端から瞳を覗かせるつくしの頬に、窓から吹き込む爽風が淡く触れる。

暖かな空気… 心地よい空間。

そして、優しく包み込むような茉莉の眼差しに癒され。

其れらは間違い無くつくしにとって、久し振りに感じる 「幸福」の瞬間(じかん)であった。


……。 … でも…。


… つくしの両掌が、自身の腹部にそっと触れた。



其の後、茉莉は、皆につくしの目覚めを報せてくると言って、部屋から出て行った。

ひとり病室に残され、つくしは改めて今居る部屋を見回してみる。
… 実は先程目覚てからずっと、此処が病室であるコトが俄かに信じられずにいたのだ。

真っ白な壁、天井、そして清潔な白布等は、確かに病院のそれと同じだが。

寝かされているベッドは、フカフカ。
傍らのキャビネットには、最新型のテレビと思われる大きなモニターが置かれて。

ベッドの足元には、目隠し代わりのカウンター。
其の向こうには、クローゼット、デスク、応接セット… 小さなキッチンまであり。

窓から射し込む陽光は、室内を明るさと温もりとで優しく満たし、また其処から吹き込む風も、とても爽やかで。

所々に置かれた、観葉植物の緑や花々の香り… 病院特有の匂い等は、全く感じられず。

そう… 此処はまるで、病室というよりは、ホテルの一室。
いや… 個人宅の自室といって良いほどの空間。



そういえば、此処… 類の部屋に似てる。

類の部屋よりモノが沢山あって、煌びやかではあるけれど。

… 暖かくて、空気がキラキラしてて。

何よりも室内に漂う 「香り」が… 類の部屋と同じ。



『……』



なんか… 涙、出そう。
類の傍に居るみたい。

まるで、類の腕に懐かれているような… そんな気分になってくる…。


あたし… 類の所に戻って来られたんだ。

類の傍に… やっと。



『… っ…』



… でも。   

ホントなら、とても嬉しい… とても幸せなはずなのに。

何故…?
何であたしは、こんなに… 苦しいの…?


… ううん、馬鹿つくし…。
理由は自分で、解っているでしょ?

もつ、此の現実… 確りと受け止めなくては。


そう… 理由は解ってる。


理由は… あたしの、此の苦しみの理由は。


…「此の子」だ…。



つくしは再び、腹部に掌を添えた。

そして、未だ膨らみも無く、外からでは存在も解らないお腹に宿った自身の「子供」に対し、溢れる程の涙を、其の瞳に溜めた。

… 心の中で、謝罪の言葉を呟きながら。


ごめん… ごめんね?

折角あたしの所に来てくれたのに…「あなた」には、何の罪も無いのに。

… あたしは 「あなた」がお腹に宿ったコト、喜んであげられていない。

其れどころか、苦しくて…「あなた」が来てくれたコト、ツラくて堪らないの。


『… う… く…』


… だって…「あなた」は。

「あなた」は確かに、あたしの子ではあるけれど。


… 相手は?


「あなた」は、一体… 誰の 「子」なの?



『… う… っ。    う、あ… ああ……』


始め、無言の内に伝い流れていた涙は、徐々に発声を伴う嗚咽へと変わってゆく。

… 清浄無垢な部屋に響く、苦渋の噎び。

表情(かお)は大量の滴によって濡れ、クシャクシャに崩れて。



此の、抱えてしまった苦しみは、どうしたら解消されるのだろう?

あたしは、彼処… 道明寺に居てはいけなかった。

でも… だからと言って、此処に… 類の元に来ることも、決して許されるコトではなかったんだ。


ダメ… ダメだ、此処に居ては。

類に会う前に… 類が戻ってくる前に、何処かへ行かなくては。


… だって、そうしなきゃ。   
… そうしなければ。


此の 「子」の存在を知った類は、きっと…。

きっと、あたし以上に…。

… 苦しんでしまう…。