桜の記憶  tempest 77





『何で… なのかな?
 僕が羨望の眼差しで幼い頃から見ていた日本の 「彼ら」が、こんな状態になってしまったコト…。
 悲しくて… 寂しくて。
 何故?どうして?… と、そんな想いが常に付き纏ってくる。
 最終的には当事者同士の問題であって、僕にはどうするコトも出来ない事も解っているのに』

『……』


其処でウィルは、一度、呟きを止める。

ナタリーもまた、直ぐには応えを返さず… ふたり暫らくの間、沈黙の時を過ごした。

… 先に動いたのはナタリーで。

徐に立ち上がると無言のままベッドへと歩み寄り、ウィリアムの隣へ静かに腰を下ろす。

そして、そっと其の肩を抱きつつ… 優しく語りかけるように、囁きを始めた。


『… 愛しているから』

『え?』

『皆が互いに、愛しあっているから… 大切に思っているから。
 だから… こうなってしまったのよ』

『愛して…?』

『ええ… 類様とつくしさんは、勿論。
 司様とつくしさんも… また、類様と司様も』

『類と… 司も?』

『「愛」って、色々なカタチがあるから。
 激しくぶつかり合うような愛もあれば、見守るような愛もある。
 各々、其の相手に対しての表現が違うだけで。
 皆、根本は同じ… 相手を想う感情』

『……』

『だけど其の受け取られ方は、其の表現以上に何通りも… 其れこそ、存在する人間の数だけあるといっていいと思うわ。
 時に、与える側の思惑通りに、受け取り側が感受しないこともある…』

『あ…』

『そう… 其れが今の、司様とつくしさんの 「状況」だと思うの。
 司様はつくしさんを愛しているのだけれど、つくしさんは司様の行動から、其の 「感情」を捉えられなかった』

『……』

『「愛している」 という感情だけでは、ダメなのよ。
 人間は相手に感情を伝える 「為」に、様々なアイテムを持ち合わせているのだから。
 其れを使わなければ、伝わるモノも伝わらない』

『アイテム?』

『想いを伝える、言葉だったり… 抱擁であったり。
 また、思いやりであったり… 慰めであったり』

『……』

『司様はつくしさんに、其れが出来なかったのだと思うわ。
 結婚という蓑に包まれて、安心しきってしまって。
 感情を伝える手段… 其れを疎かにした。
 愛情の本質を… 表し方を、見失って。
 結果、つくしさんに想いは伝わることなく… また、彼女を孤独にもして。
 交わるコトのない感情、離れていく心… 溝は深まっていくばかりだったでしょうね。
 そして相手の気持ちが解らなくなった司様は、つくしさんを力で征服するコトでしか、留めておけなくなってしまって』

『暴力に、走った…』 

『ええ… 残念だけど。
 でも、そんな司様の行動も、つくしさんを愛しているが、故… なのよ。
 ただ繋ぎ止める方法が解らなかったから、闇雲にぶつかっていってしまって… 結果、あんな表現に。
 だけど… 感情を其のまま行動にするだけなら、動物と同じだわ。
    司様の行為は、愛情と言いながら動物の其れと同じ… 征服の為に力を使い、相手を破壊してしまった』

『関係を… 修復出来ない程に』

『……』

『なら… 類の愛は?』

『類様の 「愛」は… 其の逆、つくしさんを見守る愛情』

『見守る?』

『ええ… 言葉なく、見守るだけ』

『え? でも、其れでは…』

『そう… 気持ちはなかなか伝わらない。
 ううん… 伝わっていながら、気付かないフリをしていたのよ。
 ふたり… いえ、皆で』

『皆? 司も?』

『ええ… お互いを想うあまり、自分の本心に気付けず。
 司様の気持ちを類様は想いすぎて、自分の想いに蓋をして。
 つくしさんは、そんなふたりの友情を壊せなかったのだと思うわ。
 司様も、そんなふたりの気持ちに気付いていながら、つくしさんを求める欲に打ち勝てず… 盲目になって。
 だからあなたの発言に、あんなにお怒りになられたのよ。
 そんな三人三様の 「愛情の存在」が、今回のイザコザを生むキッカケであったのかも』

『……』

『でも、其の中で見つけた… 繋がった心だからこそ、類様とつくしさんの愛は、誰とのモノよりも深く… そして、強いモノになったのね』

『… 深く強い、繋がり…』

『……』


其の言葉を反芻するように呟きながら、ウィリアムもまた、隣に座るナタリーの肩をキツく抱いた。



其の頃、類は、ベッドで仰向けに寝転びながら、携帯の画面をぼんやりと眺めていた。

開いているのはメール画面。
あのイタリアでの別れの時、つくしから送られてきたメールだ。


……


連絡とれないこと、またあるかもしれないけど

あまり心配しないでね

類こそ今回みたいな無茶、もうしないで

驚きっぱなしで、あたしの心臓の方がもたないよ



……


『… 心配しないで? 其れこそ、無理だろ?
 馬鹿つくし… 少しは自分のコト……』


画面を見詰めながらポツリと呟き、徐に拳で顔を覆う…。


… 道明寺楓に、会った。
大河原滋も、望む形は多少違えど、結果的には同じコトを目的として、動いてくれている。
ウィリアムやナタリーからも、立場を超えた友人として、協力を得られるコトになって…。


でも… 未だ何も解っていない。

扉は開きつつあるのに… 未だつくしの情報は、何も得られず。

つくしの所在… つくしの安否。
其れらが何ひとつ、掴めていないのだ。


此れでは… 全く前進してないのと同じだ。


…「バンッ!!」


想いを振り切るように、シーツに向かい拳を振り下ろす。

瞬間、弾みで掌から外れた携帯が、ベッド下へと落ちていき…。


…「カツン… カッ、カッ…」


『… っ、くっ…!
 こんな状態… 何時まで… っ!』


携帯の転がる音を聴きながら、類は嗚咽の声を漏らした。
両の掌で顔を覆い、腹の奥底から湧き出てくる昂りを必死に抑える。

ひとりになると同時、毎回襲ってくる此の孤独感… 焦燥感。
あとどれくらい堪えれば、此の感情から解放される日は来るのだろう?


『くそ… っ…! つくし… っ!』


… 其の時。


…「ピピピッ」…


床に転がる携帯から、着信を知らせる電子音が鳴り響いた。


『!』


類は思わず息を呑み、反射的に身体を起こす。

… が、直ぐ様、思い直したように息を吐き。
携帯を拾う素振りも見せず、ベッドの上… 座り込んだまま、着信の音を聴き続けた。


『……』


… 此の音にも、此れまで何度、裏切られてきただろう?

「吉報」と思い、慌てて掌に取り… 其の都度、落胆して。

また…? 今回も?


だが、何時もなら数十秒放置しておけば途切れる電子音が、今回は何時迄も鳴り続ける。

仕方なくベッドから降り、携帯を拾い上げようとした… 瞬間。


…「プッ…」


電子音は類が掌を翳すと同時、まるで時を図ったように、プツリと途切れた。


『……』


こんな夜中に… 一体、誰?


携帯を拾い上げながら、通信を繋ぐ。

着信を知らせるメールが、淡い発光を伴いながら暗闇の中、ぼんやりと画面に浮かび上がった。


『… 総二郎?』


其処には、日本に居るであろう、友人の名が記されていて。
… 類は無意識に、リダイヤルを試みる。
しかし耳元に響いてくるのは、呼び出しの音のみで。


… 急ぎならば、またかけ直してくるだろう。


通信を切りつつ、再びベッドに横になりながら、焦っても仕方無いのだ… と、つくしの件とも併せて思い直し、携帯を枕元へ置いた。


其の時。


…「ダダダッ!!」 「ドンドン!!」


『類様! 類様っ!!
 起きていらっしゃいますか!?』


今度は廊下を走る大きな足音… と、思うと同時、続けて田村の切羽詰まった声と、部屋の扉を激しく殴打する音とが、室内に響き渡り。


… 何事?


訝しく思いながらも類は努めて平静を装い、落ち着いた声色で、扉向こうの田村に向かい言葉をかける。


『何? 今、開けるよ?』


すると鍵が解錠されると同時、類が扉を開くよりも早く、田村は室内へと飛び込んで来て。
慌てふためいた様子で、言葉を発し始める。


『る… 類様っ!!』

『? 何? 今、夜中… 迷惑だよ?』

『あ… は、はい、申し訳ありません…!
 … が! し、しかし… っ!』

『落ち着きなよ、どうしたの?』

『そ、其れが… 今、此方に… 私の電話の方に、西門様… 総二郎様から御連絡が入りまして…!』


…「ドクンッ…」


田村が 「総二郎」の名を呟いた瞬間、其れに呼応するように、類の鼓動が大きくなった。

… 先程の、総二郎からの電話。
そして今、田村に入った総二郎からの連絡…。

類と連絡を取ろうにも繋がらなかった故、共に行動している田村に仲介を求めたであろうコトは、安易に想像ができる。

しかし此の夜中に、其処までしてかけてくる電話の内容…。


… 緊急?
其れも、其の内容は… あまり…。


其れでも類は、やはり此処でも冷静を保ちつつ、続く田村の言葉を待った。


『総二郎? 何?』

『そ、総二郎様が… 類様と連絡が取れないと… 仰って』

『うん… 其れで?』

『そ、其れで… 私に、お電話を…。
 る、類様! 落ち着いて… 落ち着いて聴いてください!』

『聴いてるよ。
 其れに、落ち着くのはお前だよ… 田村?』

『あ、あ… はい。 そ… そうですね…』


類からの促しに、田村はひとつ、大きな深呼吸をする。

そして呼吸を整えた後、総二郎からの連絡内容をゆっくりとした口調で、類に向かい呟き始めた。


『総二郎様からのお電話では…』

『うん…』

『道明寺邸にいらしたはずの、つくし様が…』

『……』

『「失踪」… なされた、と…!』