桜の記憶  tempest 71





懐いた母のヴァイオリンは、驚くほど、類の肩に馴染んだ。

調弦の為に数音、弓を引き音を出してみるが、其の瞬間にも普段はあまり感じることのない、全身に痺れ伝うような… 高揚を覚えるような、音の 「響き」を聴いて。


… 凄い。
母さんが 「此れ」を大事にしてた理由… 解る気がする。

そして、何故そんな大切な 「モノ」を、ナタリー妃に託したのかも…。


…「演奏から、想いが迸るの」…

… ステラの言葉が、思い出される。


あの時、ステラに見透かされた 「俺の想い」。

だが… 今の俺は、あの時と 「違う」音が奏でられると… そう、断言出来る。

… 今日の俺は此の二人に、どんな 「音」を魅せられるだろう?


… 母さん。    

… つくし。

俺の 「音」… 聴いて?


……。


弓先から派生する類の美しい 「音律」が、ウィルとナタリーの暖かな住居に染み込むように、響き伝っていった。




『ナタリー… 母は、どんな先生?』


団欒の時が過ぎ、所用等の為に各々が席から立ち始めると、類は向かいに座っているナタリーに向かい、何気ない口調で話かけた。


『え?』


其の 「問い」があまりにも唐突であった所為か、ナタリーは小さく、驚きの声を上げる。

そんなナタリーの素直な姿に、類は苦笑の表情を浮かべつつ、問いかけを続けた。


『いや、俺… ヴァイオリンを習った記憶… 無くて。
 どんな感じなのかな、って』

『… ああ…』


ナタリーは空いたカップ等を女中に手渡しつつ、納得… と云うような笑みを浮かべ。
そして、改めてソファに深く腰をかけながら。

… ウィルは公務、田村も庶務連絡の為に席を外し、類とふたりきりとなったリビングで…。

まるでお喋りを楽しむ幼い少女のように、瞳を煌めかせながら話を切り出し始めた。


『先生… 茉莉様は、義母の… 王妃様の、音楽学校時代の同級生なのだそうです。
 ですから、王妃様のご紹介で、私も茉莉様にヴァイオリンを教えて頂くことになりました。
 類様はご存知かと思いますが… 義母は私同様、民間から王室に入られた方でして。
 其の事も関係するのか… 恐れ多いことではありますが、義母… 彼女は親子というよりは、同志… まるでお友達のような… そんな気さくな感じで、私に接してくださいます』

『……』

『なので、ご友人であられる茉莉様と私のやりとりも、自然に其のような…。
 … いえ!
 勿論、ヴァイオリンの御指導も戴いておりますが。
 お話を聴いて戴いたり… また、伺ったり。
 お恥ずかしい話ですが 「女三人寄れば姦しい」と申しますでしょう?
 あ… 此れも茉莉様から教えて戴いた文言なのですが。
 どんな先生か… と問われたなら 「ヴァイオリンの」… と云うよりは 「素晴らしい人生の先輩」… といった感じでしょうか』

『人生… の?』

『茉莉様と王妃様には、レッスン中の 「お喋り」で様々なコトを教えて戴いていると思っています。
 お二方の、お話… 生き方は、私の指針となっているのですわ』

『……』


ナタリーの応えに、母・茉莉、英国王妃、そしてナタリー… 女三人の賑やかなレッスンの様子を思い浮かべ、類は微笑を魅せる。

そして…。

… 其処に 「つくし」が居たなら… と。

「母と娘」の団欒を、あの 「二人」が、自分の瞳に見せてくれる日が来るなら… と。

… 切に思った。


『其れにしても、茉莉様からはお習いになられたコトが無い… とのことでしたが。
 先程の類様の演奏… 本当に素晴らしいモノでしたわ』

『… そう?』


続けざま囁かれたナタリーからの賞賛の声に、類ははにかみと小さな疑問符で応えを返す。


『ええ!
 音楽にココロが宿って居る… まるで告白を受けているかのような… そんな感覚を受けました。
 思わず聴き惚けてしまった程です…!』

『くく… そんなに?
 ナタリーにそんな想いをさせてしまったなんてウィルに知れたら、怒られそうだな。
 ナタリーは俺のワイフだ!… 誘惑するな!… ってさ』


そして更に続く感想には、ウィルとナタリーに対する親愛の想いも込めた揶揄いの言葉と共に、破顔の笑みで呟きを返し…。

… だが、其の言葉を口にした途端、類の表情が俄かに変わる。

… 微笑は湛えたままであるが、明らかに其の心中の変化が、表情に表れていて。


… ワイフ… 誘惑って。

くく… まるで 「自分」のことじゃないか。

端から見たら俺のつくしに対する行動は、そう、取られるんだよな…。

司との隙を狙って… 横取りした… って。


… また、そんな類の表情の変化を、話相手となっているナタリーが見逃すはずも無く。


『… 類様?』


其の顔を覗き込むようにして、心配そうに声をかけてくるが。


『!! … いや。
 そんな心配… ふたりには不要だなって』


類は再び笑顔を魅せ、ナタリーの憂いを否定した。

そんな類に対し、ナタリーは一呼吸置いてから、新たな話題を持ちかける。


『… ところで、類様。
 私からもお伺いしたいことがあるのですが… よろしいですか?』

『……』


類はナタリーと視線を合わせるコトで、其の質問に対する諒の意を示した。

安堵したようにナタリーは、再度ひとつ息継ぎをした後、ゆっくりと話を切り出し始める。


『実は、私… 先日プライベートで、日本を訪問させて頂きましたの』

『へぇ? ウィルと一緒に?』

『いいえ、一人で… です。
 いわゆる 「お忍び」旅行… ふふ、結婚後初めての一人旅でした』

『……』


類は素直に、驚きの表情を魅せる。

しかし、そんな類の 「驚愕」 もナタリーは笑顔でやり過ごし… 自身の話を続けた。


『其の際、私… とある女性に巡り会わせて頂きまして。
 そして其の方と数日、行動を共にするコトで、一生の友… そう誓える程の親睦を、彼女と深めるコトが出来ましたの』

『… 一生?』


ナタリーが自分に何を伝えようとしているのか、未だ其の意図するところが理解出来ず、類はただただ話の先を探る疑問符を返す。

するとナタリーは、此れまで以上に明朗な笑みを湛えながら、類の疑問を解消すべく続く言葉を発した。


『其のお相手の女性は… 類様もきっとご存知の 「方」ですわ』

『… え?』

『だって… 其の方のお名前は 「つくし」様。
 「道明寺つくし」様… 類様のお友達でいらっしゃる、道明寺司様の奥方様でいらっしゃいますもの』

『!! な…!? つくし?
 何時!? ナタリー、何時つくしに会ったの!?』


其の名前が呟かれた瞬間、類の顔が、更なる驚愕の表情へと変わる。

そして、居ても立っても居られぬというように其の場に立ち上がり、ナタリーに向かい声を張った。