桜の記憶  tempest 43





柔らかなソファー… 並んで座る二人の両掌が、ゆっくりと重ねられる。

ナタリーに向けられる、つくしの、真っ直ぐな眼差し。
ナタリーは其の 「瞳」を魅せるつくしに、此の先もブレるコトのない意志を感じ、安堵した。


『勿論よ。
 私達は親友… 立場が変わろうと、離れ離れになろうと、此の先一生、其の関係は変わらない。
 … 私は貴女を、見詰めて行く。
 そして私も貴女の友として、恥じない生き方をして行くわ』

『ナタリー様…』

『幸せ… 其処に辿り着くまでには、そんな… 思い描くように上手くはいかないでしょうけれど。
 頑張って… 貴女なら越えられる。
 望む 「幸福のカタチ」を、必ず掴める日が来るわ。
 其れまで、ずっと見ているから。
 其の瞳… 無くさないで』

『はい…!』


其処まで呟くとナタリーは、徐に、傍らに置いたバッグに腕を伸ばした。

そして其処から小さなアトマイザーを取り出し、其れをつくしの掌にキュッと握らせる。

… 美しいカタチをした、小瓶。

何処からの光明か、中の液体が揺らめく度、部屋の壁に淡い彩虹が浮かび上がり… 柔らかな光の波を、其処に映し魅せる。


『ナタリー様… 此れは?』


つくしは其の「虹」を顔肌に映し込みながら、掌の瓶を見詰め、問いをかけた。 

すると、ナタリーからは。


『ふふ…「お守り」。 私からの、エール』


微笑を共にした、優しい応えが返され。


『好きな… 好きな 「方」の香りなのでしょう?
 此の香りが其の方の… そして、私の代わりとなって。
 此の先、つくしさんの支えとなりますように… そう願って』

『ナタリー様…』

『傍には居られないけれど、何時でも思っているから… ね?
 貴女はひとりじゃない… って。
 其れだけは… 覚えていて?』

『……』


深切なナタリーの言葉に、つくしは何度も頷きを返し、溢流する涙で頬を濡らした。



其の晩、道明寺邸で開かれた晩餐会は、ナタリーの今回の来日があくまでもプライベートで、更にお忍びであるという点にも考慮して、極々身内… 其れも女性だけの小さな夕食会というようなカタチで催された。

しかし其れであっても、日本の皇太子妃、及び、ナタリーと同年代にあたる内親王… 其れに首相夫人、外相夫人… 等々、錚々たるメンバーが集まり。

… 突然の開催であったにもかかわらず、此れだけの高位者を集わせるコトが出来る…。

道明寺楓の日本国内における 「チカラ」を、誇示するかのような宴であった。



晩餐会は滞りなく終了し、客人の見送りを終えたナタリー、楓… そして、つくしの三人は、揃ってリビングルームへと移り、お茶の時間を設ける。

其処でナタリーは、改めて楓とつくしに司に対するウィリアムの暴言を謝罪し、また今回の来日に関しての謝意を示した。

そして…。


『… 特に、つくし様と過ごした此の数日間は、とても素晴らしい時間でした。
 彼女に出会えたコトは私にとって、一生モノの幸運と云えるでしょう。
 本当に… 此の出会いを与えてくださった楓様には、心からの感謝を申し上げます』


… 今回のつくしの 「評価」を 「絶賛」のカタチで楓に呈し。


『いえ… 未だ何も世間を知らず、至らぬコトばかりであったのでは無いかと。
 然しナタリー様に何らかのお役に立てたのであれば、道明寺にとりましても光栄の至りに存じます』


楓もまた、ナタリーの言葉に多少の 「おだて」は含まれると理解しつつも、つくしの功績として素直に賞賛を受け入れた。


3人でのお茶の席はナタリーの話術の巧みさもあり、楓の機嫌を損ねることなく、和やかな雰囲気のまま幕を閉じた。

ナタリーをゲストルームへと送り届ける途中、つくしは改めて、感謝の言葉を口にする。


『ナタリー様、ありがとうございました。
 今なら義母も機嫌が良さそう… 話も切り出しやすいです』

『つくしさん… 私は正直な気持ちを伝えただけよ。
 其れに楓様がご機嫌なのは、私が気持ちを申し上げたからではなくて、つくしさんの行いが楓様のご希望に添うモノだったからだわ。
 … 大丈夫、自信を持って? 確り… ね?』

『ふふ、はい…!』


ふたりは声を上げて笑いながら、部屋へと向かった。

ゲストルームの前では、お付きの老女がナタリーの戻りをひとり、待っていて… ふたりの姿を認めると、恭しく頭を垂れ威儀を示す。

そして…。


『… さあ、お姫様。
 早々にお支度あそばして、今夜はもうお休みに。
 明日は帰国の日です。
 此処数日、おふたり共毎晩のように遅く迄お話をなさって。
 そんなお疲れの表情でお帰りになられては、皇子様にもご心配を…』


続けてナタリーに向かい、くどくどと戒めの言葉を述べ始めた。

… 何時ものコトであるのか、ナタリーは少々呆れ気味に空を見詰め。
そして間も無くして、つくしに目配せをすると、其の耳元に向け…。


『ホント… 何時迄も子供扱い、煩いったら。
 でも、宮中に入ってからの私は、此の人に育てられたようなモノだから。
 本当の祖母のように想って… 感謝してるの』


… そう、小声で囁く。

其の囁きを… そして老女の訓話を、つくしは胸中 「タマ」の存在を思い浮かべながら、聴いた。


今回、東京に戻って、つくしは直ぐ、タマの部屋へと向かった。
…「楓に話をする」という自分の決意を、タマにも伝えておきたかったからだ。

しかし… 不在。

つくしが出掛ける前から、楓からの呼び出しでNYへ出向いて居るとは聴いていたが。

楓が帰国した今も、未だタマだけはNYに滞在を続けているらしかった。


… あたしにとっては、タマ先輩が 「おばあさん」… 身内のような存在って言える人だ。

お義母様に、今日… 話をすること。
タマ先輩には伝えておきたかったな。
 
あたしの一歩、此処から始まるって…。


つくしのココロを、微かな寂寥感が襲う… が、直ぐに思い直し、決心を新たにした。

そして改めてナタリーと挨拶を交わし、踵を返すと、其のまま真っ直ぐ、楓の書斎… 執務室へと向かった。


…「コンコン」


『お義母様、つくしです。
 ナタリー様を、お送りしてまいりました。
 あと… お話があるのですが。
 少しお時間… 頂けないでしょうか?』

『……。 お入りなさい』


楓の凜とした発声が、つくしが佇む廊下にまで響き通った。