Rain 55
【 総二郎 】
「Ring…♪」
扉鈴の音に包まれながら通される、この洋館のバスルームは、
小高い丘の上… 大きな窓から陽光が燦燦と射し込み、
眼下には広大な葡萄畑が見渡せるという、大変開放的な造りで。
その上、この古い洋風の屋敷には不釣り合いな広々とした檜の湯船。
しかし、脱衣所・パウダールームとシャワー・バスルームの仕切りは、硝子板のみという。
和洋折衷… 新古共存。 大変不思議な、空間で。
まあ掴みどころがなく、とても所有者… 類らしい風呂ではあるとは、思うけれど。
初めて此処を、つくしが使った時のコトを想像すると、
赤面、興奮、発狂の姿が、安易に脳裏… 想像できて。
俺は思わずひとり、その場で吹き出す。
先にシャワーを浴び汚れを洗い流した後、湯船に浸かった。
少し熱い位に感じる湯は、疲労を取るにはちょうど良く、
湯船の中、強張った身体を解すように全身を伸ばす。
… 共に、脳内もクリアーに。
ここ数ヶ月のコトを、改めて振り返り…。
やっと此処まで来た… カラダもココロも辿り着いた… と。
全身を湯に浸からせ天井を仰ぎ見ながら、思わず感嘆の溜息を吐く。
そして視界に入り込んでくる、外界からの射光。
俺は光に誘われるようにして身体を起こし、窓から外を眺めた。
… 眩しい。
太陽光と天空の蒼とが、華々しく饗宴を魅せている。
『あいつと付き合い始めてからは、何時も雨に降られてばっかだった気がすっけど。
… 今日は、違うな。
「神さん」 が祝福してるみたいな好天… 天使の鐘の音でも聴こえてきそうだ』
普段の俺なら絶対口走らないようなクサいセリフさえも、呟かせてしまう程に、
その景観は、この世のモノとは思えぬくらい美しくて。
… その後は暫し無言。 その景色に魅入った。
……。
祝福… か。
色々あったが、此れからは… ってトコだな。
… くくっ。 マジ… ホント。
ちゃらんぽらん気取ってたのが、自分でも信じられねぇ。
此の先は 「騎士 (ナイト) 」 の称号でも、掲げさせて頂くかね。
あいつに… つくしに、忠誠なんぞ誓って。
……。
思うコトまでクソ真面目になったと… 再び込み上げてくる、苦笑。
俺は一頻り、ひとり… 素っ裸でケラケラ笑い、
此れから先、享受するであろう幸福… そして、その感嘆に酔い痴れていた。
其処へ…。
「トントン」
『西門さん』
扉をノックする音と共に、つくしの声が聴こえて来る。
どうやら、新しいタオルと服を持って来てくれたらしい。
… まるで 「カミさん」 みてぇだよな、既にもう。
… と、俺も俺で、更に表情をにやけさせながら、返事を返した。
『着替え、持って来てくれたん? さんきゅ』
『うん。 でも此処のお風呂、全部丸見えでしょ?
だから、入口のトコロに置いておくから… 出たら使って?』
『何言ってんだよ。 別に… 中、入ってくればいいじゃん?
お互いカラダの隅々まで知り尽くしてる仲なんだし。
今更、裸が恥ずかしいなんて… 逆に意識し過ぎじゃね?』
『いや… 恥ずかしいってのも確かにあるけど。
やっぱりほら、此処… 花沢類の御宅だし。 客人としての節度… っていうか。
やっぱり、そういうのは… ね? ごにょごにょ…』
『… ったく、んなの。 ごちゃごちゃ言ってねぇで、入って来いって。
それに、類だってまだ、シャワー浴びてんだろ? 気付かれっこねぇ、大丈夫だよ。
それとも、何? 俺に其処まで、迎えに来て欲しいのか?』
『えっ!?』
… そう応えた後、つくしは絶句。
扉の向こう… 俺の誘いに翻弄され、
顔を紅くしたり蒼くしたりして、昂奮しているであろう… 彼女の姿を想像し。
Sっ気? 俺は更なる幸楽に浸り、頬を緩ませる。
そして、伴い増幅する、悪戯ゴコロ。
つくしの逃げ場が無くなるような誘い文句を、続けざま囁いて。
『解った解った、お前の気持ちは。
じゃあ、其処で待ってろ。 今すぐ迎えに行ってやっから。
そしたら一緒に、風呂… 入ろうぜ♪』
『え!!』
驚愕の声を無視し、ワザと大きな水音立てながら、
つくしの元へ行こうと湯船から出ようとした…。
… 瞬間。
「Ring♪」 「バタンッ!!」
鈴音と共、勢い良く扉が開かれ。
『きゃあ!』
『げっ!?』
『おふざけが過ぎるんじゃない? 総二郎?』
硝子の向こう… パウダールームに突如入って来たのは、つくしひとりでは無く。
何故か、類も一緒。 ふたり連れ立ち、此方を見つめ佇んで。
そして類に至っては、唖然とする俺をガン見。
つくしの肩を抱きながら、更に威圧的な言葉を続けてくる。
『認めたって言っても、此処は俺のテリトリーだし。
俺の目が届く範囲では牧野に勝手なコト、させやしないよ。
悲しませる… 困らせるなんてコトは、特にね。
… それに』
『え?』 『!! な!? 類っ!?』
『… 俺だって、こういうコト。 まだ出来る 「位置」 に居るんだからね』
そう、さらりとした様子で呟きつつ… 類の野郎。
俺が硝子越し… 見詰めている前で、傍らに立つ、つくしの唇に…。
… 強烈な 「キス」 を落としやがった!
『つくしっ!』
『油断し過ぎ、総二郎。 牧野はモテるよ? 確りしなよね。
… じゃ、ごゆっくり♪』
俺が慌ててバスルームから飛び出し、
パウダールームで茫然自失となってしまった、つくしの元へ駆け寄った時には、
類はその身をクルリと翻し、部屋からゆったり… 堂々とした態度で出て行ってしまう。
肩越し… 「陶然」 といった、満足気な表情を、俺に向かい魅せながら。
『… つくし、大丈夫か?』
扉が閉じると同時、胸元に抱いたつくしに声をかけた。
『… あ、うん。 ビックリして…』
正気を取り戻し、俺の顔を見上げる… が、直ぐにまた、パニックに陥り。
『きゃあ! 西門さん!! ハダカ、ハダカ!!』
『……』
… と、大騒ぎし出して。
今、俺に抱き締められたコトで、再びズブ濡れになってしまった、つくし。
… ったく。
あの浜辺での雨風といい、京都での霧雨といい。
あの山道での通り雨、此処に来る迄の嵐…。
… やっぱり俺達は、雨に打たれ水を滴らせながら、素直になっていくようになってるらしい。
俺は、騒ぎ続けるつくしを敢えて無視し、そのカラダをキツく強く抱き締めた。
『え…?』
途端、つくしは声を抑え、俺の腕の中、大人しくなる。
そしてそんな彼女の耳元へ、俺は落ち着いた声色で囁きを寄せる。
『… 愛してる。
お前のコト、失いたくない… 傍に居て欲しいって。
マジ、思ってる… ずっと』
『… 西門さん』
『お前… 幸せは自分で掴むモンだからって、さっき言ってたけど。
… そんなコト言うな。 俺にその役目… 果たさせてくれよ』
『……』
『俺に 「誰かを幸せにしてやりてぇ」 って思わせたのは、お前が初めてなんだ。
だから、俺の実力… 試させろ。
お前のコト、幸せにしてやりたい…。 … してみせるから。
それ… 見極めてくれ』
『……』
つくしの腕がゆっくりと持ち上がり、俺のカラダを優しく抱き締めていく。
そしてその小さな掌は、俺の背中に軽やかに触れ、彼女の高揚の想いを如実に表す。
そして、間も無くして。
つくしは小さな… それでいて、はっきりとした口調で。
… 返答を呟いた。
俺の瞳を、確りと見詰めて。
『… うん。 傍にいる。 幸せに… してもらう』
『……』
… 答えを返して来た唇に、
俺は、深く、柔い… 誓いを込めた口付けを、捧げ返した 。
… 此れからの未来。
俺達ふたりがどうなるかなんてコトは、実際、誰にも解らない。
だが、相手を想い、
そして、その相手を思いやるコト… その大切さに気付けている俺達は、
誰と結ばれるコトになっても、幸せを得ることが出来るだろう。
だが今は… この蒼穹の空の下。
俺はつくしとの 「未来」 だけを心に描き… この幸福の瞬間を、噛み締め続けた。
この 「瞬間」 を… 永遠のモノにしてやる、と。
ココロにきつく… 誓いながら。