名残雪




『司、飲んでるか?』


あきらが団欒の輪からそっと外れ、さり気なく声を掛けてくる。
俺と類が二人で話していたコトに、気を掛けていたのだろう。
俺にカクテルを差し出しながら、躊躇いがちに 「大丈夫か」と、言葉を加えた。


『… っち、何だよ…。
 俺は、そんな情けねぇ面… してるのか?』


『いや、そんなんじゃねぇけど』


あきらのフォローとも取れる返答の後に、今度は総二郎が傍らにやって来て、俺たちの会話に水を差す。


『い~や、司。
 お前、未練たらたらだぜ? … 態度に、滲み出てる。
 それに… さっき類に、何、言われてたんだよ』


『おい、総二郎…!』


けしかける様な総二郎の 「問い」に、あきらが注意を促した。
慌てて総二郎が 「冗談だよ」と笑って過ごそうとするのを、
俺はあえて飄々と、何の戸惑いも無いかのように応える。

… 認識してしまった牧野への 「想い」を、二人に知られたくは無い…。


『… 別に。
 牧野は元気だって、言って来ただけだ』


『……』


その言葉の意味を推し量るように、二人は一瞬、口を噤んだ。

あきらは 「そうか…」と一言呟き、天を仰ぐ。
… 総二郎は、意味深な頷きをみせて、小さくほくそ笑んだ。
そして、視線を大袈裟に泳がせながら、中庭に抜けるテラスに向ける。


『『……?』』


何事かと、俺もあきらも総二郎の視線に誘われるように、そちらを見つめた。


……。


『… 牧野』


あきらがポツリと、呟く。



*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※



そこには、先程まで女共の中で騒いでいたはずの牧野が、一人佇んでいた。

… 冬の闇夜。
外は凍てつく程の、寒さではなかろうか?
サロンルームの光が眩すぎて、室内に居る者から見るとテラスに居る彼女は 「影」となり映る。
その姿が尚のこと、彼女が寒さに震えているように、魅せて。

… 俺は、その姿を己の視界に認めた瞬間、無意識の内に立ち上がっていた。


『… お、おい。 … 司…』


あきらの控えめな、制止の声が聞こえる。
それでも一歩を踏み出してしまった俺の歩みは、止まらなかった。
総二郎は何も言わず…。
… しかし先程までの笑みはその表情からは消え、ただ、俺の行動を見つめている。

……。

… 類はまだ、戻らない。
… 今なら、俺は…。   

……。

俺は静かに、テラスへ抜ける扉を開けた。
扉の軋む音と、一瞬射す様に漏れた灯りに気付き、牧野が俺に向かい、振り向く。


『道明寺…』


俺を真っ直ぐに見つめる、黒色の瞳。
冷風に晒されたその瞳は潤みを持ち、室内からの灯光を反射させ煌めいていた。

… 俺は着ていたジャケットを脱ぎ、無言で牧野に手渡す。

……。

… 言葉が出ない。
彼女の瞳が、あまりにも綺麗で… 無垢な透明感に、溢れていて。
言葉を漏らせば、俺の 「邪」な想いが見透かされそうな気がする。

… 牧野に 「触れたい」と …。

……。


『え、いいの? ありがとう』


牧野は俺のジャケットを羽織ながら、満面の笑みを浮かべた。
そしてそのまま視線を、夜空に向ける…。

… 静寂の時間。
過去が清算されていくような、錯覚を覚える…。

……。

… 俺は小さく息を呑んだ。
気持ちを冷静にすることを心がけ、牧野に向かい、穏やかに声をかける。


『… どうしたんだよ。
 室内(なか)に、入らねぇのか?』


『あはは、またちょっと、飲みすぎたかな。
 … なんだか、酔ったみたいで。
 少し、風に当たってようと思ってさ』


『寒くねぇの?』


『うん… このジャケットのお陰で、大丈夫。
 あ、でも、あんたが風邪ひいちゃうね?』


『… へーき。
 これ位、NYの寒さに比べたら、大したことねぇ』


『そうなんだ。
 … 確かに、あんたを追って行ったときのNYは、寒かったけど』


『……』


… NY。
迎えに来た彼女を、突き放してしまった街。
そして、類と牧野が初めてしっかりと、心の繋がりを確認した場所。
… あの時から既に、俺と牧野の道は、別れていたのかもしれない。

……。

… っち…。
嫌な事を、思い出させる…。

… 俺は意図的に、話題を変えようとした。


『類と… 住み始めたんだってな』


『あぁ、そうか。
 道明寺はまだ、ウチに来たコトないんだっけ。
 うん… もう、一ヶ月になるよ』


『……。 … 楽しんでんのかよ?』


『… まぁ。
 一緒に住んでたら… 色々と、ね…』


『……』


徐に俯きながら、彼女が一瞬、憂いの表情を魅せた気がした。
しかし次の瞬間には再び顔を上げ、白い吐息を空気に溶かしながら、星空を眺める。
それ以上のコトは、何も言わずに…。

……。

… 見間違いか?  
… いや。
… 何か類との生活で、不安要素でも出ているのだろうか?

……。


『… そういえば、ここにあたしが住んでいた時にさ、夜中あんたに呼び出されて。
 こうして一緒に、星を観た事があったよね。
 あの時の土星… ホントに可愛くて、綺麗だった…』


『ああ、そんなコト… あったな』


あの時牧野は初めて、俺と付き合うことに前向きな姿勢を見せてくれた。

… 土星のネックレスを頸につけてやった時に魅せた、彼女の白い 「うなじ」。
後ろから、その細く華奢な身体を抱き締め、頬を寄せて、彼女の唇を求めた。
そして、触れた… 柔らかな、唇。

今、また…。
彼女があの時と同じように、俺の眼の前に、居る。
少し切なくなる声で、呟きを発しながら…。

……。

… ダメだ、止められねぇ …。


俺の腕が、牧野に伸びる。

俺の動きを気にも留めず、無防備な背中を見せる彼女。

俺はその背中を、彼女の腕もろ共、後ろから抱き締めた。


『きゃあっ!』


驚愕の思いか、彼女の身体がその叫声と共に、大きく揺れる。
そして次には、動揺を表すように、小刻みに震え始めた。


『… ど、道明寺。
 止めて…。 … 離して…』


… 震える声。
抱き締めた瞬間、俺の腕の中に湧起る、彼女の温もりを含んだ暖かな匂い。  

… 変わらねぇ…  
… あの時と、何も…。

彼女の、華奢な身体も…。
強く抱くと折れてしまいそうな程に、軋む腕も…。

そして…。
… 唇に触れる、柔らかな 「頬」の感触…。


『……。 いやだ… 止めねぇ。
 今更… 止められるはずがねぇ。
 … もう一度。
 … お前を、俺のモノにする …』