one more… 4






【 Tsukushi 】




類と共に部屋に通された今も、あたしはこの状況を信じられずに居た。


「類」と 「ホテルの部屋」に 「二人きり」で居る… これがどういう意味であるのか、あたしにだって理解ってる。

だからこそ、信じられない… 理解できない。
… 本当に自分の思いが求めるままに、「こんなこと」してしまっていいの?

類は部屋に入ると同時に美作さんに連絡を入れ、先に帰宅する旨伝えていた。
あたしと言えばリビングの真ん中辺りに佇み、茫然としていることしか出来なくて。
… 挙動不審に室内をきょろきょろと見回す。
… 心の中で自問自答、ずっと繰り返しながら。

『… 牧野』

携帯電話を閉じながら、類があたしを呼ぶ。
その声に、あたしの身体は思い切り反応し、自分でも驚く程に跳ね上がった。
類はそんなあたしをクスクスと笑い、傍まで歩み寄ると、そっと掌をとり握り締めてくる。

『おいで… こっちで休もう』
『……』

掌を繋がれ、誘導される。
そこは窓際… 外景が見渡せる場所。
二人がけのソファと小さなテーブルが置かれていて。

地上17階。
スウィートルームから見える春の空はどこまでも蒼く。
また眼下には、薄紅色の桜の園が広がっている。
その美しい映像のようなコントラストに、あたしは瞳を見張り、感嘆の声をあげた。

『… 綺麗…』
『……』

類の掌が、あたしの後ろから伸びる。
あたしの身体を、包み込むようにそっと抱き締め… まるで春の風のように優しく。

… 何も言葉にしなくても、互いの心はわかって居て。
… だからこそ、類はあたしを誘い。
… あたしはその誘いに、のったのだ。

想いを… 成就させたくて。

……。

もう、何も… 考えるのは止めよう。
今は… 想いのままに。

……。

首筋に沿い、触れる指先。
あたしは誘われるように、類に向かい顔を傾げた。
淡く顎を掠める、彼の吐息。
あたしの頬を、類の薄茶色の髪の毛が擽る。

『… 類…』
『しっ… 黙って?』
『……』

あたしの唇に、類の指が重なる。
指先から、類の体熱を感じ… あたしはそこから、身動きひとつ出来なくなる。

類の指が、あたしから静かに離れて行くと同時… あたしの唇は、類からの違う熱に包まれる。

… その先には、甘美なまでの口づけが待っていた。

類もあたしも生まれたままの姿となり、素肌を重ね。
類の細い指先、それでいて男らしく筋張った大きな掌が、あたしの身体中を弄り、刺激を送り続ける。

… その抱擁と愛撫に、あたしは何度、違う世界へ意識を逃しただろう?

最後… あたしの身体は 「彼」を受け入れた。

そしてあたしは、この世のモノとは思えぬ快感に溺れながら、類とひとつに溶け合い。

もう彼だけ、あたしの傍に居てくれれば良いと… あたしの欲しいモノは、彼しか、此の世界には無いのだと。

切に… 思った。





【 Rui 】



『忙しいのに悪いな』

部屋に入ると同時、あきはら謝罪の言葉を口にした。

『別に… 気にしなくていいよ。
 却って来てくれて助かった… 一人だと要らぬコトばかり考える』

俺は小さく笑いながら、落としておいた珈琲をカップに注ぎ、あきらに手渡す。

あきらはカップを受け取ると窓際に移動し、その場に佇みながら、ひとり外を眺め始めた。


『… 降ってきたな』

『… うん』


それ以上、交わす言葉も無く… 俺達二人の間には沈黙の時だけが流れる。


… どれくらい、そうしていただろう。

俺は徐に携帯を開き、時間を確認した…「タイムリミット」 まで幾らも無い。

あきらは 「牧野」のコトで話があると言い、ここに来たはずだ。
何故、話を切り出さないのか?
その態度は、あきらの 「話」が俺にとって、余り歓待できる 「モノ」では無いことを物語っている。

『あきら… 話って?』

気が逸り、俺から口火を切った。
あきらは一瞬、驚きの表情を浮かべ… だがその後、諦めにも似た小さな溜め息をひとつつくと、俄かに俺から視線を外し呟きを始めた。

言葉にするのは、憚られる… そんな物言いで。

『… あぁ、悪ぃ。 
 その為に時間、取らせてるんだもんな。
 うん… お前には伝えておかないと… って。
 此の 「式」の前に…』
『? 何?』
『うん… 類、牧野… な?
 牧野… 見つかるかも知れないぞ?』
『え?』

「見つかるかも知れない」… あきらの、ほぼ断言に近い 「言葉」 。
俺は思わず、確認の問いを返した。

『それって… どういう…?』
『お前の婚約を知った 「司」が、牧野を探し出すって言い始めたんだよ。
 あいつは警察までも動かす男だ。  
 牧野を探し出すこと位、容易いだろう?』
『司が…』
『お前の婚約を、昨日知ったって… 今朝、俺の所に電話がかかって来て。
 すげー 「剣幕」だったぜ?』
『……』

今回の婚約の件は、俺からは幼なじみ三人の誰にも話して居ない。
あきらのもとには、経済界の情報として断片的に話が伝わり… それでも俺と直接確認の連絡が取れたのは、つい最近のコトだ。
海外に居る司が、一企業の後継者の結婚話など、知る由も無いのも当然だった。

『… 類、いいのか?』
『え…?』
『牧野が見つかるかもしれないんだぜ?
 このまま婚約なんて… 本当にそれでいいのかよ?』
『……』

あきらの言葉の 「意味」は解って居る。
しかし今更、何が出来ると言うのだろう?
あれだけ探した牧野が、いくら司の力を持ってしても、すぐに見つかるとも思えず。
また仮に見つかったとしても、再び彼女から 「拒絶」を受ける可能性もあるのだ。

今更… 何も、出来るコトなんて無いんだ。

『無理… もう… どうしようも無い』
『… 類』

… 「コンコン」…

俺の呟きと同時に、部屋の扉がノックされる。
俺とあきら… 二人の視線が、一斉に扉へと向けられた。

『花沢様… お時間でございます。
 ご指定のお部屋への、移動をお願い致します』 『……』

扉の向こうから囁かれる声に、俺は思わず、溜め息と微笑を発した。

此れは… どんな感情なのだろう?

諦め…。
失望…。  
投遣り…?

『時間だから行くよ。
 あきら… ありがとね』

俺はあきらの肩をひとつ叩き、部屋を出ようと扉のノブに手を掛けた。  
その時。

『類!! 待てよ!』
『!!』

あきらの呼び止めに、俺の足が止まる。
俺の背に向け、あきらの声が響いてくる。

『お前… 今でも牧野を好きなんだろ?
 なんで諦めちまうんだ… 静を追ってパリに行ったお前は、どこに行っちまったんだよ!
 あの時牧野に言われたコト、忘れちまったのか!!
 どうして… 牧野を、追ってやらないんだ…!』

あきらの悲痛な叫びが、俺の背に… そして部屋の壁に反響する。
俺は身動きひとつ出来ず、そんなあきらの声を背中越し、聞き受ける。

……。

解かってる… 解かってるさ…!
でも今更、どうにもならないじゃないか…!

だって、牧野は居ないんだ。
俺がどんなに欲しても… どんなにきつく抱き締めても、彼女は俺の腕を擦り抜け、飛立っていってしまった。

俺の想い… 置き去りにして。

こんなに…。
愛しているのに…。

……。

『あきら… ゴメン…』

俺は一言だけ謝罪を口にし、あきらを一人残して部屋を後にした。