one more… 3






【 Tsukushi 】




道明寺との婚約を決め本当なら幸せの絶頂に居るべき時、あたしの心はずっと揺れ動いていた。

「何に」?

そう問われてしまったら、明確な答えは返せない… ただ漠然とした不安。
優紀に相談したりしたけれど、いわゆるマリッジブルーではないかと一蹴され。
… そんな曖昧な想いを抱いたまま、あの 「雪の日」を迎えた。

唇に触れた、類の 「想い」… それを 「受け入れ」た、あたし。
降りしきる雪が、あたしたちに届く前に融解しているのではないかと思うほど。
類の掌も、あたしの頬も、そして、触れ合う唇も… 熱かった。


… なんでだろう…。
… 頭から離れないの。
… いけないって、思うのに。
… 忘れなきゃって、必死に打ち消すのに。
… 消えていかない…。

あの 「類の唇」「類の掌」「類の香り」「類の声」… 彼の全てが、あたしの身体に沁み込んでしまって。

一人で居ると、切なくて… 恋しくて。
彼を見つけてしまうと、触れて欲しくて。  

もう一度…「口付け」が、欲しくて。


隣に道明寺が居ても、視線が自然に類を追ってしまう。
これではいけないと、瞳を逸らして。
意識的に類を視界に認めるコト、拒否をするのに。
時が経つと何時の間にか無意識に、再び彼を探してる。

どうしよう… どうしたらいいの?

その上、道明寺があたしに触れようとした途端、強張り撥ね退けた、あたしの「身体」。
類以外の 「肌」との接触を、あたしの気持ちに反して勝手に拒絶する。

……。 「反して」…?
違う… 「正直」に、だ。

類の傍に居たいのに… それが許されない、あたしの 「立場」。
心と身体が違うものを追いかける、あたしの精神状態は… とても脆く不安定で、今にも崩れてしまいそうだった。


『牧野。 お前、花見に行って来い』
『は?』

道明寺が定期的に寄こすネット通信で、そんな事を突然言い出したのは、三月初めの週だった。

『花見? 何、それ?」
『話してなかったか?
 今月末、英徳主催で、花見の会があんだよ。
 俺が行けないんで、一度は出席を断ったんだが… お前もそろそろ、そういう席に慣れておいた方がいいと思ってな。
 この会なら来るのは英徳の連中ばかりだし、気楽に参加出来るだろ?
 … あいつらも来ることだし』
『「あいつら」?』
『あきらに、総二郎。
 それと類には、お前のエスコートも頼むつもりだ』
『!? エスコート? 類に?』
『… っち。
 ホント当たり前に 「類」って呼ぶようになったんだな… まぁそんなの、どうでもいいけどよ。
 類ならお前の失敗もフォローしてくれるだろうし。
 あきらと総二郎は、もう既に連れてくパートナー、決めてんだろうからな』
『……』
『なんだよ? なんか不安か?』
『え? ううん、違う… 何でもないよ。
 でも類が… あたしなんかと一緒で、いいって言うかな?』
『大丈夫だろ? イヤとは言わせねえよ。
 それに他のヤツなんかと行かせらんねえし… そういう点でも類となら俺も安心だ。
 なんてったってお前は、俺に心配かける天才だからな』
『……』

モニターの中で、ケラケラと笑う道明寺が居る。

… あたしは今、どんな顔で彼の瞳に映っているのだろう?

目の前で話す 「婚約者」に、あたしの心は向いていない。
それどころか、彼が信頼している 「男」に対し、あたしの想いは向かっている。

… 泣いちゃダメだ。 … 笑顔を作れ!

通信が切れるまであたしは必死に、彼の婚約者を演じ続けた。





【 Rui 】



牧野の掌を取って、桜鑑賞会の会場に向かう。

今回の会は、花見の席といっても立食形式のサロンパーティーのようなもの。
牧野も正式な和装ではなく、春らしい明るい色彩のパーティードレスを纏い、俺の横に並んだ。

『類、ごめんね… あたし、こういうのに慣れてなくて。
 いっぱい迷惑かけちゃうかも』

そう言って、履き慣れないヒールのあるパンプスに四苦八苦しながら歩く、牧野。
俺の腕を掴み必死になっている彼女の姿に、俺の頬は自然に緩み、思わず笑みが零れる。

今日の彼女は、俺に向け、本来の 「笑顔」を魅せてくれて…。

… 幸福な時間。  
… 牧野が、俺の「モノ」であるかのような、錯覚。
… 何時までも、こうして居たいのに。

他人と挨拶を交わす時、牧野は俺を立てることを忘れず、控えめに後ろに下がり話をする。
それでも彼女の魅力である明朗は、いつの間にか周囲に人を集めることとなり。
俺と彼女はパーティーの間中ずっと、宴の中心に立たされていた。


『類… ちょっと…』

だが、宴も終盤に近づいた頃、牧野が俺の肩に寄りかかるようにして呟く。

… 顔色が良くない。  
足元もおぼつかなくなってる。

『何…? 気分、悪い?』
『うん…』
『人酔いかな… 少し席を外そう』

俺は近くに居たあきらに理由を話し、牧野の肩を抱き支えながら、会場の外に出た。
ロビーのソファに座らせ隣に寄り添いながら、氷水が入ったグラスを渡してやる。
牧野は、水は飲まず浮いた氷をひとつだけ口に頬張ると、小さく溜息をついた。

『大丈夫? 疲れた?』
『うん… 大丈夫。  
 ごめん… ずっと立ってたから貧血が出たのかも。
 それにやっぱり、知ってる顔ばかりだったけど、緊張もあって…』

俺の問いに対し、青白い顔に無理やり微笑を浮かべ、応える牧野。

… あぁ、またこいつは、俺の前でも笑顔を 「作って」いる。

俺はその 「作られた微笑」を見せられる度に、切なくなって。
彼女を抱き締め、俺の腕で暖めてやりたいと… そんな衝動に駆られる。

しかしいつもならここで理性が働き、湧き起こる想いを閉じ込めるのに。

何故…?
今日は牧野の 「笑顔」に、俺の感情の箍が外れ。
告げてはいけない 「一言」が、勝手に口元から迸った。

『ムリしなくていいよ… 重要なパーティーってワケじゃない。
 今日はもう、退散しよう?
 … でもまだ、移動は辛そうだね?
 「部屋」で… 横になる?』
『……』

牧野の瞳が、大きく見開かれる。
俺の言葉の 「意味」を、彼女が理解した証拠の仕草。

告げてしまった俺は、己の想いを現し示すように彼女の瞳を見つめ続け。
逆に牧野は、慌てて俺から視線を逸らす。

… だって、此の溢れ出る想い、止まらないんだ。
… 封印なんて出来ない。
… あんたの傍に居たい。
… あんたに触れたい。  

… あんたを… 抱きたい。

胸を掻き毟りたくなるほどに焦がれる 「想い人」が、こうして隣に寄り添って居るというのに。
冷静で居られる人間なんて、存在するのだろうか?


ロビーの壁は一面硝子張りになっており、俺達が座るソファからも満開の桜が見渡せた。
俺は視線を窓一面を薄桃色に染める桜の木々に移しながら、牧野の返事を待つ。

『……』

… どれくらい、そうしていただろう。

『……』

牧野の右掌が、徐に、膝に乗せていた俺の左掌を探る。
指先で軽く甲に触れた後、俺の左掌を掴むようにしながら指先を絡め、しっかりと繋げてきた。

俺は多少の驚愕を感じ得ながら彼女に視線を戻し、その口元を見つめる。
牧野は戸惑いからか、何度も唇を開閉させ。
最後、か細く、とても小さな声で、俺に対する応えを返した。

『うん… 部屋に行く。 … 連れていって』