桜の記憶  prayer 4





つくしが訪れた、同日の夕刻… 同じ「森の桜」の場所に、一人佇む影があった。


『やっぱり… まだ早かったな』


辺りを見回し、物憂げに呟く。

細身のスーツを纏い、ポケットに掌を入れて立つ其の姿は、此の場所には似つかわしくなく… しかし却って、異次元のような不思議な空間を、周囲に作りだす。


… 其処に居たのは「類」であった。


昨日突然、東京本社にて行われる役員会議への出席を社長である父親に命じられ、ミラノ発の夕刻便に飛び乗った。
東京へは、一時間程前に着いたばかりで。
明日の会議が終われば、また直ぐにイタリアへ戻らなくてはならない。

今夜も契約を結ぶ企業の主催パーティーに、父の名代で出席せねばならず。
日本に戻ったと云っても、自由な時間など取っていられない状況だった。


勿論… つくしに会う時間も。


… 同じ東京の空の下。
こんなに近くに、居るのに…(居たのに)…。


成田に到着した際、偶然見止めた電光掲示板に、桜の開花を告げるニュースが流れた。
その流れる文字を見た瞬間、何故か此処に来なくてはいけない気がした。

スケジュールを無理矢理切り詰め、立ち寄ってみる。
しかし、薄紅の空間を期待しつつ空を見上げてみれば、其処は未だ、満開と云う状態には程遠く。
春の夕闇が広がり始めた此の時間帯では、桜の花びらを判別することすら、難しくなっている。


『… 今年はムリか』


自然と漏れる、落胆の溜息。
刹那、どれだけ此の桜の存在に依存しているのだ… と、類は茫然とする。
そして自身の行為に苦笑しつつ、車に戻ろうと踵を返した。
その時、上着のポケットに入れていた携帯電話の着信音が鳴り響く。

静寂な此の場所に不釣り合いな機械音を、類は再び溜め息を吐きながら、聴いた。 

ポケットから携帯電話を取り出し、画面を開く。
携帯画面が、夕闇に包まれつつある此の場を、一際眩しい光で照らした。


『?』


その時、光で照らされた地面に何か反射するモノを認める。
類は其の「モノ」に近づきながら、徐に通話を繋いだ。


『… はい』

『類さま、田村です』


多分に相手が田村であろうことは、予想していたが。
… 内容は、次の予定に対し時間が押していることへの小言であろう。


『あぁ… 何? もう、時間なの?』


類は田村とのやり取りより、先ほどの煌めくモノの方が気になり、話しながら歩みを進めた。


『いえ、時間は未だ大丈夫です。
 ただ一度ご自宅に戻られるのであれば、そろそろかと』

『… ん』


返事をしながら、腰を折るようにして其れを拾う。

落ち葉の中に、半分埋もれたように落ちていたモノは、綺麗にラミネートされた、ただの「しおり」だった。


『自宅には着替えに戻るだけだ。  
 そんなに時間は…』


… が、指で捲ったしおりを裏返し、表面側を目にした瞬間。
… 類の動きが止まる。


其処に貼られていたのは… 二輪の桜の押し花。

薄紅色の色紙に、載せられ。
色こそ褪せているものの、凛とした姿のままで。


… 牧野…?


類には何故か、確信があった。
此の小さなしおりは、つくしのモノに違いない。

思わず電話の途中であることも忘れ、周囲を見回す。
綺麗なしおり… 落とされてから、未だ時間は経っていないはずだ。

しかし見えるのは、森の闇ばかりで。
そこに「想い人」の影は、無かった。


『… 牧野…』


小さく其の名を… 呟く。

… ふと、左手に持つ携帯電話が、まだ通話中であることを思い出す。
改めて耳に当てると、田村の声が飛び込んできた。


『類さま! 類さま!!  
 何かあったのですか!? 大丈夫ですか!?』


絶叫に近い声…。
相変わらずの子供扱いだ… と、類は微笑を浮かべながら言葉を返す。


『田村、ごめん。 なんでもないよ。
 … ただ…』


今一度周囲を見回してみるが、やはり人影は見当たらない。


『此の後… 一時間でもいい。
 時間を取るのは、ムリかな…?』

『類さま… 難しいですよ。
 明日の帰国便の時間まで、予定で全て埋まってしまっています。
 真夜中なら、ともかく…』

『……』


類は、右手に持つしおりを眺めながら、佇む。


『何かございましたか?』

『いや…』


… 会いたい。
会って、声が… 聞きたい。

それが叶わぬなら、姿を見るだけでもいい。
あの牧野の、眩い笑顔が見たいんだ。


こうして接点を持ってしまえば、抑えられなくなる、心。
それでも互いの立場が、溢れ出る想いに蓋をかけて。

発散出来ない想いは、愛しさを募らせ、苦しみを与え… そして。
… 狂おしさを、増殖させてゆく。


会ってしまったら… 想いを抑えられず、一線を超えてしまう…。

善悪の区別も… 判断も、つかなくなり。
俺は、牧野を悲しませること… きっと、してしまうだろう。

会わない方がいい… 絶対に。

… 牧野の為にも。


類は自分に言い聞かせるようにして、気持ちを抑え込んだ。

桜のしおりを両掌で包み込むように握り締め、自由にならない想いを嘆く。


『ステラ…。
 やっぱり愛の曲は、一生… 弾けそうにないよ』


自嘲の微笑を浮かべ、呟く。

しおりを胸ポケットに仕舞い、その上に掌を軽く置いた。

自分の心音と、つくしの心音が重なった気がして。
… 胸元が暖かくなるのが、感じられた。





※  以心伝心? 惹かれ合うふたりです照れ 感想など是非是非お聞かせくださいねニコニコ よろしくお願いいたしますクローバー