桜の記憶  complex 4





… あれから約半年。
司は、以前にも増して仕事にのめり込んでいるのか、NYから戻って来るのは、月に一度あるかどうかだ。
毎日欠かさずつくしと連絡は取り合うものの、それも連絡事項を伝えるだけの内容が多く、以前のように寸暇を惜しんで… というような感じではなくなった。

だが司もつくしも、今は障害があるわけでも無く、結婚・夫婦というふたりの関係に対する安堵感もあるのだろう… そんな状況に、疑問を持つことはなかった。

それにつくしもまた、それを気にする時間など無い程に、忙しい日々を送っていた。
道明寺家に嫁いできた者への教育の一環として、午前中にマナーを学べば午後は経営学というように、分刻みでのスケジュールを組まれる日もある。
屋敷に籠り、机に向かっているだけで一日が終了する… そんな日々も多くあった。

そんな閉息した環境の中で、つくしの癒やしとなっていたもののひとつが、たまにもらえる休日の外出である。
此れは大体が、実家への帰省、友人達との交流にあてられた。


… もうひとつは、類から届く手紙。

つくしは時間が空くと自室に戻り、コルクボードを眺めるのが常であった。

彼が其の場に行って、実際に見たであろう景色。
そして短いながらも、彼の人柄が滲み出ている文章を読むだけで、つくしの心がほんわりと温かくなっていく。
… 自然と笑顔になれ、まだ頑張ろうと思える。


… 類。
あなたはこうして遠い場所からでも、あたしを包んでくれる。
あなたの手紙は今の生活の中で、あたしの支えになってる…。



秋も深まってきた頃。
久しぶりの休日に、つくしは優紀と外で会う約束をしていた。

待ち合わせ場所は、優紀が働くショップが入るビルの最上階にあるカフェ。
引き継ぎでどうしても半日、仕事に出なくてはいけないとのことで、ランチの時間帯を待ち合わせの時間にした。

早めに着いたつくしは、ガラス張りの眺望が良いカウンター席で、優紀の到着を待つ。

… こうして何もせずに外を眺める時間をとれたのは、何時以来だろうか。

忙しいことには、昔から慣れてはいるが…。
此処のところ、疲れが溜まってきている気がする。 
… 肉体的にも、精神的にも。

窓から見える秋の空は、透き通るような冬空に近づいていて。
その透明感に、体ごと吸い込まれそうな錯覚を覚える。

… 此の空は、司や類が居る場所にも繋がっている。

今、此の空を渡って、どちらかひとりにだけ会いに行ける… と言われたら、あたしは二人のうち、どちらを選ぶのだろう?

… 道明寺?

それとも… 類?

呆然とそんなことを考えているうちに、待ち合わせの時間を、疾うに過ぎて居ることに気づいた。
携帯電話を確認するが、優紀からの連絡はない。 

… 仕事が長引いているのだろうか?
ショップまで確認に行こうかと思案していた所に、突然背後から男性に声をかけられた。


『牧野』


… 懐かしい呼び方。
誰?… と、少々訝しげに振り向くと、其処には総二郎と優紀が並んで立っていた。


『西門さん? 優紀… どうして?』


思わず立ち上がり、つくしは詰め寄るように尋ねる。
すると優紀は、何時もの少し下がり眉になる表情で、申し訳なさそうに理由を話し始めた。


『つくし… 急にゴメンね。

 私、昨日、西門さんのお茶の会にお呼ばれしてて。
 其処で西門さんに、今日つくしに会うこと話したら…』

『違うでしょ? 優紀ちゃん。

 俺がデートに誘ったら、先約がある… って断るから。
 相手は誰だ! 俺が乗り込んで鑑定してやる!
 … って、来たんじゃん』

『西門さん! また、そんなこと…!』

『……』


照れながら、総二郎を軽く叩こうとする優紀。
それを笑ってよける、総二郎。

そんな二人の姿を、つくしは呆れながらも、内心、微笑ましく… また羨ましく思いながら見つめた。


『… ってなコトで、俺もついてきたってわけ。
 とりあえずカウンターじゃなく、別んとこに席、移ろうぜ』

『はいはい』


何故、付いてきて居るのか… 正確な理由を答えぬうちに、総二郎は勝手に質問を完結させる。
そして会合の主導権も、何時の間にかつくしと優紀… ふたりではなく、総二郎に渡って居て。

… 相変わらずだな、西門さん。

つくしは昔と変わりない総二郎の様子に、多少辟易しつつも安堵の思いも懐いていた。

店の奥… ボックスの席に移り、つくしと優紀、向いに総二郎という形で席に着く。
軽い食事をと各々メニューに目を通し、注文を済ませた。


『西門さん、家元襲名決まったんだってね。 
 おめでとう』


つくしから、話題を切り出す。
先日、優紀から聴いた、未だ公にはされていない情報だ。


『サンキュ。
 … って言っても、やることは今までと、あんま変わんねぇけどな』


総二郎は髪をかきあげながら、少し照れた様に応えを返した。


『でも、忙しそうですよね。
 此の前のお教室は、お弟子さんが教えてらしたし…』


『ちょっと待って、優紀。
 「忙しい人」が、あたしたちのお茶に来れると思う?
 西門さんの「忙しい」は、相変わらず「夜だけ」なんじゃないの?』


… つくしの毒舌には、総二郎も思わず、苦笑い。
反論出来ずに居るところを、優紀が慌ててフォローに入った。


『違うのよ、つくし。
 ホントに西門さん、つい此の間まで海外に行ってらして。
 茶道国際交流… でしたっけ?  
 ヨーロッパの国々を、周ってたんだって』

『… ヨーロッパ…』

『……』


… 類。
彼が居るイタリアも、そのひとつ…。

つくしの表情が、ヨーロッパという言葉に触れただけで、微かに強ばる。
そんなつくしの小さな反応を、総二郎は見逃さなかった。
そして、まるでつくしの心を読み取ったかのように。


『… ミラノで「類」に会った。
 忙しいらしくて、一晩、飲んだだけだったけどな。 
 … 元気そうだったよ』


… と、呟いた。

つくしの瞳が、真っ直ぐ、総二郎を見詰める。
少し潤みを持ち、次の「彼に関する言葉」を待っている…。


… なんて顔、すんだよ… ったく…。


総二郎はつくしの「表情」に、小さく溜め息を吐いた。
そして、あえて淡々と、言葉を続ける。


『… 正月には、帰ってくるらしいぜ。
 あきらも、バンコクから一度戻るって言ってたな』

『そうなんですか?
 それじゃ、久しぶりに皆さん、揃うことができそうですね。
 道明寺さんも、年末年始くらいは帰って来れるんでしょ?  
 … つくし?』

『… え?  あ、うん… 多分ね』

『多分って… つくし。
 自分のダンナさまの、予定も知らないの?』

『……』


知っているような、知らないような…。

結婚して半年を迎えても、つくしは司の仕事を全くと言って良いほど、把握していなかった。
これが共にNYに行き側に居られたなら、否が応でも覚えていけたのだろうが。

… こんな時、何時もつくしは思う。

… 自分は一体、なんなのだろう?
道明寺家にとって、そして司にとって…。
何時までも勉強ばかりで、なかなか確立出来ない、道明寺家での自分の立場。

… 何ひとつ、今、自信が持てるモノがない。


そして何よりも今、気になるのは…「類」のこと。

… 帰って来るんだ。
会えるかもしれない…。

未確定な期待であるのに、つくしの口元には自然と笑みが浮かぶ。

… 会えたとしても、何も状況は変わらないコトはわかっているのに。
それでも、彼の姿を見たい… 彼に会いたい… と、思う。


『……』


総二郎は優紀とのやり取りで変化するつくしの表情を見つめながら、イタリアでの類との時間を思い出していた。





※  次回、やっと類くん登場ですラブ