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ここ最近はありがたいことに、リフォーム工事の大きな現場が動いていていて、現場の状況を確認したり、必要な建材を運んだりと大忙しだ。

現場に出向くことで大工さんから教わることも多い。まだまだわからないことが多く、日々勉強だ。

大工さんが一つ一つ作り上げて、新しい空間が出来上がってくる時がやっぱり楽しいし、お客様に喜んで頂けるかなと思うと、休みがなく大変でも頑張れる。

自分は会社に入って、最初、草花や樹木の発注、園芸資材の発注をやって、そこからお庭造り、外構工事をやり、今はリフォームをやっている。

連休前になり、草花を買いに来るお客さんも増え、園芸売り場も大変だ。

だいぶ園芸の発注は人に任せるようになったけど、野菜苗は自分がまだやっていて、キュウリ、ナス、トマト、ゴーヤ、ピーマン、シシトウ、オクラ、スイカなどなど、今日も発注しました。

一つのことに集中して、力をつけたいと思うけれども、なかなかそうはさせてくれないのが自分の人生だとわかってきた。本当はもっとできるのになぁと心の中では思ったりするけど、色々やれるのがまた良いのかもしれない。

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沖縄のゴーヤを仕入れてみました。 白ゴーヤなんかもあります。

ゴーヤの苗を植え、成長と共に緑のカーテンとして日よけにする方たちが増えているのは良いことだ。

これからますます、自然を活用する本来の日本の文化が見直されていくだろうし、そういった仕事をしていきたい。

明日も頑張ろう。

 

友人から久しぶりにメールが来た。



年に一回、飲み交わすような付き合いの友人だ。



彼とは中学一年の時、隣の席で友達になった。



学校は横浜にある私立A中学で、私は町田から、彼は横須賀から通っていた。



帰りは反対方向だし、クラスが同じだったのは最初の中1の時だけ。

そして自分はテニス部、彼はラグビー部というように、部活も違っていた。



そんな一緒にいる要素がなかったのに、不思議な縁によって今まで続いている。



何故だろう。



ふたりとも同じように早稲田を目指していたからなのか?


ふたりとも同じように受験に失敗し、淋しい宅浪を経験したからなのか?



こういった共通項も確かにあったのかもしれないけど、一番不安定な学生時代

を共に過ごし、苦しい時に奴がいてくれたということが大きいのだろう。


今、ブログを書きつつも様々なことが鮮明に思い出される。




彼は早稲田でラグビーをやって早明戦に出るという夢があった。

自分は早稲田で建築を学んで建築家になるという夢があった。



しかし、大学入学後、受験勉強から解放された友は、ラグビー部の門をたたくことをせず、ボート部に入ってしまった。ラグビー部の凄まじい練習を恐れ、休みたい、遊びたいという気持ちから自ら夢を放棄してしまった。



自分は第一志望の建築学科は合格できず、第二志望の学科に入学することになった。サークルに入り新しい出会いがあるなかで、楽しさとつまらなさが混在する学生生活が進んでいった。


希望の大学に合格はしたけれど、どこかずれてしまったふたりは、

やるべきことをやれていない中途半端な気持ちをいつも抱いていた。



2年生になりもう一度決意しなおして、彼はラグビー部に入った。

そして私は夜間の専門学校で建築を学ぶことにした。



ようやくスタートラインに着いた時だった。



あれから14年経つ。



この間、様々なことがありすぎて、自分がどうなっていくか、とても想像できなかったけれど、出会った人たちに感謝だし、特にこの友人がいてくれたからこそ今の自分があると思う。



彼は3年後、赤黒のジャージーを着て早明戦に出場した。夢を叶えた瞬間だった。


そして今、司法試験合格を目指している。




私は3年前にようやく一級建築士の試験に合格した。



仕事と勉強の両立はとても苦しかったけど、この時、自分を励ましてくれた人がいた。その人の為にも早く成長して、一人前になりたい。



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1週間ぐらい前の写真です。店の近くの枝垂桜。

「被災地は負けない」という連載が新聞にあり、紹介したいと思います。


被災した東北地方で懸命に頑張っている人が載っています。



宮城県の気仙沼市。23日の昼下がり、小高い丘の上にある避難所の屋外で、散髪が行われていた。


いすに座った壮年の髪をシャンプーで洗い、じょうろでお湯をかけて流す。お湯は、薪を燃やして沸かしたものだ。


ハサミと櫛を手に髪を切るのは、小野幸夫さん。この道26年のベテラン理容師だ。


慣れた手つきで、カットを終え、仕上げていく。あっという間に散髪は終了した。


「いやあ、久しぶりにさっぱりしたよ。最高だねぇ!ありがとう!」とお客の壮年はニッコリ。手には「フェニックス(不死鳥)・バーバー」との“即席青空理容店”の名前が記された、段ボールの紙片が掲げられていた。


小野さんは気仙沼市内で妻の綾香さんとともに、理容店を経営していた。巨大な津波は店にまで押し寄せ、店内はめちゃくちゃに。自宅も押し流されてしまった。


財産はすべて失った。


でも、泥まみれの店の中から、大切にしていたハサミなどの道具が見つかった。

そんな時、「髪を切ってほしい」と言われ、ボランティアで被災者の散髪を始めた。


小野さんは語る。


「少しでも皆の役に立てれば-それが正直な思いです。不思議ですね。自分も大変なんだけど、そういう気持ちがますます強くなってきた。学会で心を鍛えきたからですね」


宮城県理容生活衛生同業組合の青年協議会副委員長を務め、気仙沼市でも同組合の中心者として活動してきた小野さん。「地域のためにも早く店を再開したい」。そう強く語った。


聖教新聞3月29日


被災地の方の懸命な生きざまは、生きるということはどういうことなのかを教えてくれる。


財産や地位や名誉など、何もかも失っても、心を失うことはない。


目の前で苦しんでいる人、困っている人に手を差し伸べる勇気と慈悲の心があるとき、人は人として生きていけるのだと思う。


誰もが心弱くなり、人との関わりを拒否してしまう時もある。こんな時はやはり非常に辛くて、なかなか抜け出せない。


でも、たとえどんなにちっぽけなことでも、自分は何か役に立てると思えたとき、前向きな一歩が踏み出せるのだと思う。


自分も心を鍛えて、笑顔と励ましを送れる人間になりたい。