前回のBlogをあげたたった1時間後に
まさかあんな大きな災害が起こるとは…
さんタク観ながら相方ちゃんとLINEしてたら
緊急地震速報が画面に出て、
「大きい地震だね!
」って言ってたら
![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
東京も少し遅れて揺れ始め。
横揺れでミシミシ言いながら照明が
左右に揺れてました。
600km近く離れている東京でさえこんなに
揺れたんだから、震源地近辺はもちろん、
広範囲で揺れましたよね、きっと。
東日本大震災より津波の到達も早かった?
あっという間に「到達済」の文字が並んでた。
もどかしかったのは日没寸前だったから
被害の状態も遠く離れている私たちには
真っ暗なTV中継の画面でしかわからない…
朝、TVで観た被害の大きさに
言葉が出ませんでした。
被災地にとっては地震がおさまったら
終わりではなく、
これからも大変な日々が続いてしまうかも
しれない。
どうか1日も早く、まずは余震がおさまって
安心して眠れる日が訪れますように。。。
そして今日の夕方。
ニュースを観ようかとテレビをつけたら
信じられない光景が映って。
たまたま羽田の事故直後で、NHKの羽田の
カメラが撮っていた映像を初めて流した時
でした。
JAL機の乗客はあの状態でも全員機外に
脱出出来たようで安心しましたが、
(お怪我されてる方はいらっしゃるみたいですが)
5名の方が亡くなった海保機は被災地に
物資を届ける飛行機だったそうですね…
ホント、なんて年明けなんだよ今年は![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
3.11、東京では5強を記録しましたが、
その瞬間、24階で仕事していた私は
免震装置の揺れがプラスされ、それ以上の
震度を感じてもう無理だと思ったあの日。
窓の外に見えたお台場方面からは
煙が上がっていたし、テレビでは津波に
のみ込まれていく瞬間の東北の街が
映っていたりとまさに現実とは思えない
地獄絵図のようで…。
その日は私自身も帰宅困難になり
6時間歩いてやっと家に辿り着いたし、
その後もしばらく通勤には苦労しました。
実家の方は輪番停電があり、ただでさえ
末期癌で弱っていた母親が寒さと暗さと
度々起こる余震に堪えていることが辛かった。
その1ヶ月後に母は亡くなり、
何も死ぬ間際にそんな怖い思いしなくても
よかったのに、と未だに思います。
そんな風に、被災地ではなくても
日常を取り戻すまで大変だったことを、
年数が過ぎればやはり忘れかけてるところが
ありますよね。
日々、平穏に過ごせていることは
当たり前じゃないということを
再認識したこの2日間です。
これ以上、被害が広がらないことを
願っています。。。