前回のBlogをあげたたった1時間後に
まさかあんな大きな災害が起こるとは…

さんタク観ながら相方ちゃんとLINEしてたら
緊急地震速報が画面に出て、
「大きい地震だね!ガーン」って言ってたら
東京も少し遅れて揺れ始め。
横揺れでミシミシ言いながら照明が
左右に揺れてました。
600km近く離れている東京でさえこんなに
揺れたんだから、震源地近辺はもちろん、
広範囲で揺れましたよね、きっと。

東日本大震災より津波の到達も早かった?
あっという間に「到達済」の文字が並んでた。
もどかしかったのは日没寸前だったから
被害の状態も遠く離れている私たちには
真っ暗なTV中継の画面でしかわからない…
朝、TVで観た被害の大きさに
言葉が出ませんでした。

被災地にとっては地震がおさまったら
終わりではなく、
これからも大変な日々が続いてしまうかも
しれない。
どうか1日も早く、まずは余震がおさまって
安心して眠れる日が訪れますように。。。


そして今日の夕方。
ニュースを観ようかとテレビをつけたら
信じられない光景が映って。
たまたま羽田の事故直後で、NHKの羽田の
カメラが撮っていた映像を初めて流した時
でした。
JAL機の乗客はあの状態でも全員機外に
脱出出来たようで安心しましたが、
(お怪我されてる方はいらっしゃるみたいですが)
5名の方が亡くなった海保機は被災地に
物資を届ける飛行機だったそうですね…

ホント、なんて年明けなんだよ今年はショボーン


3.11、東京では5強を記録しましたが、
その瞬間、24階で仕事していた私は
免震装置の揺れがプラスされ、それ以上の
震度を感じてもう無理だと思ったあの日。
窓の外に見えたお台場方面からは
煙が上がっていたし、テレビでは津波に
のみ込まれていく瞬間の東北の街が
映っていたりとまさに現実とは思えない
地獄絵図のようで…。
その日は私自身も帰宅困難になり
6時間歩いてやっと家に辿り着いたし、
その後もしばらく通勤には苦労しました。
実家の方は輪番停電があり、ただでさえ
末期癌で弱っていた母親が寒さと暗さと
度々起こる余震に堪えていることが辛かった。
その1ヶ月後に母は亡くなり、
何も死ぬ間際にそんな怖い思いしなくても
よかったのに、と未だに思います。
そんな風に、被災地ではなくても
日常を取り戻すまで大変だったことを、
年数が過ぎればやはり忘れかけてるところが
ありますよね。
日々、平穏に過ごせていることは
当たり前じゃないということを
再認識したこの2日間です。


これ以上、被害が広がらないことを
願っています。。。