前回、祖母の事を書いたのは、

今日の記事に繋がります。



もっと遡って親の介護の事に戻ります。



介護は初めは本人も家族も必死で

気力も続くのですが、だんだん疲れがでてきます。

母が発病して3年ぐらいが過ぎた、

27歳ぐらいの時だったと思います。

長期の治療とお薬で体力も衰えてしまい、

現状維持はできても良くなることは

無理かなぁと皆が思い始めていました。

そうなると、

「こういう状態がどれだけ続くのだろう?」

と不安が大きくなり、いわゆる介護うつ手前の

状態になっていました。

情けないですが、正直逃げ出したい気持ちにも

なっていました。



そんな時に親戚のおばさんが、

「大変だけどがんばってね。

介護はしてあげるのではなく、

させていただいてるんだという気持ちで

                 やっていってね。」

と励まして下さいました。



もちろんその言葉を素直に受け入れられる

精神状態ではありませんでした。

「聖人君子じゃないんだし、

 そんな風には思えない・・・。」

それが私の正直な思いでした。

もちろんそんなことおばさんには言いませんでしたが。



そしてそれから何年も過ぎ祖母が亡くなり

後悔の思いでいっぱいの時・・・。



「そうだったのか・・・。」

と、初めておばさんの言葉の真意がわかりました。



親が亡くなったときには、

もっと長生きして欲しかった、

もっと一緒にどこかへ行きたかった、

孫の大きくなった姿を見て欲しかった・・・など

淋しい、悲しい思いはいっぱいでしたが、

『後悔』はほとんどありませんでした。



いっぱい関わりあって、上手ではないけれど

介護も出来て、やり終えた満足感に似たような

気持ちさえあり、自分を責めてつらい・・・という

感情は持たずに済みました。

親子間の葛藤も思いをぶつけ合うことで

解消できていました。



そして祖母の死で、

『悲しみ』よりも『淋しさ』よりも『後悔』は

心を刺すものなんだなぁと知りました。



もし、あの時親の介護を放棄したり逃げ出したり

していたら、祖母のときの比ではないぐらい

自分の事を責め続けていたと思います。



そういう意味では自分が後で悔いを残さず

清々しい気持ちでいられるように、

介護させていただいてるんだと、

初めておばさんの話に心から納得できました。

おばさんは夫を先に亡くしてて、

おじさんの事を献身的に介護していました。

その体験から言ってくださっていたのでしょう。

話して下さった時に真意を汲み取れず、

申し訳なかったと思います。



もし、介護で疲れてる方がおられたら、

今、がんばることはもちろん病んでおられる方の

ためではありますが、先で自分の幸せにも

繋がるんだと希望を持っていただきたいと思います。



そうやって視点を変えることで、

少しは気持ちが軽くなられるのでは・・と感じます。



今回は新聞の介護記事にすごく感動して

それを一緒に書く予定でしたが、

長くなりそうなので、また次回にご紹介させて

いただきます^^