早いもので平昌オリンピックから一年が経ちます。

アメブロの「ブログ管理」を開けると毎日『一年前の今日あなたが書いた記事があります』というお知らせがあり、
5年日記とか10年日記のように去年の今日を思い出させてくれます

そして自分のこの一年がいかに昌磨くんで埋め尽くされていたかを確認させられるのですあせる

一応、夫や子供たちにはフィギュアスケート観戦ブログを書いているとは伝えていますが、まさかこれほどまでに昌磨くんだらけのブログとは想像だにしていないと思います。

特に秘密にしているわけではありませんが自分だけの世界を持つというのはちょっとスリリングであり日々の生活に張りを持たせてくれています

年前の今日は…
平昌オリンピック真っ最中でした。

2018年2月17日に男子シングルフリーが行われ、66年ぶりという五輪連覇を達成した羽生選手と初出場で銀メダルを獲得した昌磨くんのワンツーフィニッシュは日本中を歓喜の渦に巻き込みました🇯🇵🇯🇵

NHK杯の公式練習で負傷して休養が続いていた羽生選手の復帰戦となる平昌オリンピックは、昌磨くんにとっては約一年ぶりに同じ試合で戦える機会であり、最高にモチベーションの上がる試合だったのではないかと思いました。

しかし昌磨くんも決して万全の状態でオリンピックを迎えたわけではなかったように思います。
初戦のロンバルディア杯で、そのシーズン誰にも破られることのなかったシーズンベスト(319,84)を出して以降、体調不良や足の違和感などもありジャンプの調子は上がらず…

それでも「攻める」をテーマにフリーは3種類4本の4回転を構成に入れることを基準とし、試合ごとにジャンプの順番を入れ替えるなど試行錯誤を繰り返していました。
特に苦しんだのは4Tの回り過ぎで、ショートの4T×3Tはセカンドが2Tになることが多く、フリーの4T×2Tはセカンドがつけられなかったりステップアウトになったり…
練習ではほぼ失敗することがないというくらい簡単なジャンプだけに試合で決まらないのが何とも悔しく、もどかしかったことと思います。

多種類の高難度4回転を跳べるがゆえに一番簡単な4Tが回り過ぎるという皮肉なことになったのかも知れません。

しかし全日本で思うような演技が出来なかったことで落ち込み根本から見直すことを考えた結果、ジャンプ構成をもう迷わず固定して五輪に臨むことを決めたようでした。

初心に帰って練習し始めたのは3回転からだったとか…

そして四大陸選手権でほぼ課題をクリアして自信を取り戻し、オリンピックへと繋げていったのでした。

⭐️どれだけの緊張があるのか経験してみたい、けれど経験だけで終わらせたくない。
⭐️オリンピックは夢ではなく目標。これから先のための通過点。

以前からそう話していた彼はその言葉通り、終始一貫してオリンピックは特別な試合ではなくシーズン中の大事な試合のひとつだと言ったためにメディアから異端児扱いされることになったりも…

昌磨くんはそれまでも海外遠征する際、出国や帰国のたびに取材を受け抱負や意気込み、また試合後の感想を語っていましたが記者からは常識的な質問をされ、彼はそれに対し紳士的で賢明な受け応えをしていたと思うのですが、オリンピックの時はメディアの報道が異常だったように思います。

オリンピックという世界的イベントの興奮に浮き足立っていたのかも知れませんが、選手にとっては競技人生の中で最も貴重な経験をしている時です。

バラエティ感覚で面白おかしく「天然」などと言われて笑いのネタにされていたことに心が痛みました。
昌磨くんの選手としての戦績やこれまでの軌跡を紹介するなど、いくらでも報道の材料はあったはずでした。

オリンピック以前に取材していた記者の方々は彼の聡明さ、思慮深さ、人柄、などは分かっておられるはずなので一部の報道関係者が煽っていただけかも知れませんが。
(先日、日刊スポーツのコラムを書かれていた松本航氏も「天然」に違和感があったと書いておられた)

そして昌磨くんが特別な緊張もなくオリンピックに臨めたことについてあとで知ったことですが
(樹くんの本「兄・宇野昌磨」に書かれていた)

彼が「オリンピックに魔物はいなかった」と思えたのは、ご家族や支援しておられるすべての方々がなるべくプレッシャーを与えないよう細心の注意と最大の配慮をもってオリンピックまでの日々をごく普通に平常を保ち、通常の試合のように送り出したという心配りもその陰にあるのではないかと思いました。

他の選手が所属先で大々的な壮行会をして貰っているニュースを見て、昌磨くんのTOYOTAさんはしないのかなと思っていましたが、敢えて行わなかったということに感服しました 

そうして支えてくれた方々の温かく静かな応援への最高の恩返しとなった銀メダル…

またそれはどれだけの人を励まし、癒し、喜ばせたかしれません

しかしどんなに実績を積み重ねようと、何事においても控え目な昌磨くんは自分からアピールはしない…
むしろ陰に隠れていたい方ではないかと。

マスコミはそういう奥ゆかしい人に遠慮がない傾向があるように思います。
本人に向かって「シルバーコレクターと言われていますが…」などと平気で言うのです。

キツい答えが返ってこないことを想定しているのでしょう。
でもその悔しさは言葉から滲み出ていたと私は感じました。


銀メダルが6試合も続けて獲れることがどれほどの偉業であるか…
その中には五輪銀メダルもあるのです

ムラがなく安定した実力がなければ出来ないことです。
ジャンプひとつのミスで3位にも4位にもなってしまう可能性もあるのですから…

しかし四大陸で一位を獲ったことでそのレッテルはめでたく剥がされることになり、昌磨くんもファンも解放されました


いけません…どうも私は平昌オリンピックの頃の話になると神経過敏になり尖ってしまうのですチューあせる
それまで心穏やかに観戦、応援していた昌磨くんをオリンピックが寄ってたかって異星人扱いしていたように思えて、なぜかモヤモヤとした違和感があったことをまた思い出しました汗

そして○○コレクターのことまで持ち出してしまいましたあせる

大人げない…と反省ショボーン

でも平昌で昌磨くんの銀メダルは金にも勝る美しい輝きを放っていたと、今でも心に残っています🥈✨
これから先もずっと。

このあどけない表情がわずか一年前とは思えないような成長を遂げている現在の昌磨くん。
懐かしく愛おしい…



団体戦の「四季・冬」
冒頭の4Fで手をついてしまったもののあとは完璧にこなし、唯一の100点超え



 フィニッシュでフラつき、フッと口元が緩みました ↓

団体戦で手をついた4Fをクリーンに降り、五輪の舞台でパーフェクトを達成しました ↓
 演技途中、不敵な笑みがあったり満足の笑顔も見せる余裕…に見えました

目にも留まらぬ速さでガッツポーズ!
でもその一瞬を捉えましたっ ↓
3位につけました!
クワッ! と見開いた眼に並々ならぬ闘志が……ゾクッとしました ↓




んん〜!
達成感と悔しさと…

あぶね〜!↓
4Tコンボ、危なかった!
3A曲がってた!
SP、FSともに3位でトータル2位というスコアを見てしばらくキョトンとされていた美穂子先生でしたが、すぐに納得
(ネイサン選手のFSダントツ首位のため)

うぉ〜!(美穂子先生)
・・・  (昌磨くん) ↓


「オリンピックで2位」にも動じない昌磨くん軽く微笑んでお手振り👋🏻↓



え?先生?

美穂子先生、泣いてるあせる
昌磨くん、照れてないで「ぎゅっ」としてあげればいいのに

撮影の邪魔にならないよう身を避けている気配り昌磨くん。↓


嬉しい嬉しい銀メダルですラブラブ

五輪には関係ないのですが、四大陸後のコメントに感じ入り拝借させて頂きました。

いつも驚くのは演技直後で息が苦しそうなときにも力強くしっかりした声で話すことです。
そして初めて聞いた先ほども申したとおり…」という言い方に、大人になったなぁとおねがい