今までずっと「拡散」という言葉の持つエネルギーが好きになれず、あまり使ったことがないと思うのですが、思い切ってタイトルにしてみました。

 

こういった情報をなにも知らせてもらえない日本人にとっては、まずは知ることが最優先だと思います。

 

「まずは知るところから」という言葉は、変に使い古されてしまって、今ではすっかり悪用するときにばかり出回る傾向がありますが、本来こういうときのためにある言葉かなと思います。

 

前回に続き、どうかぜひ!

 

まずは見てください!!!

 

見ていただいて決して後悔しない内容になっています。

 

 

★クリックして動画を再生★

 

 

 

そして、もしシェアできる余力をお持ちの方は、以下のURL(↓)のシェアも、どうかご協力よろしくお願いいたしますm(__)m

 

 

 

 

Moonのにほん語(Bio Sinfonia)

 


※今回の動画はあぶないので、YouTubeにはアップしていません。ニュージーランドのYouTubeより日本のYouTubeの方が厳しいようで、Dr.サムのチャンネルでアップ可能でも、いつもこちらのチャンネルでは削除されてしまう事情があります。そのため今回は、Odyseeでのご視聴をお願いいたしますお願い

 

今回ご紹介したいのは、Dr.サム・ベイリーを一度は見たこと・聞いたことがある方ならぜひご確認いただきたい、たった7分間の短い動画です。

 

私たちが今リアルに生きているこの現実とは、一体どんなもので構成されている社会なのか?

 

私たちの身近な生活に沁み込んでいる「医療」とはどんなもので、「政府」とはどんなものなのか?

 

2020年以来、世界共通の問題をはっきりと目に見える形で共有してきた私たちにとって、今回の動画は必見です!

 

当時からの衝撃的な世界を振り返り、この地球の歴史をよりよいものにしようと奮闘している人たちがこうして存在していらっしゃることがわかれば、そんな世界で決して無関係ではない「自分自身の命」というものの立ち位置が浮き彫りになってくるはずです。

 

今回の短い動画は、以下のお好きな場所からご覧いただけます。どうかぜひ見てみてください!

 

✦────<動画リンク>────✦
◆Odyseeで見る
◆サブスタックで見る
◆YouTubeで見る
✦───────────────✦

 

まずはこの動画を、ぜひシェアしていただけませんか?

 

このような事実を日本にも広めていただきたいのです。

 

何かと控えめな日本人にとって、いわゆる“デリケートな話題”とされるものには、「触らず近づかず」で「いいね」や「シェア」のボタンを押すことさえとさえ思いとどまる方がほとんどだと思います。

 

その気持ちは、本当によく分かります。

 

でも、だからこそ私たち日本人は、海外諸国のようにワクチンや何かを横暴なやり方で強制されることもなく、あくまで【自分の自由意志】という曖昧なラインを保つことができ、その上で「みんながそう言ってるのだから、それにならうのがいいよね」と思い込まされながら静かに従ってきた民族です。

 

であるならば、同じように「淡々と静かに従わない」こともできるはずです。

 

淡々と呼吸を続けて、日々の小さな当たり前の幸せを享受するように。一歩一歩の目の前の地面をただ歩くように。そこにある真っ当な選択を、ちゃんと自分の身の丈サイズでやっていくこと。

 

それが一人一人の自由意志の中にある、本当の豊かさです。

 

実際の寄付であれ、シェアであれ、いいねであれ、動画を見てたくさんのことを感じることから始めるのであれ。

 

どうか今一度、このテーマを振り返ってみていただけませんか?

 

世界全体で共有しているこの命のテーマ、あなたの人生の中の7分間の時間を割いて、感じてみる価値はきっとあるはずです。


↓  ↓  ↓

◆クリックで動画を再生

 

◆今回のクラウドファンディングのサイトはこちらになります↓
https://www.givesendgo.com/can-you-help-dr-sam

 

このクラウドファンディングは、2026年11月5日に予定されている強制的な自己破産という理不尽なペナルティに追い込まれるのを回避する目的で行われています。日本からでも問題なく寄付することができます。決してむずかしくないので、ご寄付してみたい方はぜひ!お願い気づき

 

やってみたいけれど、英語がよく分からずご不安な方は、以下の流れをご参考くださいませ。

 

※

 

 

寄付の流れ

 

1.GiveSendGoに飛んで「Give」のボタンをクリック(赤い矢印のところ)。

 

 

2.寄付したい金額を入力する

 

 

上記の赤枠の部分が金額の入力となります。グリーンのボタンから選んでもいいですし、その上の枠に自分で具体的な数字を入力してもOKです。ちなみに、寄付できる最低金額はシステムの手数料などの都合もあって「$8.00 NZD(ニュージーランドドル)」からとなっております。 

 

寄付は、自分のできる範囲の金額だけで十分だと思います。たとえ額は少なくとも、応援する気持ちは大きく伝わるはずです。

 

ちなみに、赤枠の上の選択ボタンが「Single Donation(一回限りの寄付)」になっていることを確認していただくといいと思います。お隣のボタンになると「毎月の寄付」になってしまうので、念のためにご確認ください。 

 

 

3.チップの入力欄を調整する

 

 

金額を入力したすぐ下の欄は、チップ額の入力欄です。なにもいじらないと自動でチップがいくらか入力済みになっておりますので、チップなしで寄付したい場合は、以下のように「Other」を選び、その下の数字をゼロにしておきます。チップはDr.サムに入るわけではなく、このサイトの運営者に入ります。余裕のある方や、このサイトの取り組みを応援したい方はいくらか入れてもいいでしょうし、余裕のない方は無理にチップを払う必要はまったくありませんので、ご安心ください。

 

(※公式ヘルプページでも「私たちは、無理強いのない寛大なご支援を大切にしています。募金活動へのご寄付というご決断そのものがすでに希望の表れであり、チップをお支払いいただくかどうかに関わらず、心より感謝しております」と明記されています。すばらしいサイトですね。)

 

 

4.メールアドレスと名前の入力

 

 

上からメールアドレス、お名前(本名/ローマ字)を記入します。

ここで記入する名前は、次の画面で入力するクレジットカードの名義人と同じにします。

 

また、サイトに寄付者の名前が表示されるのですが、匿名にしたい場合は「Hide my name from public view」にチェックを入れます。そうすると、サイト上には「Anonymous(匿名)」とだけ自動表示されるようになります。ニックネームにしたい場合は、「Show donation name as」を選ぶと記入欄が出ますので、そこに好きなネームを入力します。すると、プロジェクトページの支援者一覧には入力したニックネームが掲載されます(※ただし、起案者への通知や管理画面には、決済用に入力した本名が伝わります)。

 

コメントは任意で書いても書かなくてもかまいませんが、何か書くと絶対に嬉しいと思います!

 

「英語が無理!」という方は、日本語でメッセージを書いてもいいでしょう。日本から応援してくれている人がいるということが十分に伝わります。

 

入力したら、下部にある赤い「CONTINUE」ボタンを押します。

 

 

5.カード情報の入力

 

 

クレジットカード情報を入力して、国を「日本」に選択し、「GIVE」ボタンを押せば寄付が完了です!

 

「GIVE」のボタンを押したあとに、以下のような画面が出てきますが、これは入力しなくてもOK。プロジェクトの起案者に行く情報ですが、寄付のリターンや返礼品を用意しているプロジェクト用に主に使用されます。今回は寄付のみなので、気にしないでOK。住所を入力しない場合は右側の 「Decline(辞退する・断る)」を押して終わりにします。

 

 

その後、以下のような画面↓が表示されますが、×で閉じて大丈夫。

 

 

最後に、寄付が無事に受理された画面がでますので、これで安心です!

 

ほんの5日前に始まった緊急キャンペーンですが、世界中から愛されているDr.サムです、寄付の集まり方はすごい勢いです。

 

寄付もそうですが、やはり金額以上にひとりひとりの応援の気持ちが、メッセージとともに大きな励みになると思います。

 

ここ数年、動画配信の裏で孤独に戦ってきて、みなさんに支援を求めるにしても心理的な葛藤が伴い、このプロジェクトに踏み切るのも勇気がいる選択だったようです。

 

Dr.サムは、日本ブームが来るはるか前から日本を訪れていたほど好きでいてくれて、最近はお庭にも日本の木を植えたのだと喜んでいました。何かの機会に、日本からの愛や応援の気持ちも伝わればよいですね。

 

今日のところは以上です!

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

Moonのにほん語(Bio Sinfonia)

 

 

 

 

 

文章の翻訳は、動画の翻訳とは本当に違うな~!と感じています。

 

動画では、喋っている「スピード感」がモノを言います。

 

スピードに対して、字幕の内容がちゃんとついていくことが大切ですが、基本的に違和感なく字幕を表示できるのは「声が出ている瞬間」だけです。

 

そのため、詰め込める文字数にも限界があります。

 

しかも、視聴者さんが見る情報は文字だけでなく、映像の描写も目で追う必要があるので、文字ばかり追うわけにもいきません。

 

そんなわけなので、映画やドラマの字幕では「1秒につき4文字まで」というルールがあるようです。

 

ですが、私がやっている動画の翻訳では、そうした一般的な字幕のルールには則っていません。いろいろな意味で、かなり無理があるからです。

 

それでも、なるべくわかりやすく、おさまりのいいようにとは心がけています。

 

ただ、動画はやはりスピード感がすごいので、専門的な実験用語などの話になってくると、やや限界を感じます。

 

しかも、動画によってはかなり早口なので、悩むことも多いです。

 

一方、これが書籍のスタイルとなると、ぜんぜん話は違ってきて。

 

まったく違った醍醐味の世界が開かれていきます。

 

今の私にとって、いつも頭にあるビジョンは「専門家が読んでもしっかり認められる表現でありながら、素人が読んでも分かりやすい」という絶妙なラインを探っていくということ。

 

これが今の自分にとって、本当に奥深い世界の探求になっています。

 

そして同時に、英語圏と日本語圏、文化そのものの違いの探求なんだなと痛感しています。

 

 

 

最近、というか

 

 

ずーっと私の脳裏に引っかかっていた出来事で、よく思い出していたのが「コントロール」という専門用語にまつわる日本語訳についてです。

 

何年か前に、私が翻訳させてもらった動画が切り抜かれ、そこに赤ペンで「誤訳」と上から書かれ、「正しくは、対照実験がない」というようなことを伝える文字をかぶせられて、ツイッター(X)に流されたことがありました。

 

私がそれに気づいた時点で、もうかなりの再生回数になっていて、「あぁ、もう手遅れだな」と思いました。

 

もはやその時点で、日頃から私の記事などを見てくださっていた方なら翻弄されなかったであろうと祈るしかありませんでした。でも、基本的にツイッター(X)はやっていなかったので、リアルな肌感覚は分からないところです。

 

しかし、とにかく。

 

それを聞いたとき・見たときは、ちょっとショッキングでしたね。

 

なぜなら、その赤ペンを入れて拡散していた方(字幕大王さんだったと思います)のほうが誤訳になっていたからです。

 

なので、いろんな意味でショッキングではありましたが、公には何も反論はしませんでした。

 

胸の中に収めただけです。

 

「コントロール」という用語については、以前も少し触れましたが、おそらく一般人にとってはかなり曲者です。

 

しかし、それでも科学や医学のテーマを深く論じる上では、「コントロール」というカタカナの訳が本当に適している文脈や、あるいはそう訳さないとまずい文脈は多々あると思います。

 

現場で実践されている方々はもちろん、日頃から科学論文を読み込んだり実際に執筆されている方なら、これはごく当たり前の感覚になりますよね。

 

けれども、一般素人の感覚としては、明らかに違ってくるでしょう。

 

一般人にとって、対照実験の「ある/なし」までは、比較的すんなりと分かったとしても、「コントロールされていない」や「コントロールが機能していない」という表現を聞いても、「え?それって・・・うーん、どういうこと?」とボヤっとする人の方が多いのではないでしょうか。

 

私の動画と記事をくまなく見てくださっている方であれば、そのあたりの話はご理解いただけると思いますが、素人にとっては引っかかる表現だと思っていました。

 

そう思いますから、真っ当な翻訳者なら「一般向けの翻訳」としては、そこでいったん悩むわけです。

 

「さぁ、これをどう扱おうかな」と。

 

あのときの動画も、文字数や表示時間の制限がないというなら、「適切な条件でコントロールされていない実験(研究)」など、いくらでも訳があったわけですが、入力する面積も表示時間も足りない中、一般の視聴者の方にとってはこの「コントロール」という用語の響きが曲者になるだろうなと予想がついていました。引っかかるだろうなと、感覚的に思いました。

 

それで悩んだ末に、私はそのときの文脈で言われていた「uncontrolled」という単語の本質的な意味を押さえて、一般人にも通じやすい「無秩序な」という短い表現が流れにマッチすると判断し、その言葉を選んだわけです。

 

たったの4文字。この短い文字数なら、スピード感がある中でも誰もが目で追えるだろうと。

 

実際、脈々と行われてきた実験はめちゃくちゃなものが多いですから、無秩序といっても差し支えない背景があったことをご理解いただいている方はいらっしゃったかと思います。

 

もちろん、毎回そう訳しているのではありません。

 

大抵はそういう風には訳しませんが、文脈に応じて、しゃべりの速さに応じて、その瞬間の動画の流れに応じてマッチする言葉がおのずと出てきます。

 

でも、それがツイッターを通して「誤訳:正しくは対照実験がない」というような内容を伝える赤ペンが入ったショート動画が拡散されてしまいました。

 

こうして誤った情報が数万人へと広がってしまうんだなということを体験し、どうしていいか分からない気持ちになりました。

 

そのときはとにかく、「今後、時間をかけてこの実験用語の背景にある複雑さを少しずつでもお話していかないといけないんだな」と感じました。

 

そんなことがあって、当時でも忘れがたいショックな出来事だったのですが、こうして時間が経てば経つほど、また翻訳というものを知れば知るほど、「あれってな~・・」と改めてジワジワと感じ入るものがあります。

 

私は当時、今とは違ってコメント欄も解放していて、何ならメルアドまで公開していましたから、一言「あなたの訳は誤訳なのでは?対照実験がないっていう意味なのでは?」などと単刀直入に私に言ってもらえれば、その人その人が何を考えていらっしゃるのかに合わせて、私も説明する努力ができたと思います。

 

ですが、まさか私がアップした動画をわざわざダウンロードして、上から赤ペンを入れて編集したものをツイッターの窓口から拡散するという(笑)、そんな手間ひまかかったことをやって世間に何かを知らせようとする方がいらっしゃるとは思いつきませんでした。

 

まー、私もまだまだ修行が足りなかったってことなんでしょうね..!

 

私自身は、人のうっかりミスやタイプミスはもちろんのこと、誰かが豪快な翻訳ミスをして翻訳事故レベルになっていたとしても、何かを言ったりやったりしようかな?なんて思ったことすらないんですけど、人の趣味や時間の使い方って本当にいろいろなんだなと思い知りました。

 

あの時はちょっとプチ放心状態になりましたが、実際には赤ペンを入れられた「対照実験がない」というのは話がずれてきてしまいます。

 

ウイルス学の研究分野では、対照実験がそもそも行われていないものから、数々の対照実験とされるものが行われているものまで、いろいろあります。

 

対照実験が行われていない研究であれば、「やっていませんね」という単純な話になりますが、対照実験が行われているケースにもちゃんと正しく突っ込んでいく必要があります。

 

つまり、「こんな対照実験を行いました」「今回の対照群はこれです」としてやっている内容が、ぜんぜんコントロールされていないという実情がある中で、それらに対して「どこがダメだったのか?」「どの設定がとんちんかんなのか?」などを的確に突っ込んでいってこそ的を得た議論が成立するというわけです。

 

科学実験を正しく機能するためには、比較対象にするための要素を厳密に条件設定しなければならない(=コントロールしなければならない←この専門用語が素人にとっては曲者です)というわけですが、その観点がズレていたりするわけです。

 

ズレたことをやっている理由は、意図的な慣習からなのか、無知や愚かさからなのか、それともおかしさに目をつぶってこなしているだけなのかは別としても、事実として条件設定がおかしいというわけなんです。

 

私が翻訳させてもらってる動画や資料では、その点まで細かく指摘されているものとなっています。

 

なので、翻訳者の勝手な解釈で「否定形+コントロール系の単語」が出てきたからといって、一律で「対照実験がない」としてしまうと、話の内容が変わってきてしまうというわけなんです。

 

もしも翻訳者が、一旦そういう訳し方をしてしまうと、厳密には解釈が間違っているわけですから、結局どこかで辻褄を合わせるために自分の都合のよい「言葉と言葉の縫い目」を合わせていくようなことを、ちょいちょいやらざるを得なくなってくるのだと思います。

 

内容が微妙にずれている後始末を、どこかでやらなければならない羽目になる。

 

そうしないと、全体像のおさまりがおかしくなってくることもあると思います。

 

翻訳者は本来、自分で自分をチェックするという心の強さが問われることが多々あるのでしょうね。

 

翻訳って、とにかく語り尽くせないほど奥が深い。

 

日々、奥が深いなと思っているのは本当は別の部分のあれこれなんですが、今回はどうしても思い出しすぎて心にひっかかっている内容を書いてみました。

 

あの一件があった当時は「そんな誤解がされちゃってしかも拡散されちゃうことってあるの...」と思い悩みました。

 

実際、その動画に関しては「一般のみなさんに分かりやすく」というのを諦め、誤訳だと勘違いされないように専門用語を使う路線にして、「コントロールを欠いた」という訳に修正したものをわざわざアップし直したと思います。

 

このような事情を知っている方からは「え~直さなくていいのに!」と怒ってくださった方もいましたが、どうしても私はそういうことがあると胃は痛くなるし頭も痛くなるしで、何とかできないものかと心を砕いてしまうところがありました。

 

ところが、結局はその後も「コントロール」という言葉を使う場面になると「これは対照実験がないという意味の間違いです」といったことがネット上で指摘されることが再発しまして、一度は私も心からびっくりしてしまってブログで説明する記事も書きましたが、その後はもうだんだん諦めました。

 

もはや、どうしようもないんだなと。

 

結局は、見る人によって大なり小なりの様々な誤解は、絶えることはないのかなと思うようになりました。


それは翻訳に限らず、ウイルス学に限らず、健康問題に限らず。

 

人間関係でも何でも。

 

ちょっとした心のやりとりでも何でも。

 

「物事の解釈」というのは、その人の内側の世界の出来事です。

 

ひとつの誤解が延々と続いていくかもしれないし、どこまで行っても誤解は解けないこともあるかもしれない。

 

でも、人にはそれぞれ、その人が大事に守っているものや、懸命に歩んでいる道のりがあり、だからこそ人がそれぞれ歩む道の形や見ている景色を無理やり変えることはできません。

 

そういう意味では、たとえ自分のことが「頭がイカれてるやつ」と人に思われていたとしても、「それは事実じゃないですよ」と自分の心が分かっていればそれで十分なように

 

翻訳や情報発信においても、それと同じ心の余裕を少しでも持てたらいいなと思いました。

 

そして、あとの半分の気持ちは、見てくださっている方を信頼するということ。

 

ちゃんと見てくださっている方は、数がめちゃくちゃ少ない分、いろんな意味ですごい人だと思っています。

 

かなり尋常じゃないレベルの人もいらっしゃるはず。

 

分かってくれている人は、たぶん「1人」はいる。

 

数万人に誤解されたことよりも、分かってくれている人が「1人はいる」というすごさ、感謝、喜び。

 

そのことにフォーカスして、見てくださっている方を信じていこうと改めて思いました。

 

 

 

過去の風景は、今振り返っても変わらない過去のひとコマではあるけれど、時が経って振り返ってみたときに、感じることや見えてくるものが変わってくるのは、どんな過去にもあることだと思います。

 

それは、自分の歩んできた一歩一歩が、新たな何かを気づかせてくれたり、別の何かを学ばせてくれたり、いやな気持にさせてくれたり嬉しい気持ちにさせてくれたり、

 

そうさせる「何か」が、今この瞬間に息づいているということ。

 

今この文章を読んでくださっている

あなたのすべての過去も

現在のあなたの大きくて豊かな意識の器に、まるごと祝福されますように。

 

 

それでは素敵な10月の日々をお月様

最後までお読みいただき、ありがとうございますお願い

 

 

(Moonのにほん語、Bio Sinfonia)

 

 

 

 

 

みなさま、お元気ですか?


日本各地で、異常な豪雨や地震などが相次いでいますが、ご無事でありますことをお祈りいたします。

わが家でも、巨大な倒木や落石などが続き、普通には道を通れないあわただしい8月になってしまいましたが、無事に過ごしております。

さて、「リアリストのためのセルフケア通信」を更新しました!

 

 


テーマは、熱中症対策です。

 

ぜひ、この神髄を見抜いていただき、年間を通してどんどん実践していただければ幸いです。
 


みなさまの健康と平安をお祈りいたします。
 


8月15日 平和への願いを込めて。
Bio Sinfonia

 

 

 

すっかりご無沙汰しておりますが、お元気ですか?ご無事ですか?

 

みなさまのご無事と平安をお祈りいたします。

 

大地震や火災が起きなくとも、すでに人はただ生きているだけで、いろいろと大変な目にあうものですが、そこに「自然災害」や「不自然災害」などの不条理が降りかかってくるとなれば、本当にやるせないとしか言いようがありません。

 

運よく何も降りかかってこなかった方としては、今ある平安に気づかされるとともに、大変な状況の方々に思いを馳せながらも、改めて目の前にある日常を大切に生きようと思うばかりです。

 

 

そして、

 

 

大きな地震があると、やはりどうしても311のときのことを思い出してしまいます。

 

当時、私が住んでいた地域は、もともと8つの村と、1つの町とが合併した地方になっていました。

 

あまりにも面積が広いので、場所によって被害状況には大きな差がありました。

 

家の中でいろいろなものが散乱した程度で済んだお宅から、完全に家ごと全壊してしまったお宅まで、本当にそれぞれ状況は違っていました。

 

しかし当時は、SNSやブログをやっている人が今ほど多くはなかったので、

 

「私が住む〇〇町は、大丈夫でした!ご心配なく!」

 

といった発信を誰かがすれば、それが町民代表の言葉のように受け止められていたと思います。

 

でも、もともと9つの町村が合併した広大な地方のため、決して「大丈夫」ではない人たちもいました。

 

そんな中、私が住んでいた地域は、中心街から遠く離れた地方の山間部の秘境で、全壊~半壊したお宅もあり、ライフラインがしばらく止まっていたことを役場でも把握しておらず、最後まで取り残された地域でした。

 

最初の大きな揺れから、電力が復旧したのは1週間が過ぎてからのことでした。

 

なので、「こちらは大丈夫です」と発信するための電源が、8日目までありませんでした。

 

断水はどれだけ続いたのか正確にはわかりませんでしたが(うちはそもそも水道を使っていなかったので)、近所のお宅ではしばらく湧き水などで対応していたかと思います。うちは、日頃から山の沢水でしたけど。

 

わが家ではその間、電気のない時間を過ごし、冷蔵庫の中に残っていた食材と庭で取れるものだけで過ごしました。

 

ぜんぜん大丈夫でした。

 

近所にスーパーもコンビニもない山奥で、一番近いスーパーまでは車で30分くらいかかるので、ガソリンの枯渇問題もあり、家にあるものを利用して過ごすのがベストな選択でした。

 

3月とはいえ、山間部はまだまだ寒く、地震直後には雪が降ったくらいなので、冷蔵庫の電源が切れても大丈夫でした。

 

ただ、家の前の電柱が傾くくらい揺れて、道路はひび割れを起こし、風呂場はその日から二度と使えなくなりましたが、家そのものが倒壊しなかったので、自分的には大丈夫でした。

 

ライフラインが全部止まっても、日ごろから山の沢水と薪の調理で慣れていたので、本当に大丈夫だったという面もありますし、そういうときってやたらアドレナリン的なものが出てるせいもあって、「ぜんぜん大丈夫」という感覚で過ごせていた部分もあったと思います。

 

おそらく、「もっともっと辛い思いをされている人たちがたくさんいらっしゃる中で、自分たちはこんなにいい状況だなんて、なんてありがたいんだろう」と状況を俯瞰して感謝する気持ちが、「ぜんぜん大丈夫」という感覚にさせてくれていたのかもしれません。

 

しかし、このとき、実際にはどれほどのことが起きていて、何があったのか?というのは、ぜんぜんわかっていませんでした。

 

8日目に停電が明けたとき、ようやく事態を理解し始めて、愕然としました。

 

そのとき、心をふり絞っても、これしか言葉が出てきませんでした。

 

 

 

 

 

あのとき、そんな一連の体験の中で、なんとも言えず心に残った出来事がありました。

 

 

些細なことのはずなのに、なんだかすごく私の心に残ったことがあったのです。

 

 

当時も、今と変わらず2つ折り携帯を使っていたわけですが、最初に大きな揺れがあった後は、辺りで電波が入らなくなりました。
 

しかし、少し歩いていくと、電波が入る地点があったので、どうしても連絡を取りたい場合はそこに行ってやっていました。

 

充電の残量も貴重でしたが、気をつけて使っていても、何日目かに電池が切れました。

 

やがて電力が復旧して、ようやく家族や親類とも十分に連絡が取れるようになると、都市部にお住まいのある知人からパソコンの方に一通のメールが入っているのに気が付きました。

 

そのメールに書かれていた内容とは、

 

「あなたが無事で大丈夫なことはもう分かっていますが、こちらは心配しているからメールください」といった文面。

 

なんとも絶妙にモヤモヤしてしまう、ななめ上あたりのほうからのご配慮でした。

 

なぜ大丈夫なことが分かっているのか? 

何をもって「あなたが大丈夫」と言っていて、どんなことを分かっているのか?

 

スピリチュアル的な千里眼なのか、それとも誰かのブログを読んだせいで「分かっている」という感じなのかはよく分かりませんでしたが、そんなに「分かっている」のにどのあたりのことが心配なのか?も分かりませんでした。

 

でも、よかれと思って送ってくださったのはわかります。

 

もしかしたら、テレビの報道を見ているうちに心が不安定になり、誰かしらに連絡を取ることで心の着地点のようなものを求めたのかもしれません。

 

ですがその時、それを読んだ瞬間、私はそれまで完全にコントロールし切れていたはずの、抑えていた何かが一気に噴き出してしまい、いきなり頭がプッツンしそうになりました。

 

昼夜を問わず余震が続く中で、昼も夜も電気が使えない日が続き、食べ物も減ってきて、風呂にも入れず、唯一の移動手段の車にはガソリンも入れられない。それでも気持ちを穏やかに保てていたはずの私の心は、その一通で急にかき乱され、次の瞬間こらえていた糸がプッツリ切れて、頭に血がのぼると同時に、なんだか無性にいろんなことが悔しくなってきて泣けてきたのを覚えています。

 

自分は「ぜんぜん大丈夫だ」と前向きに過ごしてきたはずなのに、「あなたが大丈夫なことくらい、こちらは分かっている」と言われて微妙に胸をえぐられたようになり、なんだか電気が通って便利になったあとの方が、いろいろな言葉や、起きた現実とはまた別の「ネット上の言葉の嵐」みたいなものによって、心の平安がおびやかされるときも多々ありました。

 

 

このような一件からも、はっきりと分かることがあります。

 

 

それは、

 

 

人間というのは、

 

 

誰もが例外なく

 

 

「超能力者」であるということ。

 

 

超・能力者なのです。

 

 

相手に指一本たりとも触れることなく、相手がしばらく立ち直れなくなるほどに、内側からやりこめることができるのです。

 

 

それは、言葉ひとつ、態度ひとつで。

 

 

相手の気持ちを。内側から微妙にえぐるようなことができてしまうのです。

 

 

実際に会う必要もなければ、顔を知っている必要さえないかもしれない。

 

 

今の時代、人を深く傷つけることも、浅く傷つけることも、本当に簡単にできてしまいます。

 

 

だけど。

 

 

その逆もまた、しかりなのです。

 

 

何気ない小さな優しさやぬくもりで、人の心にあたたかい灯りをともし、その人の人生を先々までずっと内側からささやかに勇気づけることだってできる。

 

 

実際、私が人生で忘れられないほど励まされた言葉、ベスト10を振り返るなら、その中のいくつかは実際にお会いしたことすらない・どんなお顔なのかも分からない方からもらった、あたたかい何かだったと思います。

 

 

だから、人はみな誰しも、「超・能力者」なのです。

 

 

指一本、触れることなく、

誰かを内側から傷つけることもできれば、

誰かを内側から癒したり、励ましたり、勇気づけたりすることもできる。

 

 

この超「能力」を、もっともっと素敵なことに使っていきたいと、いつも思うばかりです。

 

 

生きている間、生きている限り、

素敵なこと、優しいことに使っていきたい。

 

 

改めて、そう思います。

 


 

 

もちろん、私だってひどいことや厳しいことを言いたくなる瞬間もありますが、言う前には考えます。これを言って、明日もし自分が死んで、それが「最後の言葉」になってもいいか?と。そう考えたときに、むしろ言う必要があると思うと、正直に思ったことをそのまま言うことは多々あります。

それは私が、人にやさしくありたいと思うのと同じくらい、無意識に大切にしているポリシーかもしれません。

 

 * * *

 

最後になりますが、今日はあわせてお伝えしておきたいことがあります。

 

しばらく翻訳動画やセルフケア情報のアップが滞っておりまして、応援してくださっていたみなさま、すごいごめんなさいお願い

 

今、集中して、ひとつの作品に取り組んでいまして、それがもう少し時間がかかりそうです。

 

しかも、翻訳だけでなく、通常であれば出版社が複数の担当者をつけて仕上げるような編集・デザイン・その他の業務もぜんぶ一人でやっておりまして、まさかの斬新な事態。

 

なので、かなり時間がかかっているのですが、絶対にいいものを完成させる気迫でやっています。

 

 

以前このブログのどこかで「私は一生、自分のことを『翻訳家』だなんて名乗ることはないと思いますが・・・なんとかかんとか・・」といった話を書いたと思うのですが、前言撤回です。

 

 

自分としては、今までもかなり本気ではありましたが、それでも「翻訳家」ではなかった。ただ単に、偽パンデミックをきっかけに、はずみで始めたライフワークを実践しているという範囲でした。

 

 

しかし、今取り組んでいる作品のためにも、「自分が認めるレベルの翻訳家」まで、自分自身を一気に引き上げる必要があります。

 

 

これまでの人生では、まったく違うジャンルのことをやってきて、なんの修行も積んでいない自分が、いきなり世界最強の敵である「自分」という批判家を相手に、そいつが描く高い理想を成し遂げるには、それなりの覚悟と時間が必要です。

 

 

それで毎日、「スパルタ翻訳デザイン学校」に通っているんですけど。

 

 

まぁ、そこの校長は自分で、その学校は私の頭の中に存在しております。

 

 

自分にとっては、世界でいちばん厳しい学校です。

 

 

だから、とても信頼できます。

 

 

たぶん、翻訳家としては、まるで別人になってみなさまの前に帰ってくると思います。

 

 

機械翻訳が人間の脳を侵食し始めているこのAI時代で、生身の人間の底力を見せていかないとね。

 

 

なので、できあがる作品を、どうぞ楽しみにしていてください!

 

 

たぶん、いま取り組んでいる例の作品の価値が、本当の意味で日本で評価されるようになるのは、おそらく余裕で私が死んだあとになると思います。

 

でしょうから、焦って少しでも早く出そうとするよりも、手堅く誠実にやっていきたいと思っています。

 

(それでも、全力で急いではいるのですが、でもすっごい急いでいるのに、どういうわけか早くならないんですよね~、これが!‥)

 

***

 

最後になりますが、と言いながら、ぜんぜん最後になってなくてすみません。

 

あとひとつだけ。以前このブログで「私は一生、自分のことを『翻訳家』だなんて名乗ることはないと思いますが・・・」と自信満々で言っていた時の気持ちの、背後にあったものをここで言いたいと思います。

 

それは、ある人が言っていた言葉です。

 

昔、ある音響関係の専門学校に通っていたのですが。

 

そこの授業で、パーカッションの演奏を教えてもらえるカリキュラムのひとコマがありました。コンガとかですね。

 

で、そのパーカッションの先生が、プロの方だったと思うのですが、こう言っていたんです。

 

 

「みなさんは、プロにはなれないです。

もう遅いですから。話にならない。

10代後半から始めたって、ぜんぜん時間が足りないです。

今からやっても無駄です。

それでも、ある程度の演奏をしたいというなら、

起きている時間は全部コンガのことを考えてください。

歩いているときもです。歩きながらやってください」

‥とそう言って、授業内では歩くときの腕の振り方やイメトレのレクチャーが行われました。

 

授業内で、太鼓の打面などほぼ叩きません。歩くときのイメトレと腕の振り方の練習ばかりで、授業の最後にちょっと叩かせてもらえる程度。

 

その時のセンセーの言葉が、すごく説得力があって、私の心に深く残ったのです。

 

・みなさんはプロにはなれない。

・その年齢では、もう遅い。

・そもそも時間が足りない。

・そんなに甘くないですから。

・ほかのやりたいことを全部あきらめてこれだけやってもまだ間に合わない。

・やっても無理だけど、やるなら起きている時間をぜんぶ使うしかない。

 

と。

 

非常に説得力のある話で、「あぁ、本当にそうだろうな」と思いました。

 

でも、別に自分としてはコンガ奏者になりたかったわけじゃないので、「なれない」と言われてもどうでもよかったわけですが。

 

とにかく説得力があった。

 

その言葉を放ったご本人も、そのことを体現しておられるような演奏をする方でした。

 

 

しかし今、私は改めて思います。

 

 

その人の言っていたことは、正しい。

 

 

だけどね、

 

 

どうでもいいんです、そういうのは。

 

 

完全に関係ないんです。

 

 

やりたいことは、やるし、

やりたいと思うなら、ただやる。

 

 

それしかないと思います。

 

 

いつから何を始めてもいいんです。

 

 

人は、そんな「自分の本心が描く現実」を見るのに、いつもすこしだけ勇気がいる、それだけです。

 

 

私も、世の中に「翻訳家」という職業が「そういやあるんだな!」と気づいたとき、先ほどのパーカッションの先生の言葉をやたらと思い出し、自分の人生をとても残念に思いました。

 

「くそー、翻訳家っていう職業があったのか!」と。

 

「昔、気づいてたらなりたかったかも‥!」と。

 

「せめて自分がまだ20代や30代だったら‥!」と思いました。


「あぁ残念!中学生に戻れるのなら、死ぬほど英語を勉強するのにな!」と2分間くらい悔しがってから、「でも、さすがに来世じゃないと無理!」と思って、スッパリ諦めたのです。

 

そして、そんな風に思ったことすら綺麗さっぱり忘れて、ただ目の前にあることを一日一日やってきました。

 

すると、どうでしょう。

 

なんだか知らないけど今、自分がまったく予想もしなかったルートで、目の前に「翻訳家」というものが迫ってきています。

 

 

これぞ、奇想天外な展開。

 

 

夢のリアルは神出鬼没で、まるで野生動物のよう。

 

 

やりたいことを無心にやり続けていると、何かを叶えている自覚もないまま、気付いたらそうなっていることがあります。

 

 

人間は、「超!能力者」ですから、本来はいろいろなことが可能なのでしょう。

 

 

どうかみなさん、今日も自分のやりたい気持ちをおだいじに。

 

 

人はみな、自分をこの瞬間に内側から満たせる「超!能力」があります。

 

 

 

 

きっと日々、辛いこと、大変なことも多いことと思います。

 

 

でも、そんなときこそ、自分の心にあたたかな灯りをともしてみることを、ひとつずつやっていこう。

 

 

そうやって生きていけば、自然とそのバイブレーションが、誰かの心に灯りをともすことになるかもしれない。

 

 

自分という存在「一人」を照らすほどの小さな灯りは、決して小さな灯りではなく、必ずそれはあなたの外側にもあふれ出て、ときには希望になり、ときには癒しになり、ときには励みになり、ときには平安になります。

 

 

あなたの心の平安を、深くお祈りいたします。

 

 

また会う日まで、どうかお元気でいてくださいね!

今度は、猫の近況もアップしたいですねお月様足あと

 

 

Bio Sinfonia(Etsuko)

 

 

~元気が出るかもしれないBGMとかね!~

 

 

 

いよいよ、2026年の春が巡ってまいりましたね。

いかがお過ごしでしょうか?

とうとう

  • 「日本人の2人に “1人以上” が花粉症」
  • 「もはや花粉症は国民病」


と言われる時代になってしまいました。

今回は、そんな「花粉症という幻想」に大きなひび割れを起こすべく、私の体験談も交えながら、衝撃の事実について書いてみました。
 

かつて、花粉症の治療薬の治験に参加していた私に、一体何があったのか?

そして、西洋医学ではどうしようもなかった重度の花粉症だった私の人生から花粉症が消えていった理由と、そのやり方について順を追ってお話いたしますお月様

最後には、「花粉症の季節」や「五月病のシーズン」、あるいは「風邪が流行るシーズン」と呼ばれるものの背後にある人間行動の真相がいくつも浮かび上がり、今すぐ自分にできることの輪郭が浮かび上がってくるはずです。

 

今回は、プチ・セルフワークも入っています。
お好きな飲み物でも淹れながら、ゆっくりと楽しんでいただけましたら幸いです。・*☽:゚
 

 


~以下より全文を無料でご覧いただけます~

 

 

 

今回は、1年分のセルフケア通信の内容を、この1本に凝縮したと思います。

 

 

この方法が気に入っていただけましたら、ぜひシェアして広げていただけたら最高に嬉しいです!

 


Bio Sinfonia

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争をやっていないときは

パンデミックをやっていて、

 

パンデミックをやっていないときは

戦争をやっているという


異常なサイクルを見せつけられている私たちですが、

どんなにやるせなくとも
日々やることは同じで、目の前に広がる人生を大切にすることですね。

 

 

 

 

さて、いよいよ今月いっぱいでドコモの「3G」サービスが終了となります。

 

これまで、

 

「ゼロ円でスマホに交換します」

 

という、甘いささやきをスルーしてきた我が家ですが、今回ばかりは3Gの交換を余儀なくされました。

 

私は2016年発売の4G携帯を使っているから問題ないのですが、旦那さんは、もっと古い時代の「3G」・・・

 

ということで、今回はこれを交換しなければりません。

 

旦那さんがドコモショップに行ったところ、すでに「4G」の2つ折り携帯の在庫は枯渇していました。

 

唯一あったのは、女性向けデザインのマゼンタ色の可愛い携帯電話。

 

受付のお姉さんには、もっと新しくてかっこいいスマホがあるからそちらにしては?そっちもゼロ円ですよ!と勧められたそうなのですが、なんの迷いもなく女の子風の2つ折り携帯を選ぶ中年男性に、受付のお姉さんは戸惑いを隠せなかった様子。

 

「本当にこれでいいんですか?」と何度も確認されたそうです。

 

「せめて黒だったらよかったのに、ピンクっぽいのしかなくてすみません」と最後まで何度も謝られたとのことで、旦那さんは「本心でこれでいいと思っているんだけど、ぜんぜん伝わらなくて逆に申し訳なかったなー‥」と言って帰ってきました。

 

交換した可愛い携帯電話は、新品なのに驚異的なほど化粧品くさいということで、ジップロックに密閉して封印されており、ほぼ使う気がないから大丈夫らしいですが、たまにジップロックから出して陰干ししてくれています。

 

旦那さんは、電磁波問題に関係なく「スマホは不要」と普通に思っているタイプで、いろんな意味で私のななめ上を行っているな~と思います。

 

 

一方、私の旧式の4G携帯は、電話をかける際にいちいち自動音声が流れるようになり、「お客様がお使いの携帯電話は~・・かくかくしかじか~・・・交換してください」という音声が流れるようになりました。
 
毎回ではないですが、高い確率で「新しいスマホ」への交換を促す音声が流れます。
 
数週間ごとに「交換しないと‥!」という危機感をあおるチラシがポストに届き、電話をかければ音声が流れる・・・
 
となれば、人は誰でも「もう交換しないとダメなのかな?」と不安にも駆られますよね。
 
しかし、自分の携帯が本当に交換が必要かどうか?は、調べれば明らかになります↓
(※ドコモ版)
一番のネックと言われている、緊急時の110番・119番がつながりにくくなる・・・という注意喚起についても、自分の場合でシミュレーションしてみたところ、まず状況が当てはまらないし、たとえ万が一にも、自分が自らかけたいと思う緊急的な瞬間につながりにくくなることがあったとしても、地域の駐在所や市内の警察署の電話番号を登録しているから問題ありません。
 
私はこれからも可能な限り、今あるこの貴重なレアメタルさんを大切に使っていきたいなと思いますね。
 
 
 
また、交換つながりで言えば、「電気メーター」の定期交換のご案内も来ました↓
 
 
うちは、現在はスマートメーターの通信を切ってもらっていますが、定期交換の際には、気をつけないと最新のスマートメーターに接続されてしまうこともあるようです。
 
「すでに接続を切ってもらっているから大丈夫!」と油断していると、お住まいの地域や施工会社によっては、現在の状況がそのまま引き継がれるとも限らないようです。
 
流れ作業で、最新式のスマートメーターに繋がってしまう可能性もあるようなので、私は早速チラシに書かれていた電話番号(東京電力)に電話してみました。
 
最初に自動音声が流れ、「●番をお選びください」という案内になるのですが、該当するものがないため近いものを選んで先に進みます。
 
今回は、オペレーターの方がとても理解のある方で、なんの苦もなく話がスムーズに運びました。
 
こうした定期交換の際には、まず電力会社に話を通しておくと、「現在の接続を切った状態」を引き継いでもらうよう下請け会社にも事情が伝わり、施工日にそのような対応をしてくれるようです。
 
また、施工当日には、できる限り立ち会うようにすれば、間違いも起こりにくいと思います。
 
この件については、ネットで調べても情報が出てこなかったので、参考までにここに書き記しておこうと思いました。
 
現在、スマートメーターの接続を切っている方々は、勇気を出して行動を起こしたり、家族で話し合ったりと、一度はがんばった方も多いと思います。なので、定期交換のときに元に戻ってしまうともったいないので、チラシがポストに入っていた際は、もう一度だけ注意しておくと安心かなと思います。
 
 
今後、スマートメーターに関しては、2028年4月から「オプトアウト制度」というものが導入される予定で、スマートメーターへの接続を希望しないご家庭に対して、メーターごとに 44,000円の料金が徴収されるという話になっています。
 
 
しかも、この料金は「1回払えば終了」というわけではなく、電気メーターの定期交換のたびに請求される予定とのこと。
 
つまり、10年ごとに44,000円が徴収される計算です。
(メーターの定期交換は原則「10年に1回」のため)
 
このような残念な流れを受けて、スマートメーターに対して行動を起こすことを諦めた方々も多いかもしれません。
 
しかし、明日、44,000円が請求されるわけではありません。
 
1年後でもありません。
 
あくまで、2028年4月1日からそうなると言われています。
 
健康は、一日一日の積み重ねですから、数年後にそうなることが予告されているからといって、いますぐ目の前につかめる自由と健康をあきらめる必要はないと思います。
 
人は、たった3日間の出張で泊まるビジネスホテルでさえ、なるべく気持ちのいい空間を選ぼうとするように、
 
あるいは、2週間の旅行中に、なるべく素敵なお部屋を予約したい!と思うように、
 
毎日すごす自分のおうちを気持ちのよい空間にできたら、人生の365日はこれまでとは違った特別なものになると思います。
 
何かをすることによって、いい一日、いい一か月、いい一年を過ごせるのなら、今からでも遅くはないと思います。
 
 
その典型例として、最近ようやくスマートメーターの接続を切ったのが、私の実家です。
 
先月、ようやくスマートメーターの接続を切ったという報告がありました。
 
スマートメーターの接続を切る重要性は、私の実家の家族にも何度も伝えてきましたが、もともと私の血縁のほうは電磁波問題や化学物質問題を信じていません。
 
スマートメーターについても、「そこまでしなくていい」とか「家族で反対してる人がいるから無理」などの理由で、スマートメーターの話そのものもが軽視されていました。
 
しかし、母がパーキンソン病の恐れがあると言われたのをきっかけに、先月スマートメーターを切ってもらう行動を母本人が起こしたところ、なんとそれまでの症状が消えてしまったんですよね~。しかも、「夜中に2~3時間おきにトイレに起きてたのが、朝までぐっすり眠れるようになった!ほとんど毎晩、足がつってたのがなくなった!」とのこと。
 
母は、スマートメーターが外壁についている部屋で寝ていたためにビフォアー&アフターの変化が顕著だったと思いますが、こういうのを見ると、行動を起こすのは、いつからでも価値があると思います。
 
電磁放射線の問題と、その他の健康問題については、以下でさまざまな切り口で取り上げています。
 

 

以上、今日は電気メーターの定期交換に際して、東京電力と再びやり取りした覚え書きとして、ここに書き残しておきますね!

 

《追記》

定期交換、完了しました!

今回は、「接続部分を切っておく」という処置ではなく、そもそもの基盤ごと、まるごと取り外していかれました。基盤を外したことを確認するため、立ち合いも必要となりました。二度とスマートメーターにつながる気のない我が家としては、とてもよかったです。(追記ここまで)

 

 

ではでは、また次回に!

 

 

Bio Sinfonia

 

 

 

 

 

今回は、最近イチオシの音楽サイトをご紹介するにあたり、音楽にまつわる思いを自由な気持ちで書いてみたところ、はからずも自分の音楽系黒歴史を暴露する短編小説になってしまいました。。

いつもとはちょっと違ったブログになっていますが、素敵なサイトのご紹介がありますので、ぜひチェックしていただき、そしてぜひぜひ触れて、使ってみてくださいませお月様

 

 

Bio Sinfonia(Moonのにほん語)