別々に見た記事を並べてみると | がいちのぶろぐ

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ネット上を流れるニュースを見ていると、1本だけのニュースでは気付かないことでも、他のニュースを合わせて読むことがあれば、そこには違って見えて来ることもある。

 

今日は、そんな経験をしたので、そのことを書き留めて置きたい。実は、別々に3本のニュースを目にした結果なのだが。

 

まずは、「日本の街で中国国旗掲げパレード=中国ネット『逆だったら大変なことに』」と題されたRecord Chinaという媒体からの記事。

 

「横浜の中華街」で今月1日に行われた「中国の『国慶節(建国記念日)』を祝うパレード」について、「中国のSNS・微博(ウェイボー)」で中国人ブロガーが紹介したらしい。

 

これに対して、「これ(日本の様子)こそが自信と包容力だ」、「日本社会の寛容度はとても高い」といった、中国人からの感想が書き込まれたらしい。

 

さらに、「反日感情が強い中国では日本国旗を掲げて街中を行進することなど不可能」とか、「中国では和服を着ただけで殴られる」と言った書き込みもあったようだ。

 

日本では、この間の中国の日本人学校で連続して発生した事件が、やはり尾を引いてはいるが、一方で横浜や神戸にある中華街では、こうしたお祭り気分のイベントも行われている。

 

日本の人々の間でも、政治がらみの話となれば、やれ「親中的」だとか「嫌中」だとか喧しくなってしまうけれど、中華街のイベントとしてみれば、普通に楽しむ人たちも多い。

 

そこらあたりが、逆に中国の人にすれば、かえって不思議に見えるのかもしれない。それがブロガーの投稿に対する反応として、現れているのだろう。

 

次の記事は、これもRecord Chinaの「中国人の日韓に対する印象が1年で急激に悪化=韓国ネット『お互い様』『嫌われるだけで何の利益も…』」という記事だった。

 

「中国の清華大学戦略安保研究センター」が、「中国人男女2662人を対象に実施した世論調査の結果」ということだった。ただ、どのような人が回答したのかもわからない。

 

なんと言っても、国民全体で14億人もいる中の、2千人あまりへのアンケート調査だから、この結果がどこまで代表性があるのか、私にはまったくわからないが。

 

「日本、米国、韓国、インド、ロシア、英国、欧州連合(EU)、東南アジア諸国連合(ASEAN)への印象を問う項目では、日本が1.68点で最も印象の悪い国に選ばれた」というのだ。

 

「日本の次に悪い評価を受けたのは1.85点の米国」で、「中国人の日本と韓国に対する印象はここ1年で急激に悪化」したらしい。いずれも、0.5ポイント以上下落したという。

 

「日本の場合、昨年8月に始まった福島第一原発処理水の海洋放出の影響もあるとみられる」と分析されているらしかった。しかし、〝何だかなあ〟という気がしないでもない。

 

そして3番目の記事はLASISA編集部の、「容疑者の出身地に『あーやっぱりね』 SNSに広がる“むき出し”の【差別感情】 カジュアルな露悪、なぜ?」という記事だった。

 

この記事は、「SNSではときに、人々の驚くような『差別感情』を目撃すること」があるという書き出しで始まっていた。

 

「暴力的思考が公然と語られるネットの匿名空間では、誰しもが差別者に、そして被差別者になる危険をはらんで」いるというのだ。

 

記事ではデジタル辞書を引用して、「差別とは『取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと』」という定義を紹介している。

 

その上で、「国連の『世界人権宣言』第2条には『すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、門地その他の地位またはこれに類するいかなる事由による差別をも受けること』がない」という内容を示している。

 

このことは、同時に「日本国憲法第14条『法の下の平等』にも明記されて」いるということも、併せて紹介している。

 

しかし、とりわけネット上では、「特定の属性を理由とした他者への差別感情をあらわにする事例」が、かなり多く見受けられるというのだ。

 

例えば、「『年寄りは老害』。『チビは攻撃的』」などといった、根拠もない言説がまかり通ることもある。

 

また、「『女性が働きに出る』すなわち『家計が苦しい』という考えを持つ層は一定数いる」から、保育園に通っていた子どもへの偏見を生む、ということも述べられている。

 

これらを総括すると、「何らかのきっかけで、もしくは誰かの思いつきによって、どのような属性であっても容易に〝被差別対象〟になり得る」ということなのだ。

 

だから、「自身が被差別対象になって初めてその醜さに気付く」ということにもなって来るし、「カジュアルに差別感情を披露し合うSNS」ということになってしまう。

 

まったく別々に掲載されていて、どれもまったく偶然に見掛けた記事ばかりなのだが、こうして並べてみると、何かしら考えさせられることがあると思えるのだが、どうだろうか。