今日の午後は、5年間の海外勤務を終えて、先月下旬に帰国した大阪の息子が、小学校時代の友人と京都市内で会食があるというので、我が家に立ち寄った。
なので、今年の2月に墓開きをした、我が家の新しいお墓を彼に紹介するため、一緒に墓参りに出掛けていた。
そもそも我が家のお墓があるお寺は、知恩院の本堂(御影堂)からさらに山側の、大釣鐘のある鐘楼の横になる。だから、ここより上には建物がなく、東山の中腹のような位置である。
そんな場所にあるので、今年の春のお彼岸の墓参りは、2月末から3週間ほど私が入院して、退院した直後だったので、とても行けるだけの気力・体力がなかった。
それで、病状が落ち着いて、少なくとも帰り道だけでも、歩いて山から下りて来られるくらいに回復した時に、あらためてお参りに行けば良い、と考えていた。
そうしたところ大阪に戻った息子が、連休中の3日に京都へ来る予定になった、と連絡をしてきたので、ちょうど良い機会だから、お墓の案内を兼ねてお参りすることにした。
そんなことで、今日はお寺までの往きは、我が家までタクシーのお迎えをお願いして、知恩院の鐘楼のすぐ脇まで、息子ともどもタクシーに乗って行った。
(今年はこういう年なので、鐘楼にも幟が立っていた)
それで新しいお墓に案内して、位置や墓石の状態などの説明を一通り済ませて、墓参りそのものはすぐに終わってしまった。
このお寺の墓地はそこそこ広いけれど、大きな霊園のようではなく、あくまでお寺の中にある墓地だし、これまで息子も墓参りに来ているから、新たな位置もすぐわかってくれた。
そんなことで、帰路はいつものようにお寺から坂を下って円山公園に向かい、それから八坂神社を通り抜けて、東大路通へと下るコースをたどったのだが。
円山公園では、大道芸人の〝ギリヤーク尼ケ崎〟さんが大勢の観衆を集めて、パフォーマンスを行っていたし、有名な〝円山の枝垂れ桜〟の周辺も観光客がたくさんいた。
さらに八坂神社へ行くと、日ごろは近付いて参拝できる拝殿の周囲には、縄で〝仕切り〟がされていて、誰も近づけなかった。
拝殿の前にある舞殿には、何だか多くの機材が置かれたままになっていたから、私たちが行く前まで、きっとなにがしかのパフォーマンスが奉納されていたのだろう。
それよりも舞殿の周辺は、連休で京都を訪れた観光客で、もうあふれるほどになっているし、なかでも外国人観光客が大勢着物姿で歩いていた。
そんな中でも凄かったのは、黒紋付に裾模様の着物姿の女性と、脇差を腰に差した着物姿の男性という、欧米系のカップルが歩いているのを見たことだった。
どう考えても、これはコスプレ以外の何ものでもない、という気がした。貸衣装と着付けのお店も、この〝かっこう〟をさせることに、何がしかの抵抗感はなかったのかしら。
〝お嬢ちゃんにお兄ちゃん。恥知らずや言うて、他人(ひと)さんに笑われんうちに、早よぅ、お家にお帰りやす〟と、思わず腹の中で京都弁で毒づいてしまいそうになった。
息子は友人との待ち合わせがあるので、四条河原町まで行くというので、一緒にそのあたりまで歩いて行ったのだが、四条通の歩道は人が渋滞を起こすほどの混雑ぶりだった。
これでは明日と明後日は、どこかへ出掛けるのは少し考えた方が良さそうだ。行きたい場所はあるけれど、そこへたどり着くまでの短い道中でも、大混雑が思いやられるから。