伝説に彩られた一本桜の見物に | がいちのぶろぐ

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今日の午前中は、昨日のブログに書いていた〝隠れた桜の名所〟というか、ちょっと〝いわれがある桜〟が咲いているお寺へ出掛けていた。

 

実は、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体のメンバーと、今日の午前11時過ぎに、ちょっとしたイベントに一緒に行こうと、軽く約束をしていた。

 

ところが昨夜、私が個人的に色々とお世話になっている方が、今日の昼前くらいに少し時間が取れるかどうか、急に電話で問い合わせて来られた。

 

この電話にOKを出してしまったので、メンバーと約束していたイベントに行くと、電話の約束とタイミング的にバッティングしそうな状況になった。

 

ならば、イベントの方はそれほど大事な話でもないから、私としては、そちらを〝すっぽかす〟ことになってしまった。

 

その代わりというのも変だが、11時半ごろまで2時間足らずほどだが、空き時間ができたし、天気も良かったから、ひとっ走り〝隠れた桜の名所〟まで行ってみた。

 

行った先は「千本釈迦堂 大報恩寺」。我が家からは、バスで15分くらいの「上七軒」バス停まで行って、そこからは歩いて5分余りという距離感。

 

 

 

だから、まずまず〝ひとっ走り〟という感覚で行ける場所だ。このお寺の本堂は、京都の町中が戦火で焼き尽くされた「応仁の乱」の際に、奇跡的に焼けなかったという歴史がある。

 

 

 

だから、京都の町中にある建物では最も古いということで、国宝に指定されている。それにこのお寺には、「阿亀(おかめ)塚」という伝説も残っている。

 

 

 

このお寺を建てる時に、当時の名人と言われた大工の棟梁が、何を考えたのか、柱の寸法を間違えてしまった。その修復策を、棟梁の妻の阿亀さんが進言したことで事なきを得た。

 

ただ、名人と謳われた棟梁の失敗が世に出て、しかも女房の入れ知恵と言われては、棟梁の名が廃るからと、阿亀さんは口封じに自ら死を選んでしまった。

 

 

 

もちろん棟梁は嘆き悲しんだだろうけれど、それで結果的に棟梁の名誉は保たれた。後の世に、この阿亀さんを顕彰することになり、阿亀塚が作られ、今では銅像も立てられている。

 

今もなお、新築の建物の棟上げの際には、棟札とともに梁の上に〝おかめ〟の面を祭る仕来りが続いている。この棟梁の妻の阿亀さんにあやかった、と言えば良いのだろうか。

 

 

そんな伝説がある千本釈迦堂には、阿亀塚の前に「阿亀桜」という枝垂れ桜が植えられている。そして、この時期にきれいな花を咲かせ、阿亀さんの像がそっと花を見守っている。

 

 

 

ということで、今日は私もこの「阿亀桜」を眺めに行った次第だった。我が家からもこんな近場という距離感だし、一本桜を見るだけだから見物にも時間もかからない。

 

だからこそ、〝ひとっ走り〟ということだ。こんなことだから、超穴場のお花見のはずだったが、それでも阿亀桜の周りには、やはり十数人ほどの見物が来ておられた。

 

 

 

我が家からもっと近いお寺には、もっと有名な枝垂れの一本桜も無いわけではない。だがそちらは、SNSでも人出が多いと報告されていたから、千本釈迦堂となった次第だった。

 

さらにこの千本釈迦堂の境内には、遅咲きの「御衣黄(ぎょいこう)」や「普賢象桜」も植えられているが、こちらはまだ蕾固しといった感じだった。

 

 

 

その代わり、きれいなピンクの椿の花が、阿亀桜の横でそっと花を着けていた。「桜散る」に対して、「椿落つ」と言われるように、葉の上にストンと落ちている椿の花もあった。

 

ということで11時過ぎには帰宅し、11時半過ぎには約束の方も見えて、その方とはほんの10分余りだったけれど、必要な打合せを済ませることができた。