平安時代のくらしの展示を見に | がいちのぶろぐ

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ということで、昨日のブログで予告(?)したように、今日は「京都市平安京創生館」へ見学に出掛けていた。

 

 

 

こちらでは現在、「紫式部が生きた平安時代のくらし」と題して、「宮廷文化が花開いていた」時代の「くらしを紐解く」展示が行われている。

 

 

 

だから、平安時代でもさすがに庶民のくらしではないけれど、貴族階級がどんなものを食べて、どんな装束を着て暮らしていたのかを、パネルと模型などで展示していた。

 

平安時代の貴族の衣装は、現在NHKの大河ドラマ「光る君へ」でも、目にすることができるけれど、男性は正装でなければ直衣(のうし)姿だった。

 

 

 

でも普段着でこれかよ、と思ってしまいそうになる。何よりも、衣冠束帯というけれど、頭には常に冠が乗っかっている。パネル解説では、横になる時でも被っていたのだとか。

 

下半身が全部出てしまうより、頭の冠が無い方が恥ずかしい、という感覚だったと聞いたことがある。それくらいに、生活の中で貴族の男性にとって、冠は密接に存在していたらしい。

 

女性は正装であれば、十二単と称される衣装で、単衣(ひとえ)の上に袿(うちぎ)を何枚も重ね着し、その上に打衣(うちぎぬ)、表衣(うわぎ)を重ね、下には袴を着用する。

 

さらに裳(も)という腰布を着け、一番上に唐衣(からぎぬ)を羽織る。このように「袿と呼ばれる複数の衣を重ねることが基本」で、色の組み合わせなどに工夫が凝らされた。

 

 

 

もちろん、普段からこんな格好をしているとなれば、それは〝大ごと〟になるけれど、やはり普段着は単衣に袿、袴という恰好で過ごしていた。だから、うんと簡略化されていた。

 

それでも、我々が着ているものからすれば、とても面倒に思えてしまう。それより、女性のあの裾まで引きずるような長い髪の、お手入れはどうしていたのだろう。

 

洗髪するだけでも疲れそうだし、洗うだけでなく、その後で乾かすとなれば、どうしていたのだろうと思ってしまう。やはり、これも〝大ごと〟だったみたい。

 

髪を洗うというか、米の〝とぎ汁〟を貯めておいて、これを布に浸み込ませて髪の毛をこする。こうして、何度もこすって汚れを落とす。でも、濡れた長い髪はとても重そう。

 

だからこの洗い髪を乾かすために、とにかく一日中横になって、ただただ自然乾燥するのを待つことになる。その最後の仕上げとして、髪油や椿油で仕上げていたそうだ。

 

こんな作業は、しょっちゅうはできない。せいぜい1~2カ月に一度できたら良い方だったみたい。しかも忌月などと言うものがあり、何月は洗髪はNOなどとなっていたらしい。

 

つまり、着るものの洗濯から、洗髪など、すべてが今とは全く異なる不自由な状況だったから、当然に臭いも出て来る。それをカバーしていたのが「お香」ということになる。

 

これって、西洋でも香水が発達しているから、洋の東西を問わず、似たような状況だったと言えるのかもしれない。

 

食べ物も、ジビエの鳥類や獣類の肉を食べていたし、野菜に魚も食べていた。それは当然なんだけど、基本的に料理に味付けはしていなかったらしい。

 

食膳に乗った野菜や魚、肉類は、別の器に入れて出された塩や酢などを使って、それぞれが自分で味付けをしながら食べていたらしい。

 

食膳に乗る食べ物の種類は豊富だったらしいけれど、今のように多様な調理法はあり得なかったと思う。煮る、蒸す、炙るなど、基本的な調理法で終わっていたようだ。

 

そんな料理の様子も、食膳の設えも合わせて、実物風の模型で展示がなされていた。それを見て、現在の我々はどれほど複雑で贅沢な食事をしているか、ちょっと考えてしまった。

 

 

 

この「平安京創生館」には、平安京の様子を復元した、10m四方以上もある模型が展示されており、NHKの「光る君へ」のオープニングにも、それが使われているという。

 

 

 

それほど広い展示室でもないけれど、パネルあり、実物展示あり、模型の展示ありと、何とか知ってもらおうという、気持ちは伝わって来る展示になっていた。