桜咲いた、咲いた、パッと咲いた | がいちのぶろぐ

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一気に桜のシーズンがやって来た。数日前に東京で、史上最速タイで「開花宣言」が出たと思ったら、京都でもあちこちで〝桜が咲いている〟という情報がSNSを飛び交っている。

 

もちろん桜にも品種があり、河津桜やおかめ桜などといった〝早咲き〟品種もあることはある。ただ「開花宣言」は、基準木とされているソメイヨシノの開花に拠るらしい。

 

といった固い話はさて置いて、とにかく世間では、すでに枝垂れ桜やらソメイヨシノまでもが咲き始めた、というSNSへの書き込みが相次いでいる。

 

ということだが、昨日が彼岸の入りで明後日が春のお彼岸の中日、つまり春分の日。そもそも彼岸の入りの前に、早くも桜が咲くのは、やはり異常と言わざるを得ないのかも。

 

そして週間天気予報では、今週は先に行くほど天気が崩れるらしい。ということで、晴れた今日を逃す手はないから、午前中にサッサとお墓参りに出掛けてきた。

 

何度もブログには書いて来たけれど、我が家のお墓は、東山の中腹にある知恩院の、さらに上になるお寺さんの墓地にある。

 

 

 

だから東山の麓の東大路通でバスを降りて、ダラダラとした坂を上って知恩院の山門の前まで行き、そこからは急な階段を上ってやっと知恩院の御影堂の前に出る。

 

 

 

 

御影堂を通り過ぎて、またかなりきつい階段を上ると大鐘楼があり、重さが数十トンという釣鐘と出会う。そこからまだ少し先に、やっと目指す墓地がある。

 

 

 

もうこの歳になれば、ここまで上がって来るだけでも、途中で何度も立ち止まってハアハアと大きく息をしながら呼吸を整えるザマだ。歳は取りたくないとつくづく思う。

 

水塔婆を書いてもらい、墓石を少し洗い流して花を替え、線香をあげて手を合わせれば、それでおしまい。この間、わずか10分余りだろうか。お参りは、実にあっさりしている。

 

帰り道は、法然上人がかつて説法をしていたという安養寺の前から、料亭・左阿弥の前を通って円山公園に入る。円山公園で、早くも花が咲いている桜に人が集まっている。

 

 

 

 

この間は人がいなくて閑散としていた、円山公園の有名な〝枝垂れ桜〟の周りも、今日はさすがに大勢の人が出ている。外国人観光客の姿も少なくない。

 

 

 

親の枝垂れ桜はまだ〝蕾ふくらむ〟と言った感じだったが、その前にある子どもの枝垂れ桜の方は、すでに目一杯に花を咲かせていて、その前でみんな写真を撮っている。

 

 

 

円山公園から八坂神社へ入って行くと、もう人がウワッと出て来ている。とりわけ春休みの旅行に来ている学生さんだろうか、着物姿の散歩がすっかり定番になっている。

 

本殿にサッとお参りをして、後は四条通まで下ってバスで帰宅した。家を出た頃は少し肌寒く思えたのだが、帰り着いてみるとけっこう汗をかいていた。

 

 

 

まるまる3年間というもの、円山公園は本当に人出が少なかった。それが今年は、その分を一気に取り戻す勢いになっていた。やっと、気分が晴れ晴れとしてきたようだ。

 

特に一昨年の春のお彼岸は、私が抗がん剤の治療で入退院が続いている最中だった。だから、その頃はとりわけ上り坂を歩くのが苦痛だった。

 

それが今は、入退院などといったことはないのだが、今度は年齢による衰えに、家に引き籠もりがちが原因する足の衰えが重なって、坂道を歩くのがホントに辛くなってきた。

 

何とも悲しい話だが、お墓参りがしんどくなるようでは、これはどうにもお墓の下に入る時期が近付いていると思わざるを得ない。シャレにならない話だ。

 

 

 

随分と暖かくなってきたから、少しは歩いて足腰を鍛え直さないといけない。グングン歩くことなどはもう無理だとしても、せめて坂道で何度も立ち止まるのをやめたい。

 

ゆっくりでもいいから、着実に歩ける身体を取り戻さないといけない。何とも、〝だらしない話〟になって来た。