泉涌寺の大涅槃図はさすがにデカかった | がいちのぶろぐ

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東京では早々と今日、「桜の開花宣言」が出されたそうだ。〝過去最早タイ〟での宣言となった、とテレビで報じていた。今年は、全国的にも開花が早まっているようだ。

 

野球のWBCも16日の対イタリア戦まで、いったん小休止状態。ヌートバー旋風もオータニさんの特大ホームランも、とりあえずはお休みになった。

 

それで私も、今日はのんびりとした散歩に出掛けていた。行った先は「御寺 泉涌寺」。京都市東山区の月輪山の中腹にあって、歴代天皇のお墓が並ぶ皇室に由縁の大寺。

 

 

 

ここで今日から、「大涅槃図」が公開されているので、それを見物に出掛けていた。涅槃とは、ご存じの通りお釈迦様がお亡くなりになったこと。

 

 

 

お釈迦様は、頭を北に西を向いて眠りに着かれた。それを嘆き悲しんで、大勢の弟子をはじめ動物や鳥たちも周囲に集まって来て、お釈迦様をお見送りしている絵画が「涅槃図」。

 

この泉涌寺に伝わる「涅槃図」は、画僧の明誉古間(正しくは「間」に石偏が着く)が1717年に作成した絶筆だという。その大きさは縦15.1m×幅7.6mという巨大さ。

 

 

 

重量も、説明は「百貫(375kg)」と書かれていた。これだけ大きいから、普通に吊り下げて見ることは不可能。天井側に上部が、正面に中央部が、そして床に下部が置かれている。

 

つまり「コの字型」に架けられている。上部にお月様が描かれ、中央部にお釈迦様と周囲には弟子たち、下部には鳥や動物たちが描かれている。

 

だから、ちょうど中空に月が掛かる中、お釈迦様が静かに入滅されていく図になっている。それにしても何という大きさだろう。これはちょっと、言うべき言葉が見当たらない。

 

 

 

昨年の涅槃の時期には、上京区の本法寺で長谷川等伯が描いた巨大な「涅槃図」を見た。こちらも縦10mはあるだろうという図で、収蔵庫の2階から見下ろすようにして見た。

 

今日の泉涌寺の場合は、仏殿の空間をいっぱいに使って架けられていた。それで、ちょうどこのお寺の本尊の「釈迦・阿弥陀・弥勒」の三世仏の前を覆い隠すようになっていた。

 

 

 

とにかく、このちょっと笑えるような涅槃図を見るために出掛けていたので、その他もざっとは見たけれど、すぐに泉涌寺の別院になる雲龍院へ向かった。

 

泉涌寺は、お寺を取り囲んで数多くの塔頭寺院があるけれど、その中でも雲龍院は一番奥まったところにあって、別格本山という位置付けになっている。

 

 

 

こちらは、割とオープンというかあっけらかんとしたイメージのお寺だった。拝観料を支払った受付では、「雲龍院の『へぇ~』ポイント」なる説明書を渡してくれた。

 

 

 

 

〝ここを見て帰ってね〟ということなのだが、奥まった部屋の円窓は「悟りの窓」と紹介されていた。また、霊明殿の前庭の燈籠は徳川慶喜が寄進したもの、となっていた。

 

 

 

墓地には、小説家の故・山村美紗さんのお墓もあると書かれていた。さすがに、それは見て帰ることはないだろう。それよりも拝観入口の前庭で、桜がみごとに開花していた。

 

 

 

 

今日は、バスを降りてからけっこう長くて急な坂道を上って、泉涌寺から雲龍院へと足を運んだので、ドッと大汗をかいていて、帰宅してからすぐに着替えをする始末になった。

 

 

 

明日は、こちらも「大涅槃図」として知られている東福寺の涅槃図が、〝裏打ち〟などの補修を終えたから、今年は観覧できるということなので、それを見に出掛けようと思う。