「西陣CROSSWeek2022」に行けて良かった | がいちのぶろぐ

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昨日退院したばかりだし、入院前と比較してわずか10日余りの間に、4㎏ほども体重が減少している。だから、〝何々をしよう〟というほどの意欲はまだ湧いてこない。

 

そんな状態でも、今日の午前中はひとっ走り「西陣織会館」へ出掛けていた。それというのも、今日が「西陣CROSS Week 2022」の最終日だったから。

 

 

 

先週の金曜日11日の「西陣の日」から、今日15日の「きものの日」まで、西陣織会館を主会場に、西陣地区の工房なども参加して、様々なイベントが行われていた。

 

 

 

ちなみに、11月11日はポッキーの日であると同時に「西陣の日」でもあり、11月15日(つまり今日)は「きものの日」だが、それはなぜかと言うと…。

 

11月11日は、11年にも及んだ応仁の乱が終結し、西陣に平和が戻った日とされているから、昭和42年に西陣織関係の多くの団体によって「西陣の日」が制定された。

 

また全日本きもの振興会が、「旧暦11月が収穫を感謝する月で、満月の15日は吉日にあたり、氏神への感謝を兼ねて七五三のお祝いをする」ことに因み、昭和41年に「きものの日」を制定した。

 

それに加えて、今年は「西陣555」の年だから。〝何、それ?〟というのも無理はないが、京都の〝この前の戦争〟である「応仁の乱」が始まったのは555年前の1467年。

 

 

 

この年から、実に11年もの間市街戦が続いた。これで京都の町の大半が焼け野原になり、戦火は町の全域に及んだから、町中にある寺社仏閣もほぼすべてが燃えてしまった。

 

京都の町から見れば、随分と離れた場所にあるお寺ですら燃えている。むしろ、町中にあって唯一燃えなかった「千本釈迦堂 大報恩寺」の本堂は、国宝に指定されているくらいだ。

 

 

(千本釈迦堂大報恩寺/国宝の本堂)

 

というようなことで、この「応仁の乱」の際に、「西軍」の総大将・山名宗全の陣があったあたり一帯を、「応仁の乱」の後で人々は「西陣」と通称するようになった。

 

もともとこの辺りには、「応仁の乱」以前から「織部司」という官営の織染物製造組織があった。それが「応仁の乱」の後に再び〝工人〟が戻り始めて、この地域が織物の町になっていった。

 

これがいわゆる「西陣」ということになる。だから行政区域というか、地名として「西陣」という場所はなく、ぼんやりと「この辺一帯」という観念で、西陣という地域が存在する。

 

ということを前提として、今日まで「西陣CROSS Week 2022」が開催されていたということだ。フーッ、面倒な解説はここまで。

 

 

 

今回のイベントの、ある意味で〝最大の目玉〟といえるのが、「空引き機」という明治中頃まで使われていた織り機を復元したものの実演だった。これも、当然今日までの実施。

 

私は昨日まで入院生活だったから、最終日となる今日こそ、〝こればかりは見落としてはならぬ〟ということで、あわてて西陣織会館まで見物に出掛けた。

 

この「空引き機」は、明治の初期にフランスからジャカード機という織機が導入されるまで、実際に西陣の織り屋さんで使われていたものを、資料を基に昭和42年に復元した。

 

 

 

いや実に、なかなか見ものだった。とにかく織り機の上に一人が座って、どの経糸(たていと)を上げ下げするか、手順にしたがって操作することで必要な経糸が引き上げられる。

 

 

 

 

下に座っている織り手は、それに応じて緯糸(よこいと)を通してゆく。全体に緯糸を通すこともあれば、この部分はこの色糸というように、通す糸の色を変えつつ通すこともある。

 

 

 

 

こうして、「紋織」と呼ばれる織物が織り上げられる。2人がかりの、何とも面倒で大変な作業だということが良くわかる。これでは、出来上がりは高価なものにならざるを得ない。

 

ジャカード機というのは、「空引き機」の上に座って経糸の操作をしている人の作業を、厚紙でできた「紋紙」と呼ばれる〝パンチカード〟に置き換えたものだと言える。

 

 

(「紋紙」はこんな感じ/不要の「紋紙」で山鉾が作られていた)

 

「紋紙」に開けられている穴の有無によって、経糸の上げ下ろしが制御されるように工夫されている。「紋紙」1枚が、緯糸1本を通す部分の動きに相当するように制御される。

 

これはこれで織物に取り掛かる前に、「紋紙」への穴あけという、すごい手間が掛かる作業が必要とされる。いわば、織り柄のための設計図ということが言える。

 

「空引き機」の場合、上に座る人が次にどの経糸を引き上げるかは、情報受け渡しのために絡めている細い糸を頼りに操作するが、この操作を「紋紙」の穴に置き換えたことになる。

 

 

 

この〝上に座る人の操作〟は、いくら文章で説明しようとしても、私の表現力では上手く伝えることはできない。これこそ、「百聞は一見に如かず」というしかない。

 

ただし、これはこれで「よくできている」と感心してしまった。現代ならコンピュータ制御にしたくなる部分を、人力で行う方法を考え出した、と思ってもらえれば解るだろうか。

 

ジャカード機の場合は、そこをパンチカード・システムという、いわば考え方としてはコンピュータの原理に則ったものにした、ということだ。だから、急速に置き換わった。

 

 

 

 

それにしても、今日は来て良かったと思った。ホントに、こればかりは見ないとわからない。いくら口で説明しても、文章で表現しようとしても、表しようが無い中味だったから。

 

30分ほどの実演が終わった時には、平日の午前中にも関わらず見に来ていた大勢の人たちが、みんな拍手を送っていた。たしかに拍手したくなる中味だった。

 

 

 

ちなみに、上に座った人も織り手の人も、締めていた帯は可愛い「タータンチェック」柄の帯地だった。色味といい、軽やかさといい、これは私も1本ほしいと思った。

 

 

 

でも人生において、私が和服を着る機会などもはや来ないだろうけど。