「中秋の名月」は雲も晴れたんだけど | がいちのぶろぐ

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昨夜の「中秋の名月」は、月の出の直前位から雨模様になっていたので、これは無理だろうと思っていたのだが、8時ごろには雲が多いながらも満月が顔を出してくれた。

 

 

 

そして、12時前には南の空に煌々と照る満月が浮かんでいた。やはり、この時期の月は良いものだと勝手に思い込んでいる。

 

満月であることには、毎回、何も変わりはないだろう。では、「中秋の名月」は何がどう良いのかと問われても、何が違うのか説明はしにくいが。

 

 

 

この時期は春・夏と比べると湿気が少ないのでは、と思われるが、昨日などは雨上がりだったからなんとも言えない。むしろ真冬の方が湿気が少なくて、冴え冴えしていると思う。

 

ならば「中秋の名月」の時期は、ちょうど秋分に近いから、月が上る時間帯や、南の空へ移る時間の具合が良いのかと言われると、それもまた違うように思う。

 

ただやはり、盛夏が終わり秋になって行くという、季節の変化に対する気の持ち方だろう。「白秋」という言葉が持つ、少しだけひんやりとした語感、といえばいいだろうか。

 

 

 

そんなことが、全部ない交ぜになって、そこに「中秋の名月」というものが出来上がっているように思う。現実はそうでなくても、ススキの穂が揺れる光景が思い浮かぶ。

 

昨夜からは、そんな情感を愛おしんでいたけれど、翻ってインターネットを流れるニュースを見れば、いかにも情感が無いというか、下らないニュースが流れてくる。

 

この間の、岸田総理と自民党の一連の動きが、とてもではないが「丁寧な説明」からは程遠い。そもそも、自民党の都合だけで〝国葬〟を決めたことへの、国民の強い不信感がある。

 

言ってしまえば、〝何で国葬なのか〟ということに尽きる。そもそも、法的根拠があいまいということだ。その上、ご本人が統一教会の〝仕切り元〟だったというオマケまで付いた。

 

こんな状況がある上に、エリザベス女王がお亡くなりになって、19日には国葬が行われる予定だ。この時は、イギリス国民も元首にお別れを告げる機会があるとのことだ。

 

元首の国葬であるということは、国民がその方の死を悼み、喪に服する日だから、イギリスではその日はもちろん臨時の休日になる。これが国葬ということだ。

 

ひるがえって、日本も国葬をしたいのなら、その日は休日にすべきだ。もちろん、国を挙げて故人の冥福を祈るために、一斉に喪に服する日になる。

 

岸田総理、貴方はいったん国葬と言ってしまった。それを今さら、見苦しくも「くに、葬儀」などという、きわめて曖昧な言い方へと変化させている。国葬と言い切る自信がないのだ。

 

「#本物の国葬」の1週間後に、「くに、葬儀」などを行うなんて、恥ずかしくてまともに顔も上げられないだろう。だいたい、出費の法的根拠すらも曖昧なのに

 

自分でも、今回まいた種は、とんでもなく間違ったものだったことを、身をもって十分に理解されたことだろう。経済は待ったなしの状況になっているのに、こんな体たらくだ。

 

こんな状況に立ち至って、あなたには総理という職をお続けになる力が、本当に備わっているのだろうか。その点、ご自分でも自覚されたのではないかと思いたい。