清水寺はかなりの人出に | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

ゴールデンウィークもこの2年間というもの、京都の町は火が消えたような有り様だったけれど、今年は何の宣言も出されていないので、昨日から人出が戻って来ている。

 

 

 

今日の午前中は、3年ぶりとなる小学校のクラス会を6月には行いたいと思うから、幹事役を仰せつかっている私は、清水寺のすぐ下に住む旧友を訪ねていた。

 

私が卒業した小学校は、清水寺の参道になる「清水坂」の中ほどにあった。今は子どもが減ったから、だいぶ前に統廃合されてしまい、小学校の校舎はホテルに変わっている。

 

 

 

嬉しいことに、小学校の校舎は昭和初期の建物としてはモダンなものだったので、大筋ではこの校舎を残した状態でホテルに改装されているから。

 

ただホテルが建築に取り掛かり、さあ開業という段になってコロナ禍が始まり、このホテルを会場にクラス会をしようと言ったまま、宙ぶらりんの状態が続いていた。

 

だから今年こそ、何としてでもこのホテルを会場にクラス会を行っておかないと、これからは歳も歳だから、〝櫛の歯が欠ける〟状態になることも考えられる。

 

そもそも私自身が昨年にはガンを患ったし、今日訪ねた旧友も一昨年に大怪我をして、なかなか大変な状態を過ごしてきた。その他にも、いろいろな友人の情報が聞こえてきている。

 

ということなのだが、今日の清水寺の参道はコロナ前よりも多少は空いているように思えたが、それでも産寧(三年)坂の石段は人で埋まっていた。

 

 

(今日の清水「産寧坂」の人出)

 

また、旧友の家に立ち寄る前に清水寺の周辺をひと渡り歩いてみたが、人の波が邪魔をしてかなり歩きにくい状態になっていた。

 

 

 

土産物屋さんなども、ほとんど全部が店を開いていて、この2年間のシャッター街化した参道とは大違いだった。やはり、観光地はこうでなくては、と思う。

 

これが行き過ぎると、今度は〝観光公害〟などと言われたように、観光客過多の弊害が出てくるけれど、観光で生きている場所はやはり〝人が来てなんぼ〟には違いない。

 

それで、昨日から特別公開を行っている、清水寺の塔頭「成就院」にも立ち寄り、名庭「月の庭」も拝観した。ゴールデンウィーク中だけの公開で、写真撮影は禁止ということだった。

 

 

 

かつては「雪月花の庭」として、妙満寺(左京区岩倉)の「雪の庭」、北野天満宮の「花の庭」と、ここの3つの庭がセットとして知られていた。

 

その北野天満宮の「花の庭」が長らく途絶えていたけれど、この度復活できて、ようやく「雪月花の庭」が揃ったところだった。だから、特別拝観ということになった。

 

 

(成就院の側から清水寺の三重塔を仰ぎ見る/こんな近さだけど)

 

とは言っても、清水寺へ押し寄せていた人の数を思えば、こちらは清水寺の三門の脇をほんの1、2分も歩けば着く場所だが、来ている人はせいぜい2,30人というレベル。

 

だからコロナ禍も安心もし、ゆっくりと縁側に腰を下ろして、お庭を眺めることができた。その後で、旧友の家まで行ったということだ。

 

 

 

旧友の家も、数年前までは参道で〝京人形〟を商っていたが、観光客とはあまり馴染まない商品だったこともあり、今では参道に面した部分をソフトクリームの店に貸している。

 

そんなことで午前中は、6月にクラス会を行う前提で、旧友に会ってホテル側との下交渉をお願いしておいた。交渉などと言うのも少し大袈裟だけど。

 

それでも、今日会った旧友も、相変わらず清水寺のお祭り事などがあるときは、やはり地元の世話役を務めているから、ホテルとも近所付き合いで話が通しやすいようだ。

 

 

(成就院の前で見かけた石仏群)

 

さらに小学校では別のクラスだった旧友が、現在、この元・小学校区の連合自治会の幹部なので、その旧友とも連絡を取って、ホテル側と話してみるということだった。

 

何としてでも、6月にはクラス会ができますように。コロナの第7波が来て、また緊急事態宣言などと言う言葉が出て来ませんように。