散歩から市の財政難を考えることに | がいちのぶろぐ

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このところ、ブログに書いていない場合も含めて、散歩と称して京都市内をあちらこちらと毎日のようにうろつき回っている。

 

時には、住宅地域をキョロキョロしながら歩いていることも有り得るので、家の中にいる方と偶然に目が合えば、不審者を見るような視線を浴びることもある。

 

いや、自分でも行動自体は不審者そのものだと思う。ただ単に散歩をしたければ、我が家からすぐ近くにある〝鴨川河川公園〟を、好きなだけ歩けば済むことだ。

 

 

 

普通に考えれば、そんなところに住んでいるなんて羨ましい、と思われてもおかしくないし、事実、お天気が良ければ鴨川河川公園は散歩する人がとても多い。

 

しかし私の場合、無目的に健康のためだけに歩く、という散歩ができない性質だ。これはただひたすら、健康維持を目的としてジム通いをするのが苦手なこととも共通している。

 

 

 

だからこの間も、やれ「洛陽十二支妙見巡り」だとか、「六地蔵巡り」などと、何かしらのテーマを見つけては、その達成のためにお寺巡りなどに出掛けて、歩き回っている。

 

それもこれも、京都市の市バス・地下鉄の「敬老乗車証」を〝購入〟しているから、市内の大部分はこの年間パスで移動することができるお陰だ。安いが、あくまで購入している。

 

 

 

しかし京都市の財政難が発端となって、この年間パスの購入価格が2倍に値上がりするみたいだ。確かに現状は、有難いほど安い。だが、いきなり2倍にするとは。

 

その前に身を切る改革がなされてこそ、〝値上げも已むなし〟ということになる。まずは率先して市長が給与の5割カットだとか、議員定数の思い切った削減などをしてほしい。

 

そうなれば我々も真剣に受け止めるけれど、現在の対応策は、取りっぱぐれの無いところからムシリ取って、辻褄を合わしていこうという気持ちが見え見えだから腹が立つ。

 

しょせん〝地域上級市民〟の連中が考えることは、この程度のことだろう。最近も、何かの選挙で買収行為をした市会議員が辞職し、政治活動費の水増し請求をした議員もいた。

 

もっとも〝水増し〟さんは、修正申告をした上で、間違い分は返却するから辞職はしない、と言っている。なんともあきれ果てた議員だ。バレなきゃ良い、という感覚なのだろう。

 

その上で運悪くバレたなら、返せば文句はないだろうということだ。こんな腐ったような人間でも、その本性はこうして明るみに出ないとわからないから困ったものだ。

 

地方議員の選挙は、押しなべて投票率が低い。誰が議員になっても、市民生活の基本的なことが急に変わるわけではないという気になるから、多くの人が投票を棄権するのだろう。

 

だが、降ってわいたように市側が財政難だと言い出した途端に、今まで議員は何をやって来たのだとなる。こうなる前に、議員がチェックできただろうということで。

 

だがそれは市民自身が、選挙で議員や市長をチェックするのを怠ってきたことの、付けが回って来た結果なのだ。なんともやるせない話だが。

 

国レベルの選挙であれば、たとえ野次馬的であったとしても、それなりには興味も湧くから投票にも出掛ける。それでも、投票率はせいぜい50%を超えるかどうかではあるけれど。

 

しかし知事・市長選挙や地方議員選挙は、ひどい時には投票率が30%に達しないこともある。だから一定の投票率がなければ、その選挙は不成立とすべきだと思う。

 

その上で、知事・市長選挙で2回連続して選挙が不成立だった場合には、その任期の間は空席とし、その間はすべて職務代理者が必然経費だけ支出する暫定予算とすればいい。

 

また議員選挙が2回連続不成立であれば、いったんは議会を閉鎖して、こちらも理事者側が暫定的に必然経費の執行を行うだけに限定すればいい。

 

投票率が低いのは立候補者に責任はない、と言いたければ、投票に来させるだけの魅力ある提案を公約として提示すればいい。

 

それどころか、最近では人口の少ない町村では、立候補者が議員定数に満たない場合が現れている。候補者の人数が不足して、無投票当選すらできないのだ。

 

世の中なんて、そんなものなのだろうか。京都市のケースを見ていると、つくづくとそうした色々なことを思ってしまう。

 

そう言えば市が発行している「市民しんぶん」も、財政再建のために色々と値上げをお願いしたい、という内容が2,3か月続いた後は、もはやそれすら言わなくなった。

 

月号などは、とうとうサッカーでJ1に返り咲いたチームの応援の話や、バスケットボールのBリーグの話題でお茶を濁している有り様だ。なんてこった、と思ってしまう。

 

民主主義の原点と言える選挙すら満足にできないのも、一種の平和ボケなのだろうと思う。