笑い話で終われるためにも・・・ | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

私が関わっている「やさしい日本語」を広めるためのNPO団体は、この間のコロナ禍のために、〝日本人向け〟のワークショップができない状況が続いている。

 

私たちが実施してきたワークショップは、京都市に定住し始めて日も浅い外国人の方を相手に、その場で参加者に課題を与えて、実際にコミュニケーションを行ってもらう。

 

 

 

もちろんそうした実践の前に、「やさしい日本語」とはどのようなものなのか、どんな注意点があるのかといったことを、「やさしい日本語のコツ」として簡単に講義を行う。

 

それから、その日の参加者の顔触れに応じた課題を用意して、実際にコミュニケーションにトライしてもらうワークショップを行う、という流れで実施してきた。

 

 

 

だから、参加者が外国人とコミュニケーションを取るのに、どのような困難や問題に直面しているのか事前にヒアリングをして、「課題」を作る準備を行った上で実施をしてきた。

 

こうすることで参加するそれぞれの方が、仕事などで直面している課題の解決に直接に役立つワークショップになってほしい、と考えているから。

 

だから逆の立場で考えれば、日本に定住を始めて日の浅い外国人は、どんなことに困難を感じ、どんなサポートをして貰えたら嬉しいかを、把握しておくことも必要になる。

 

 

 

現状ではワークショップが行えないので、定住している外国人や、技能実習生と関わっている日本語教師の方など、関係する方々へのヒアリングを数多く行っている。

 

すると、日本に生まれ育ったり、長く住んでいたりすれば当たり前と思うことが、日本の生活が短い外国人にとっては、けっこう〝引っ掛かる〟ことだと気付かされる。

 

もちろん、中には日本人でも困ってしまうような難しい問題と直面することもあるが、病院のお世話になる場合などは、外国人にとって言葉の壁で悩むことも少なくない。

 

同様に、健康保険の加入手続きなども決して簡単ではない。大企業に勤務していて、その企業が健康保険への加入手続きを代行してくれるなら問題はない。

 

だが中小企業など組合健保ではなくて、国民健康保険に加入するケースの場合、企業の人が付き添って手続きを行ってくれればいいが、本人に任せると一気にハードルが高くなる。

 

こうした大事なところが、案外と忘れられがちになってしまう。また生活面の指導でも、中小企業であれば、細かく面倒を見る教育係的な人を配置することはなかなか難しい。

 

異文化圏からやって来た人が、いきなりこの国の生活習慣に馴染めるわけはなく、一つずつ覚えていくしかない。そこを短絡的にワッと教え込んでも、混乱を招くだけになる。

 

こうしたことを、外国人とまだまだ〝たどたどしい〟日本語を介して、やり取りをして行くのだから、コミュニケーションの「コツ」がやはり必要になる。

 

 

 

最近、私たちも気付かなかった面白い話を、ヒアリングの場で教えてもらうこともあった。

 

私が爆笑したのが、『面倒くさい』という言葉の使い方だった。私たちは特に教えられたわけでもないけれど、この言葉はどんな状況では〝使うべきではない〟かを知っている。

 

例えば会社で上司から何か指示をされた時に、反論や議論の余地はあるにしても、「面倒くさい」と上司に向かって言うことはまず有り得ないだろう。

 

たとえ丁寧な表現で、「それは、私には面倒くさいです」ときちんと言ったとしても、総体的に見ればやはり〝言葉の使い方がおかしい〟となる。

 

例えば、「私は〝これこれ〟という急ぎの仕事を抱えているので、それを今、行うことは時間的に難しいです」といった表現で、指示を断ることは有り得るだろう。

 

だが、「私は面倒くさいからダメです」は、こうしたケースでは絶対に言ってはいけない言葉だ。それがたとえ丁寧で、文法的な誤りもなかったとしても。

 

「面倒くさい」という、日本語としてもかなり〝高度な〟言い回しを覚えた外国人が、もし使ってみたとしたら、その瞬間に上司との間で険悪なムードになってしまう。

 

「面倒くさい」という言い方は、それを用いる場面や関係性など、周辺にある諸々の事柄を合わせて理解する必要があるという〝高度な〟言葉なのだ。

 

だから、〝こんな言葉まで知っているなんて〟と感心をしている場合ではない。ここはきちんと、その外国人に教えてあげないといけない。

 

面白い実例を聞かせてもらった。実はこれは実際に職場であった話なのだが、爆笑ですんだから良かったけれど、一つ間違えば騒動になり兼ねない話でもある。

 

教えてもらった時の話では、外国人従業員が「社長さん、面倒くさいからもう帰ってもいいです」と言ったそうだ。

 

本人としては、「ご面倒を掛けましたが、もう大丈夫です」と言いたかったらしいが。「面倒くさい」と「面倒を掛ける」。似た言葉だけど、意味はまったく違ってしまう。

 

日本語がまだ十分でない外国人に、この場合のように、似た言葉で大きな違いを生み出すケースなどをどう教えればいいか。これは難しい問題だ。

 

言われた社長も、わかっている人だったから爆笑で終わったらしいけれど、こうしたことでも、日常的なコミュニケーションが取れているかどうかで、笑い話で終わるかが決まる。

 

だからこそ、「やさしい日本語」というテクニックを通して、日常的にコミュニケーションを取ることを考えてもらえるように、ワークショップが開催できたら良いのにと思う。