「狂言」の風刺性の意味は | がいちのぶろぐ

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昨日から、ほぼ降り止むことなく雨が降り続いている。午後4時を過ぎて、雨脚が強まってきたように思われる。

 

 

 

広島に大雨に関する特別情報が出されていたが、夕方になって京都市にも大雨警報とともに、土砂災害や洪水に関する注意報の発令が相次いでいる。

 

スマホにも、あれやこれやと次々に情報が流れて来て、〝ハイ、わかりました〟とお辞儀をしたくなる。

 

 

 

ところで大雨の話とは関係ないが、今日読んだブログに書かれていた内容で、〝なるほどなあ〟と思わせられる文章と出会った。

 

古典芸能の「能・狂言」について書かれていたものだった。ただし、そのブログの全体としての趣旨はまったく別のところにあった。

 

だから「能・狂言」のことは、〝一言解説〟的に書かれていただけだった。しかしこれを読んで少しばかり考えさせられた。

 

まず「能」は、「人間の内面を掘り下げ、心の葛藤を謡と舞で表現するなど、悲劇性の濃い内容へと発展した」と書かれていた。

 

(親子能・狂言教室で仕舞を演じる能楽師「河村晴久」師)

 

一方で「狂言」は、「能と一座を共にしながら、滑稽な仕草と会話を主体に、社会風刺も交えた喜劇性の強い芸能として成長した」とされていた。

 

 

(親子能・狂言教室での狂言師「茂山七五三」師)

 

どちらもその通りだと思う。ご存知の通り「能」は室町時代に、観阿弥・世阿弥親子が時の将軍・足利義満に見出され、その庇護の下に「夢幻能」として完成されていった。

 

 

(新熊野神社にある観阿弥・世阿弥と義満の出会いの碑)

 

その題材も、室町時代を逆上がる〝源平合戦〟の時代などに想を得たものが少なくない。有名な「船弁慶」などはその典型例だろう。

 

〝合戦〟では勝者と敗者が生まれ、敗者は死してなお「怨霊」と化して勝者の元へ現れる。そして勝者に対して、〝祟り〟を成して一緒に彼岸へ導こうとする。

 

(親子能・狂言教室で「船弁慶」のビデオ鑑賞)

 

敗者には「怨霊」となるだけの理由がある。それが〝心の葛藤〟であり、ドラマとしては〝悲劇性が濃い〟ストーリーとして表現される。

 

その一方「狂言」は、主人公の「太郎冠者」が、雇い主である「主(しゅう)」の〝無茶振り〟に困り、智恵を絞って「主」をやり込める、というのが基本的なストーリーである。

 

そこには〝雇い主〟という絶対者が命ずる〝無茶振り〟に対して、普通なら抗えない立場の「太郎冠者」が、機知で「主」を懲らしめることに、庶民の痛快感が生まれてくる。

 

 

(狂言には「笑いの演技」という要素が不可欠である)

 

それは「主」という人格に凝縮された「権力」に対して、庶民の側が対抗し得る唯一の手段である機知という武器を駆使した、〝鬱屈〟した感情へのカタルシスが込められている。

 

カタルシスとは〝不快感の浄化〟であり、それが「狂言」の場で〝表現〟された場合には、とりもなおさず「権力」に対する「風刺」としての意味を持ってくる。

 

だからこそ、「能」が武家=権力者によって公式化されたのに対して、「狂言」は分かり易く庶民に受け入れられるように、〝語り=会話〟を多用し〝仕草=演技〟も滑稽にした。

 

コロナ禍でありつつも、政府=権力の無策を通り越した〝悪政〟によって、ひたすら我慢を強いられている「令和の庶民」には、どのような「狂言」仕立てが可能なのだろうか。

 

権力者が屈服せざるを得ない結果となり、しかも庶民にとっては分かり易く、かつカタルシス(精神の浄化)を得られるような出来事とはなんだろうか。

 

やはり次の総選挙で、徹底的に権力者を打ちのめす以外には有り得ないのだろう。室町時代から江戸時代にかけて、武家=武力的政権だった時代との相違はそこにあると思う。

 

少なくとも、庶民の側が直接的に権力と相反する意思表示をしたとしても、それに対して基本的に命の保証があることが「民主主義」の基本だと考える。

 

そうであるなら、現状における香港のような社会にならないためにも、そしてコロナ禍での庶民の苦しみをきちんと伝えるためにも、総選挙を「狂言」に仕上げないといけない。

 

この場合の「狂言」とは、まさに庶民の鬱屈した感情の吐露である。今日、偶然目にしたブログの一文から、そんなことを考えてしまった。